(2013.07.27訪問)
今日の京は多少のお湿りと日差しを遮る雲に恵まれて、絶好のお寺巡り日和でした。
たまたま、朝日新聞の週間百科「仏教を歩く日親と日蓮信仰」を見ていて京には日蓮聖人門下寺院「京都十
六本山」日蓮宗と法華宗各派各八ヵ寺が在所していることを知り、それではと云うことで十六羅漢石庭の妙
蓮寺を訪ねました。「十六本山」とは知らないまま既に五ヵ寺は訪ねていましたが、二ヵ寺を除いて十四本
山は全て市中街中、便利なところに在ります。
宗祖日蓮さんのキャラクターは法難著しく、時の為政者からは弾圧弾劾を受け、連なる弟子筋も同様艱難辛
苦を乗り越えて法華経を京に根付かせて行ったと云います。妙蓮寺祖日像上人は永仁二年(1294年)御所近く
に立って、「南無妙法蓮華経」を唱和、これが京都開教の第一声であったと云われているそうです。日像上
人は日蓮さんの孫弟子です。
▼表書院前庭の十六羅漢石庭。
[ 妙蓮寺]
●山号 卯木山
●寺号 妙蓮寺(みょうれんじ)
●宗派 本門法華宗大本山
●創建 永仁二年(1294年)
●開山 日像上人(にちぞうしょうにん)
●本尊 十界曼荼羅
▲京都市上京区寺ノ内通大宮東入 電話 075-451-3527
▲http://www.eonet.ne.jp/~myorenji/index.html
▲拝観料 境内自由 書院 石庭拝観500円 御朱印300円。
▲JR京都駅より市バス9系統、三条京阪12系統 堀川寺ノ内下車西へ5分
妙蓮寺縁起 (妙蓮寺HPから抄出)
本門法華宗の大本山で卯木山と号し、日像上人を開基とする。永仁二年(1294)に、柳屋仲興入道妙蓮法尼が、
日像上人に帰依して、西洞院五条の邸を寺に改め、柳寺と称したのがこの寺のはじめで、永亨年間(1429~
1440年)に、日存、日道、日隆、日慶らが、大宮通四条下るに伽藍を移築造営し妙蓮寺と改めた。その後た
びたび寺地をかえ、天正十五年(1587年)豊臣秀吉の聚楽第造営のとき今の地に移った。現在の建物は、天明
の大火(1788年)後の再建である。
▼寺之内通に面する参道と山門。
▼寺標。
▼山門。四脚門、本瓦葺、両袖番所付き山門。文政元年(1818年)御所より拝領建立。
▼鐘楼。袴腰付重層鐘楼、本瓦葺。元和三年(1617年)建立。姿形のベリーグーな鐘楼です。
▼咲き始めた芙蓉。芙蓉のお寺とも云われているそうですが、まだ数輪これからでしょう。
▼手水舎。
▼日像上人像。
▼本堂。
本堂修理工事が昨年完了し、檜の生成り目にも鮮やかに蘇りました。修理工事は日本最古の企業金剛組。
聖徳太子が四天王寺建立の時、設立された世界一古い企業なのです。
▼本堂。
▼芙蓉。
▼庫裡。
▼妙蓮寺椿の大木。説明板の文字があまりにもお上手なので、写真にプラスしました。
▼表書院大玄関。
▼表書院大広間。
▼表書院から十六羅漢石庭。桂離宮造園の僧、玉淵坊日首の作庭。
十六羅漢石庭ということで、お釈迦さんの臥牛石以外の石を数えてみたが何回数えても15石しかない。なん
で、単に見えないだけ? 帰りにお寺の昔お嬢さんに聞くと「15石で正解です。見ているあなたが16番目の
羅漢なんです」そう云えば六月に訪ねた本法寺つなしの庭(十の庭)も見る人の意思(石)が10個目の石だった。
宗派限らず石庭の作者はなにがしかの超教訓にシャレを含めたロジックをうまく考えるものですね。感心し
ました。
▼一瞬の日差しが石庭の表情を変えました。
▼十六羅漢石庭。
▼奥書院から見た十六羅漢石庭。
▼写真中央の横長の石は、太閤はん寄進の臥牛石。伏見城にあったもので、涅槃時のお釈迦さんを表現して
るそうです。そういえばなんとなくそんな感じがしませんか。
▼奥書院前の中庭。水の流れはないのですが、右の黒石が流れを表しているようで、小さな石橋がポイント。
桔梗が可憐な姿を見せていました。
▼中庭の蹲。
▼御朱印です。通常日蓮宗系寺院朱印は七字名号が多いのですがここは「妙法」。
▼今日の出町出会い。午後三時半頃です。
京のお寺は宗派たがわず石庭や池泉庭園など立派なお庭を持っているところが多いですが、このお寺もご多
分にもれず素晴らしい石庭があります。十六羅漢石庭は隠された仏の世界を石と白砂によって表現、人々の
感性を試すような石庭独特の理を見る人に訴えているそんな気がします。Goodな石庭でした。
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