土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

浄土寺、坂の町尾道の大寺です。

2013年05月09日 | 広島の古寺巡り



(2013.05.04訪問)

さくらに乗って尾道へ行ってきました。もちろん日帰りですよ。
GW後半の4日、坂とお寺の街、尾道お寺巡りに、行きはヨイヨイ帰りはヘトヘト。
かなり攻撃的に数ヵ寺制覇を狙ったのですが、結果、二寺を訪ねたのみ。
なぜかって? 尾道に行ったらわかりますワ!

▼千光寺山ロープウエイから尾道市街。中央川ではありません尾道海峡、瀬戸内海です。対岸は向島。




[ 浄土寺 ]
●山号 転法輪山 (てんぽうりんざん)
●院号 大乗律院 (だいじょうりついん)
●寺号 浄土寺 (じょうどじ)
●宗派 真言宗泉涌寺派 (しんごんしゅう せんにゅうじは)
●開基 伝聖徳太子 (しょうとくたいし)
●創建 伝推古二十四年(616年)
●中興 定證上人 (じょうしょうしょうにん)
●本尊 十一面観音菩薩立像 (秘仏)

▲広島県尾道市東久保町20-28 電話 0848-37-2361
 HP http://www.ermjp.com/j/
▲拝観料500円 宝物館400円 御朱印300円
▲JR山陽本線尾道駅からバスで、「浄土寺下」下車徒歩約5分。
 JR山陽本線尾道駅から徒歩30分。
 千光寺山ロープウエイ乗り場から徒歩15分。

●浄土寺縁起 (浄土寺HPより抄出) 
山陽道の名刹浄土寺は飛鳥時代、推古天皇の二十四年(626年)聖徳太子の開基と伝えています。あるとき
には高野山に縁を結び又は南都西大寺の列に連なり、更に江戸時代に至って京都の泉涌寺派に属して大本山
となっています。
鎌倉時代の終わりに、西大寺の定證上人が西国教化の途すがら浄土寺末の曼荼羅堂(現海龍寺)に安居して
いた頃の浄土寺は堂塔を守る人さえもいない有様でした。 そこで上人は里人の懇請を容れて浄土寺の再興を
発願し、尾道浦の大檀那光阿弥陀仏らの援助によって嘉元元年(1303年)から嘉元四年(1306年)にかけ
て堂塔を造営し華やかな落慶供養を営みました。
竣工後二十年の正中二年(1325年)諸堂宇悉く炎上という悲運に見 舞われましたが、嘉暦元年(1326年)
には早くも尾道の邑老道蓮 ・道性夫妻が堂宇再興の大願を発して金堂、山門、多宝塔、阿弥陀堂など相つい
で再建しました。その後一度も災禍に遭わず、六百余年の風雪を凌いで今日までその威容を保っております。

▼参道。上に山門が見えます。その下ガードはJR山陽本線、手前道路を左に行くとJR尾道駅です。




▼浄土寺寺標。石柵の紋は寺紋「二引両」足利家の家紋でもあります。




▼山門 (重文)。一間一戸、四脚門、切妻造、本瓦葺、両袖潜戸付。南北朝時代再建。




▼本堂 (国宝)。本尊 十一面観音菩薩立像 (秘仏)。
桁行五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。鎌倉時代嘉暦二年 (1327年) 再建。



山門をくぐると正面に建ち、向拝両柱に足利家家紋「二引両」の提灯が妙に目立ちます。


▼本堂内部。前面二間通、赤毛氈のところを外陣、仕切る格子壁後ろを内陣とする密教式平面。




▼阿弥陀堂 (重文)。本尊 阿弥陀如来坐像。
桁行五間、梁間四間、寄棟造、本瓦葺。南北朝時代康永四年 (1345年) 再建。



むしろ本堂よりも堂々とした佇まい、前面蔀戸がシンプルな雄大さを感じさせます。


▼多宝塔 (国宝)。本尊 大日如来坐像。
三間二層、本瓦葺。鎌倉時代嘉暦三年 (1328年) 建立。



スタイル、プロポーション抜群!実に美しい多宝塔です。


▼地蔵堂。本尊 地蔵菩薩立像。
桁行三間、梁間二間、寄棟造、本瓦葺、一間向拝付。




▼開山堂。方三間、宝形造、本瓦葺。
阿弥陀堂と地蔵堂間の石段を上り詰めたところに建っています。




▼浄土寺境内。開山堂から境内と尾道海峡。一塔六堂が一望、対岸は向島。




▼石仏群。開山堂石段の右に整然と並べられています。




▼境内東端に建つ文殊堂。方三間、宝形造、本瓦葺。




▼護摩堂 (不動堂)。本尊 不動明王像。方三間、宝形造、本瓦葺、一間向拝付。




▼鐘楼。




▼(左) 伝尊氏墓宝篋印塔 (重文)。石造、塔高190cm、南北朝時代。



右は尊氏弟、直義供養塔と伝わるそうです。


▼子安堂。




▼宝篋印塔 (重文)。石造、塔高320cm、南北朝時代貞和四年(1348年)造立。



塔身に四仏の種字(サンスクリット文字)が刻まれています。僧四名の逆修塔として造立。


▼納経塔 (重文)。石造、基壇付、塔高270cm、鎌倉時代弘安元年 (1278年) 造立。



写真では判りにくいですが、塔身に四仏の種字が刻まれています。


▼鎮守社丹生神社。高野の神と丹生津姫をお祀りしています。




▼何とも素晴らしい多宝塔をもう一度。




▼御朱印です。




尾道にはかなりの数のお寺があります。中でも浄土寺は大寺、寺観も整い景観そのものが国宝と云うのも頷け
ます。瀬戸内海は古代からの海上交通の要路であり、尾道は良港要地でこの地方の信仰の中枢でもあったと伝
え、特に南北朝時の足利尊氏九州逃避、反撃上京の際にこの浄土寺に戦勝祈願し、その結果は歴史が語るとお
り。このお寺には尊氏縁のものが多く目につき、寺紋までが足利家家紋です。

フロクです。
▼千光寺公園から尾道市街と尾道海峡。










坂道コリゴリ、尾道ラーメンう~ん!


広島の一番寒い日に、宮島大聖院へ。

2011年12月14日 | 広島の古寺巡り


(2012.12.10・11訪問)

遅い秋が急ぎ足で去ってゆきました。名勝紅葉谷公園の紅葉もすっかり散りそめ、
世界遺産の島、安芸宮島は冬支度。よりによってこの日は真冬ですよ。にもかか
わらずさすが宮島、厳島神社の人の多さにはビックリ!フェリーもピストンです。
厳島神社参拝後、大聖院を訪ねました。

[ 大聖院 ]
●山号 多喜山(たきやま)
●院号 大聖院(だいしょういん)
●寺号 水精寺(すいしょうじ)
●宗派 真言宗御室派大本山
●開山 弘法大師空海
●創建 大同元年(806年)
●本尊 十一面観音菩薩立像(観音堂)
   波切不動明王立像(勅願堂)

大聖院縁起
弘法大師空海さんが唐から帰国途上、宮島弥山で100日間の求聞持秘法を修され
たのが今の弥山伽藍の地であり修業に使った火が今も燃えています。大聖院は、
鳥羽天皇勅願道場以来、歴代皇室との因縁深く、明治維新までは十二坊の末寺が
あり、厳島神社の別当寺として祭祀を行っていた厳島の総本坊。仁和寺との関係
は本山と末寺という結びつき以前に脇門跡、仁和寺院室、厳島御室などの称号を
賜った深い関係があるそうで、仁和寺第二十世任助法親王(厳島御室)が大聖院に
止往し、仁和寺塔頭に大聖院があったため、法流相伝の御室にあてられたものと
いわれているそうです。

▼仁王門脇に建つ大聖院石標。



▼仁王門。



▼長押と天井にかけてスゴイ龍の彫り物、目は玉眼。



▼向かって左に金剛力士阿形像、右に金剛力士吽形像。
堂々の像形に朱色鮮やかに残り、玉眼が嵌められています。






▼参道石段。



▼御成門。
総檜造り、唐破風、檜皮葺の勅使門。



▼御成門からの景は宮島随一らしいですよ。眼下に見えるのは、千畳閣と五重塔。



▼観音堂。
御成門のすぐ右手に観音堂が建っています。行基さん作と伝えられる十一面観世
音菩薩が本尊として祀られています。



▼勅願堂。
鳥羽天皇勅願道場で大聖院の本堂。豊臣秀吉が朝鮮出兵の時に、必勝海上安全を
祈願したと云われている本尊波切不動明王を祀っています。



▼勅願堂扁額。



▼勅願堂本尊 波切不動明王立像。



▼万福堂。
恵比須さん・大黒さん・毘沙門天・弁天さん・福禄寿・寿老人・布袋さんの七福
神を祀っています。お参りの皆さんが撫でまくり、触りまくっているのでツルツ
ル、ピカピカです。



▼摩尼殿。
弥山三鬼大権現の本坊御祈祷所。



▼大師堂。
大聖院最古の堂宇。真言宗の開祖空海さんが祀られています。また、お堂のまわ
りに西国三十三観音石仏が並び参拝のご婦人が丁寧に一体ずつ手を合わせておら
れました。



▼五百羅漢庭。
参道石段の左下に広がる庭には、羅漢さんがいっぱい!



大聖院本坊伽藍から弥山伽藍へ、これから登山です。紅葉谷公園を通り抜けると
ロープウエイ駅です。
▼弥山伽藍へのロープウエイ紅葉谷駅。獅子岩駅までラクチン空中散歩。



▼ロープウエイ獅子岩駅の弥山伽藍マップ。
このマップには騙されました。弥山伽藍への参道てなものではなく、これは登山
道です。



▼弥山伽藍への道。
こんな石段や石ゴロゴロの細い道、山崩れの後の道、コワイ怖い!それに強烈な
アップダウン。




▼弥山伽藍本堂。



▼弥山伽藍本堂内陣。本尊 虚空蔵菩薩坐像。
本尊脇に見えませんが不動明王と毘沙門天が祀られています。



▼弥山伽藍霊火堂。
このお堂は2005年に火災で焼失し、翌年再建されたそうです。「消えずの火」の
本家が火事になるとは、なにか意味深ですね。



▼弥山伽藍霊火堂扁額。かなりススで真っ黒けです。



▼弥山伽藍霊火堂「消えずの火」。
1200年以上経った今も霊火堂の中で燃え続けています。囲炉裏のような感じを受
けるのはボクだけかな。広島市内平和公園の「平和の灯」はこの「消えずの火」を
分火したものだそうです。



▼弥山登山道。大岩を階段状に彫り込んだ石段。



▼船岩とお地蔵さん。
とにかく、奇岩、大岩がゴロゴロしています。このお地蔵さんに被さるように見
えるのも大きな岩です。



▼弥山山頂。
やっと着いた山頂も奇岩だらけ。山頂にはそうとうくたびれた展望台があります。
それ以外は岩ばかり。風と寒さに負けましたのですぐ下ります。



▼巨岩のアーチ、奇岩「くぐり岩」



▼観音堂と文殊堂。この下はスグ本堂の地です。



宮島まで来て、登山をするとは思いませんでしたが、空海さんが残した跡と宮島
一の歴史を謳う大聖院の参拝は、地方においてもこれだけの大寺院があるという
仏教の深さ、信仰の大きさを改めて思いました。