(2013.10.14訪問)
♩七里ヶ浜の磯づたい ♩稲村ヶ崎名将の ♩剣投ぜし古戦場
小学唱歌「鎌倉」ですよ。懐かしくて涙ポロリの方もいらっしゃるのでは。
ホテルを出てしばらく湘南の浜辺をフラフラ、七里ヶ浜から柄にもなく湘南ボーイに浸りきり、稲村ヶ崎で
新田義貞を偲び、長谷観音へと向かいました。江ノ電長谷駅から掃き出されるように人の列が続きます。長
谷観音に詣でる人、高徳院の露坐の大仏さんに詣でる大勢の人波にもまれながら、やっとの思いで長谷の観
音さんにやってまいりました。
▼長谷寺山門。赤い提灯がお迎えです。
[ 長谷寺 ]
●山号 海光山 (かいこうざん)
●院号 慈照院 (じしょういん)
●寺号 長谷寺(はせでら)通称 長谷観音(はせかんのん)
●宗派 浄土宗単立
●開創 伝 天平八年 (736年)
●開基 伝 藤原房前 (ふじわらふささき) 藤原不比等次男
●開山 伝 徳道上人(とくどうしょうにん)
●本尊 十一面観音菩薩立像
▲鎌倉市長谷3-11-2 電話0467-22-6300
▲HP http://www.hasedera.jp/
▲拝観料 300円、御朱印300円
▲JR鎌倉駅下車乗り換え、江ノ電「長谷駅」下車徒歩5分
長谷寺縁起 (長谷寺パンフから抄出)
寺伝縁起によれば、養老五年 (721年)、徳道上人は楠の大木から二体の十一面観音菩薩像を造像、一体を大
和長谷寺の本尊とし、残る一体は衆生済度の誓願を込め開眼供養を修した行基により海中に奉じられた。
その後天平八年 (736年) 尊像は相模の国長井浦に顕われ、その旨を受けた大和長谷寺開基藤原房前により鎌
倉に遷座、当山開創の礎となりました。
▼参道。
▼山門。
▼寺標。長谷大観音と刻されています。
▼鐘楼。
▼阿弥陀堂。方三間、宝形造、桟瓦葺。
▼阿弥陀堂本尊。上品上生印相の丈六仏。
頼朝さんの厄災消除を祈願し造立されたと伝わるそうですが、実際は室町時代作とされるそうです。切れ長
の玉眼をやや伏し目がち、一心に本願成就を願う清浄なお顔、一見して定朝の父作と云われる、大原勝林院
の阿弥陀さんにそっくり、定朝の流れをくむ仏師の作ではないかと思ったりしました。
▼本堂。通常観音堂と呼ばれているそうです。桁行五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、裳階付の単層。
▼長谷観音と揮毫された本堂扁額。
▼本尊。長谷寺式十一面観音菩薩立像。像高9.18m、木造仏。まさに大和長谷寺本尊とソックリ、圧倒され
ます。この観音さんが長谷観音のバックボーン。
写真はnetから借りてきました。
▼大黒堂。出世開運大黒天が祀られています。
▼境内眺望散策路から由比ケ浜一望。海の点々はゴミではありません、サーファーです。
♩由比が浜辺を右に見て…という歌詞もありましたネ。
▼経蔵。一切経が収められています。
▼輪蔵。経蔵の中央にあり、一回転させることにより一切経すべて読誦功徳があるそうです。
▼地蔵堂。
▼地蔵堂を囲む千体地蔵尊。
▼弁天窟の入口。
▼弁天窟内部。弁財天を中心に眷属の十六童子が彫られています。
岩盤を彫り貫いたなかなかの雰囲気の回遊洞窟。薄暗い中を歩くゾクゾク感がたまりません。
▼書院。大勢の皆さんが写経中でした。
▼書院庭園。新しく造園された庭園です。
▼卍池。文字通りズバリ卍形の池。
▼良縁地蔵。境内に可愛いお地蔵さんがあちこちに。
▼放生池。
▼内仏殿。寺務所エリアに建つ新しいお堂。何のお堂かは?
▼御朱印。
本尊が長谷寺式十一面観世音菩薩で巨大な木造仏、像姿もよく似、寺名も長谷寺。鎌倉長谷寺は大和長谷寺
末かなと思っていましたが、無関係と云う関係。共通項は徳道上人と藤原房前がキーワード、往時の観音信
仰の広がりで、高野聖をはじめ、大寺の聖達が各地を回り高僧や時の為政者を檀那として観音利益を広めて
ゆき、そんな流れの中で観音信仰の礎を築いた鎌倉長谷寺は「長谷の観音さん」として東国を代表する観音
霊場として今に至ると聞きました。出自の由緒伝承が同じなのは、そう云った事が大いに関係しているので
しょう。
フ ロ ク
♩極楽寺坂越え行けば ♩長谷観音の堂近く ♩露坐の大仏おわします
鼻歌にのせて露坐の大仏さんに初お目見え。
▼巨大な阿弥陀さんもこれだけ大勢に囲まれるとテレがあるのかな。
▼いやいや男前はやはりビシッとしてはります。
▼横顔もさすが。
▼慈悲!慈愛!
奥さんの顔色を窺いながらの鎌倉お寺巡り、結局三ヵ寺で オ シ マ イ
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