(2014.12.07訪問)
つかの間の錦秋は散り紅葉の繍が地一面を覆い、やがてその姿は地に帰って行く。新聞各紙のモミジ便りも
終り、いよいよ白い季節の到来となり四季は進んでいくのでしょう。今日は残り紅葉に多少の期待をしつつ
西国三十三カ所観音霊場第七番札所岡寺を訪ねました。塑像最大の本尊如意輪観音さん本堂にどっしりと確
かに大きいです。お顔を拝するだけで厄はどこかへ…、行けばいいんですけど。
意外なことに散るのを忘れた数本のモミジが最後の力を振り絞るように赤を演出していました。
▼参道から仁王門。
[ 岡寺 ]
●山号 東光山 (とうこうさん)
●院号 真珠院 (しんじゅいん)
●寺号 岡寺 (おかでら) 正称 龍蓋寺 (りゅうがいじ)
●勅願 天智天皇 (てんじてんのう)
●開基 義淵僧正 (ぎえんそうじょう)
●開創 伝 七世紀末
●宗派 真言宗豊山派
●本尊 塑像 如意輪観音坐像 (重文)
▲拝観料 拝観料 300円 朱印300円 駐車場 500円
▲拝観時間 8:00~16:30 (12月?2月)
▲西国三十三カ所観音霊場第七番札所
▲http://www.okadera3307.com/
▲奈良県高市郡明日香村岡806 Tel.0744-54-2007
▲近鉄「橿原神宮前駅」下車、東口より奈良交通バス「岡寺前」下車、徒歩5~10分。
または「橿原神宮前駅」「飛鳥駅」下車、タクシーをご利用ください。
▼寺標。
岡寺縁起 (岡寺HPより抄出)
天智天皇は義淵を岡宮で草壁皇子とともに育てられ、後に義淵僧正はこの岡宮の地を与えられ、龍蓋寺を建
立されました。現在岡寺は真言宗豊山派に属しておりますが、義淵僧正はわが国法相宗の祖であり、門下に
は東大寺の良弁、菩薩と仰がれた行基、その他奈良時代の高僧といわれる人は皆、義淵僧正の教えを受けた
といわれています。岡寺が義淵僧正によって創建したという最も古い文献、醍醐寺「龍門寺縁起」に、龍蓋
寺は義淵僧正が国家隆泰のために建立したと記されています。義淵僧正は法相宗の祖でありましたから岡寺
も江戸時代までは法相宗興福寺の末寺であり、興福寺から別当を選出しており、室町時代には興福寺別当が
岡寺別当を兼務しておりました。江戸時代以降は長谷寺の末寺となり今日に至っています。
▼仁王門 (重文)。慶長十七年 (1797年) 建立。
▼正称龍蓋寺と書かれた扁額。
▼阿形金剛力士が右に、
▼吽形金剛力士が左で「ストップザ悪者」と控えています。
▼手水舎。
▼参道石段を上ると、
▼広い境内左手にアカイ瀟洒な楼門が。慶長年間 (1956~1615年) の建立。
▼その隣に開山堂。寛政九年 (1797年) 建立。
▼華麗な荘厳の須弥壇に本尊阿弥陀三尊が祀られています。
▼ご本尊阿弥陀如来坐像。
▼石積み基壇に袴腰の鐘楼。
▼梵鐘。一打撞かせていただきました。ふるえるような長~い余韻の響きでした。文化五年 (1808年) 鋳造。
▼本堂です。文化二年 (1805年) 建立。
▼本堂正面ガラス越しのご本尊が微かに。
▼本堂外廊の奉納額の群れ。
▼散り忘れモミジ。
▼高所参道から本堂です。
▼寺名龍蓋寺名由来の池、龍蓋池碑。
▼こんな小さな池に悪龍が閉じ込められたんですヨ。
▼池横に義淵悪龍退治のレリーフ。
▼こんなにきれいな散り忘れモミジの樹。
▼境内高所の参道に十三重石塔。
▼開基義淵僧正廟所の宝篋印塔。
▼散り忘れモミジ。
▼境内参道もキレイに整備されています。
▼結構散り忘れモミジが残ってました。
▼三重塔。昭和六十一年 (1986年) 再建。
▼三重塔エリアからの金剛、葛城の山並みです。
▼大師堂にやってまいりました。
▼須弥壇には本尊空海さん。
▼空海さんにアップをお願いしました。
▼それでは奥之院へ。
▼途中に岡寺の鎮守社、如意稲荷社が祀られています。
▼右手少し上ると石窟が見えます。
▼石窟奥深く石仏が祀られています。
▼本尊弥勒菩薩さんです。
▼苔の法衣が良く似合っています。
▼まるで城郭、本坊と新書院です。
▼最後の散り忘れモミジですが、忘れるはずです、まだまだきれいですネ。
▼西国三十三カ所観音霊場第七番札所の御朱印です。空海さんの足もとに置かしていただきました。
西国三十三カ所観音霊場も既に二十数ヵ寺は訪ねていますが、如何せん御朱印を戴きだしたのがここ二三年、
せっかくなら朱印帳イッパイにと再訪する古刹が続いています。それにしても三十三カ所、あちこちに散ら
ばっているもんでいつ結願するのやら。
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