(2016.05.07訪問)
瑠璃光寺の五重塔に感激して、さて萩市に向かいます。幕末から維新にかけて、吉田松陰、木戸孝允、高杉晋作、久坂玄瑞など、多
くの志士たちが心を熱くして往来した道、萩往還を走ります。急坂、山道、長閑な田舎道と変化に富んだ街道を小一時間、やがて萩
市に入り、目指す東光寺は萩市の東部、山裾のやや高台にベンガラ塗りの総門が迎えてくれます。
▼総門(重文)。
三間一戸、八脚門、切妻造、本瓦葺。用材の表面全体ベンガラ塗。中央持ち上げの棟式屋根は黄檗風様式。元禄六年(1693年)建立。
[ 東光寺 ]
●山号 護国山(ごこくざん)
●寺号 東光寺(とうこうじ)
●宗派 黄檗宗(おうばくしゅう)
●開基 毛利吉就(もうりよしなり)長州藩三代藩主
●開山 慧極道明禅師(えぎょくどうみょう)
●開創 元禄四年(1691年)
●本尊 釈迦如来坐像
▲時間 8:30~17:00
▲拝観 300円 朱印300円
▲山口県萩市椿東1647 電話083-826-1052
▲JR「東萩駅」タクシー5分
山陽自動車道「防府東IC」より車で50分
▼総門扁額。「護国山」と書かれています。東光寺開山の慧極道明禅師の揮毫。
東光寺縁起
護国山東光寺は、元禄四年(1691年)に三代藩主毛利吉就が萩出身の名僧慧極を開山として創建した全国屈指の黄檗宗寺院で、大照院
とならぶ毛利家の菩提寺。総門、三門、鐘楼、大雄宝殿はいずれも国の重要文化財に指定されており、名刹の面影を残しています。
本堂裏の毛利家墓所は国指定の史跡で、吉就から十一代までの奇数代の藩主とその夫人及び一族、関係者の墓があります。
▼総門正面。
▼隅飾突起が羽ばたいている宝篋印塔。基壇からするとゆうに4mはありそう。
▼三門(重文)。
桁行11.6m、梁間6.7m、三間一戸、楼門形式。入母屋造、本瓦葺。藩主毛利斉熙寄進、文化九年(1812年)建立。
▼三門戸口上部の扁額。「解脱門」と書かれています。隠元禅師の高弟、黄檗三筆のひとり即非如一禅師の揮毫。
▼上層の扁額。「最勝閣」と書かれています。東光寺十五世、大愚衍操禅師の揮毫。
▼三門から参道。前方僅かに見えるのは、大雄宝殿(本堂)です。
▼きれいな参道ですネ。
▼石段の先スグ大雄宝殿ですが、参道左に……、
▼鐘楼(重文)です。
一見鐘楼には見えませんネ。重層に見えますが、下屋根は裳階です。
上層部は入母屋造、本瓦葺、下層部は桟瓦葺。上層には大鐘と大太鼓が置かれ、鼓楼も兼ねているそうです。
▼鐘楼扁額。ズバリ鐘楼と書かれています。
▼間もなく大雄宝殿。
▼本堂の大雄宝殿(重文)。
桁裄七間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、下屋根は裳階です。元禄十一年(1698年)建立。
屋根中央には黄檗風火焔付き二重宝珠が乗せられています。
▼裳階軒の扁額。寺号東光禅寺と書かれています。
▼上層軒の扁額。堂名大雄宝殿と書かれています。
▼正面の戸口。入堂は出来ませんが内部を見渡せることはできます。
▼豪快な内部の荘厳、高い天井から吊り下げられた天蓋と柱聯の豪華なこと。堂内柱は総て方柱。
▼中央須弥壇には本尊 釈迦三尊像。中尊釈迦如来坐像、左脇侍(向って右)迦葉尊者立像、右脇侍(向って左)脇侍阿難尊者立像。
中尊お釈迦さんのお顔何となく中国風に見えなくもないですが、仏師はれっきとした日本仏師、法橋藤村忠円です。
▼大雄宝殿前から境内。
大雄宝殿前の砂利のスペースは月台と云う行事や法要の時など堂内に入りきれない人々の為の広場だそうです。
▼方丈左玄関は藩主用。
▼方丈右玄関は家臣用。
▼大雄宝殿東の奥まった所に東光寺開基の三代藩主毛利吉就公から十一代までの奇数代の藩主、その夫人の墓が正面に並び、参道左
右に均等に並んでいる約五百数基の石燈籠は家臣らが寄進したものだそうです。壮観ですヨ。
▼正面の二基右が三代藩主毛利吉就。左が同室亀姫の墓です。
▼墓の形式は唐破風の笠石付き角柱(位牌)の形に統一し、法名が刻んであります。
因みに二代から十二代の偶数代藩主の墓所はJR萩駅近くの大照院にあります。
▼御朱印です。
東光寺これにてオシマイ。
境内の広さは創建時を保っているようですが、伽藍は殆ど現存しません。総門、三門、鐘楼、大雄宝殿、方丈のみで禅刹を構成する
諸堂は残念ながら残っていません。残る諸堂は方丈を除いて重要文化財に指定され、とくに大雄宝殿の豪快さは宇治萬福寺の大雄宝
殿に勝るとも劣らない立派な伽藍です。地方と云ってはなんですが、当地権力のバックアップほど力強いものはない例ではないでし
ょうか。
スグ近くの松陰神社に一言だけご挨拶!
▼鳥居を通して本殿です。祭神はもちろん吉田矩方命(よしだのりかたのみこと)こと吉田松陰さんです。
▼松陰さん人となり。
▼松下村塾。塾正面は左側。この面は後に増築された十畳半の講義室。
今更云うまでもありませんが、無念の死を遂げた志士、維新の政界を牛耳った志士達が松蔭を師と仰ぎ、熱き志を語り合ったのが
ここ。文さんが隣の実家から塾生におにぎりを運んだのがこの部屋ですよ。真偽は定かならず。
結局タイムオーバーで萩では東光寺のみの参拝だけで大阪へ帰ります。600kmですよ、今日中に帰れるかな。
ピシッー!(迷車大和路号に鞭を入れる音)
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