(2015.03.14訪問)
またまた大和路号は播磨路を走っています。中国道宝塚手前からいきなり16キロ渋滞も何のその、シトシト
雨も何のそのドンドン西へ。加西インターに近づくにつれ青空が出てきました。日頃精進の良さか、目指す
酒見寺多宝塔、さぞや見事に輝いていることでしょう。今日は加西市の街中、酒見寺と羅漢寺、いくらか山
手の奥山寺を目指しています。
▼仁王門。重層楼門形式、三間一戸、入母屋造、本瓦葺、八脚門。江戸時代文政八年 (1825年) 再建。
[ 酒見寺 ]
●山号 泉生山 (せんしょうざん)
●寺号 酒見寺 (さがみじ)
●勅願 伝 聖武天皇 (しょうむてんのう)
●開基 伝 行基 (ぎょうき)
●開創 伝 天平十七年(681年)
●宗派 高野山真言宗
●本尊 十一面観音菩薩
▲入山料 境内自由 朱印 300円 駐車場 無料 (訪問時はお留守でしたので詳細はご確認を)
▲拝観時間 境内自由
▲兵庫県加西市北条町北条1319 Tel.0790-42-0145
▲JR大阪駅西口より中国自動車道ハイウェイバスにて約1.5時間、北条下車徒歩13分
JR加古川駅より加古川線にて粟生下車、北条鉄道乗換、レールバスにて北条町駅終点下車、徒歩約10分。
中国自動車道「加西IC」より10分、
酒見寺縁起
行基さんがこの地を訪れ、現在の住吉神社である酒見明神に詣でたところ、寺院建立のお告げを受け、聖武
天皇に奏上し勅願を得て寺院堂塔を創建、寺号を酒見寺と命名したと伝えられています。
▼寺石標。
仁王門両端に仁王さんが控えていますが、各二間続きで前の間は空き室、奥の間に像が立っており、しかも
金網ガード、前方からは仁王さんは見えません。今日の仁王撮り、奥の手使用出来ず ザ ン ム ネ ン
▼阿形さん。
▼吽形さん。
▼仁王門から一直線参道。
▼本堂までの参道。両側には二十一対の青銅製の飾り燈籠が並び本堂へ吸い込まれそうになりますよ。
▼参道すぐ左に引聲堂 (阿弥陀堂)。桁裄五間、梁間四間、寄せ棟造、銅板葺、一間向拝付。
本尊阿弥陀三尊、毎年九月十日から一週間、阿弥陀経を唱え本尊周りを行道する法要が行われるそうです。
残念ながら内部は窺い知れません。
▼引聲堂と参道を挟んで地蔵堂。
▼大きな鈴。
▼多宝塔 (重文)。
三間四方、寛文二年 (1662年) 再建。上層檜皮葺、下層本瓦葺の珍しい葺式です。
複雑な組ものの造形と極彩色のコンビネーションが凄い!
塔内四天柱や来迎壁には両界諸仏、壁板には真言八祖を、極彩色で描かれて
いるそうです。
▼初層の軒彩色。
▼上層の軒彩色。
今日このお寺へボクを引き寄せたのは、写真ガイドでこのきれいな多宝塔の写真を見たからなんです。
▼金堂。桁裄五間、入母屋造、裳階付、本瓦葺。元禄二年 (1689年) 再建。
中々ユニークな堂形、裳階が妙に大きくドッシリ感バッチリ。
本尊十一面観音菩薩 (秘仏)。脇侍多聞天と持国天。
▼本堂正面。
▼格子戸の小窓から覗いた内陣です。
▼向拝右柱の木鼻、阿形象。
▼左柱の吽形象。
▼本堂。
▼鐘楼。桁裄二間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺。寛文四年 (1664年) 再建。
袴腰付き鐘楼で黒袴のカーブが何とも云えない安定感を感じますネ。
最近、再彩色されたようで相当目立ちます。
▼軒彩色。垂木や軒組み物の極彩古色を再現したものでしょう。無茶苦茶きれいです。
▼角組み物の彩色。こうなるとカラーチャートの立体表現としか言いようがないみたい。お見事!
人によっては、毒々しいと云った方がいました。
▼本堂裏手に御影堂。空海さんを祀っています。
▼石灯籠ですが相当手が込んでいますネ。
▼放生池に架かる太鼓石橋。石の芸術ですよこれは。
▼放生池の中之島にお社。
▼本坊山門。
▼玄関前庭はきれいに植栽されています。
▼お庭の奥に不動堂。須弥壇上段に大火炎光背をバックに本尊不動明王と脇侍に二童子が祀られています。
▼中央本尊不動明王、右矜羯羅童子、左制吒迦童子。
▼お庭の角にこんな方がいました。
▼御朱印です。
呼び鈴押せど、どなたもいらっしゃらず、朱印は書き置きが置いていました。
帰宅してから朱印帳に貼って撮りましたが、日付書き忘れました。
街中とはいえ大きなお寺で、近世二度の火災で全山焼失後、今の伽藍群はすべてその後江戸期に再興された
と云います。
経時古色の堂宇と再彩色された堂宇、見てくれの新旧入り交じりには当初変な感じがしましたが、整然と整
備された境内寺観はお見事と云えるきれいなお寺です。不動堂を除いて総てのお堂の入堂は出来ません。少
しばっかり期待外れでしたが……。
次は羅漢さんですよ!
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