土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

妙心寺塔頭の龍泉菴で、壮大なスケールの障壁画を見る。

2019年01月29日 | 京都の古寺巡り





(2019.01.26訪問)


「京の冬の旅」非公開文化財特別公開で今日訪ねるのは、四十六の塔頭寺院が山内に点在するその妙心寺塔頭寺院の一つ「龍泉菴」
です。この塔頭寺院は通常は非公開寺院ですが今回、文化財特別公開として日本画家、由里本出氏が描いた障壁画を公開中というこ
とで訪ねてみました。先ず「妙心寺」境内を、そして「龍泉菴」と云うのが今日のコースです。





▼南総門。







            [ 妙心寺 ]
            ●山号 正法山(しょうぽうざん)
            ●寺号 妙心寺(みょうしんじ)
            ●宗派 臨済宗妙心寺派大本山
            ●開基 第九十五代 花園天皇(はなぞのてんのう)
            ●開山 関山慧玄(かんざんえげん) 無相大師 大徳寺開山した大燈国師の弟子
            ●開創 建武四年(1337年)
            ●本尊 釈迦如来坐像
            ▲京都市東山区東大路通り七条下る東瓦町964番地 TEL.075-541-5361  
            ▲拝観料 500円 御朱印300円
            ▲拝観時間 9:00~16:00
            ▲JR京都駅よりバス10分、東山七条下車 市バス206系統、207系統、208系統
             京阪七条駅より七条通を東へ徒歩約10分





            ▼大寺号石標。何方の揮毫か判りませんが、墨跡を拝見したいものです。







妙心寺縁起 (妙心寺HPより抄出)
第九十五代花園天皇は、秀峰妙超(大燈国師)に参禅し印可されています。宗峰妙超禅師は病に伏し、花園法皇の求めに応じて、弟
子の関山慧玄を師とするよう推挙されました。花園法皇は花園の離宮を禅寺にし、宗峰妙超禅師が正法山妙心寺と命名されました。





▼どうですこの広い境内、とても廻り切れません。南総門を潜ると真っ直ぐな参道,その左に代表的伽藍配置が一直線に並びます。







▼先ず放生池、太鼓石橋の右、なにかいますネ。







▼青鷺でした。例により一本足で立ってます。







▼三門(重文)。重層楼門、桁行五間三戸、梁間2間、本瓦葺、入母屋造、慶長四年(1599年)建立。







▼立派な三門です、朱が陽光を浴びてとってもキレイです。







▼参道先は仏殿。







▼仏殿(重文)。桁行五間、梁行五間、入母屋造、本瓦葺き、裳階付き。文政十年(1827年)建立。
 本尊 釈迦如来坐像。脇侍 釈迦十大弟子の阿難尊者、迦葉尊者。







            ▼仏殿本尊釈迦如来坐像。お躯はこれ以上の荘厳は考えられないと思うほど、
             金色に輝いています。







▼本尊は左手に蓮の蕾、蓮で隠れていますが右手は来迎印のようです。







▼法堂(重文)。桁行六間、梁行六間、入母屋造、本瓦葺き、裳階付き。明歴二年(1656年)建立。







▼天井には狩野探幽の雲龍図が描かれています。(この写真はネットから借用)







▼仏殿と法堂を繋ぐ渡り廊下。







▼大方丈玄関。







            ▼大方丈本尊。







▼大方丈横の小方丈。ここでは宝物掛け軸のオンパレード。







            では今日のメイン、塔頭寺院龍泉菴を訪ねます。

            ▼龍泉菴の「京の冬の旅」特別公開ポスター。






妙心寺四派の一つ、龍泉派の龍泉菴で「京の冬の旅キャンペーン」の特別公開。山内塔頭寺院の中で最大規模を誇る方丈を飾るのは、
1999年の開祖五百年遠諱にあわせて日本画家由里本出氏が描いた障壁画です。越前海岸を描き、仏教が西から東へ伝来する様を表し
た「種々東漸図」、寺名にちなんだ「昇龍図」のほか、菩提樹や沙羅を描いた障壁画も納められています。
今回は、狩野探幽、谷文晁、長谷川等伯、長沢芦雪、松村景文の作品も特別公開されています。





▼龍泉菴山門。コノ塔頭は通常は非公開寺院です。







▼庫裡。







▼庫裡玄関。







▼方丈枯山水前庭。







方丈を飾る由里本出氏が描いた障壁画です。

▼霊峰四季の間。







▼樹下寂静の間。







▼到渠成の間。







▼種々東漸の間。







▼昇龍図。




ボクは日本画家由里本出さんを存じ上げませんが、色んな作品をお描きでしょうけど、今回の障壁画を拝見する限り、その作風は
日本画の域を超える勇壮壮大なスケールの作風です。出来ることなら襖障子の枠を外して全面で見てみたい衝動にかられます。
日本画を拝見して久々にスカッとした気分に浸れました。龍泉菴さん、600円は喜んで喜捨しますヨ。


智積院、堂本印象さんの襖絵「婦女喫茶図」印象深いです。

2019年01月22日 | 京都の古寺巡り





(2019.01.19訪問)


「京の冬の旅」非公開文化財特別公開で今日訪ねるのは、智積院です。
智積院が古刹と云えるかどうかは別にして、いかに寺勢が凄いかは街中に広大な寺地を誇り、名勝庭園、障壁画や襖絵などに錚々た
る名前がならんでいるお寺だからです。今回の文化財特別公開では近代絵画の雄、堂本印象さんの障壁画「婦女喫茶図」を見ること
ができるんです。「婦女喫茶図」はこのお寺の宸殿襖絵なんですが、これまで宸殿が公開されたことがあまりなく、今回公開される
と云うことで、早速見てみようてな訳で智積院を訪ねた次第であります。





            ▼智積院の「京の冬の旅」特別公開ポスター。
             上の絵がかの堂本印象の障壁画「婦女喫茶図」
             今日はこれを見たいがため智積院に来たようなもんです。      







            [ 智積院 ]
            ●山号 五百仏山 (いおぶさん)
            ●寺号 根来寺智積院 (ねごろじちしゃくいん)
            ●宗派 真言宗智山派 (しんごんしゅうちざんは) 総本山
            ●開祖 弘法大師空海 (こうぼうだいしくうかい)
            ●中興 興教大師覚鑁 (こうぎょうだいしかくばん)
            ●再興 玄宥僧正 (げんゆうそうじょう)
            ●開創 慶長三年 (1598年)
            ●本尊 大日如来坐像
            ▲京都市東山区東大路通り七条下る東瓦町964番地 TEL.075-541-5361  
            ▲拝観料 800円 御朱印300円
            ▲拝観時間 9:00~16:00
            ▲JR京都駅よりバス10分、東山七条下車 市バス206系統、207系統、208系統
             京阪電車「七条駅」より七条通を東へ徒歩約10分





            ▼東大路通に面して山門が建ち、門前にデッカイ寺号石柱。







智積院縁起 (智積院HPから抄出)
興教大師覚鑁が高野山に大伝法院を建て、高野山の復興と真言宗教学の振興に活躍。保延六年 (1140年) 修行の場を高野山から根来
山へ移し根本道場としました。二年後の康治二年覚鑁死去。鎌倉時代の中頃に、頼瑜僧正が大伝法院を高野山から根来山へ移し、こ
れにより根来山はおおいに栄え、智積院はその塔頭寺院のなかの学頭寺院でした。勢力が大きくなると豊臣秀吉と対立、秀吉軍によ
り、根来山内の堂塔のほとんどが灰燼に帰しました。その時、智積院の住職であった玄宥僧正は、高野山に逃れ、秀吉が亡くなった
慶長三年 (1598年) 智積院再興の第一歩が京都東山にしるされました。家康から、玄宥僧正に東山の豊国神社境内の坊舎と土地が与
えられ、名実ともに智積院が再興。境内伽藍が拡充されました。





▼入山受付を済ますとすぐ前に冠木門、参道入り口です。







▼参道右に鐘楼。入母屋造、本瓦葺の大鐘楼です。







▼参道先に見えるのが金堂です。







▼金堂。桁裄七間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、3間向拝付、鉄筋コンクリート造、宝永二年 (1705年) 建立。
 明治十五年 (1882) 焼失。その後、宗祖弘法大師生誕千二百年記念事業として昭和五十年(1975年) 再建。







▼金堂扁額。第五十九代化主秋山祐雅僧正揮毫。







▼須弥壇の荘厳と本尊大日如来坐像。







▼本尊大日如来坐像。お躯も光背もキンピカ、像高197.8cm、木造、仏師西村公朝さん指導により1975年造像。







▼格子戸から柔らかい冬の日差しが。







▼翻る五色幕。

        





▼金堂横に明王殿 (不動堂)。桁裄七間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、三間向拝付。
 智積院の護摩道場、金堂焼失後金堂として使用されていたお堂。







▼明王殿扁額。第六十五代化主藤井龍心僧正揮毫。







▼明王殿内陣。よく磨かれた床、過剰な荘厳がないシンプルな須弥壇中央に本尊不動明王、脇持に矜羯羅童子、制多迦童子が祀られ
 ています。







▼本尊お不動さんのお顔。像高84.5cm、寄せ木造り、玉眼。







▼金堂裏の石段を上ると奥の境内、鐘楼です。







▼大師堂。宗祖弘法大師空海さんをお祀りしています。寛政元年 (1789年)建立。
 桁裄五間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、一間唐破風向拝付。堂内拝観は出来ません。







▼大師堂扁額。別称遍照金剛殿と揮毫されています。







▼大師堂の五色幕。







▼運敞蔵。第七代化主運敞僧正座像を祀り、僧正一代にわたって収集された書籍文献を収蔵。延宝元年 (1672年) 建立。







▼密厳堂への石段参道。







▼密厳堂。中興の祖、興教大師覚鑁像さんを安置、よって覚鑁堂とも呼ばれている。
 桁裄五間、梁間六間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。寛文七年 (1667年) 建立。







▼密厳堂扁額。第七代化主運敞僧正揮毫。







▼密厳堂。







▼求聞持堂(文殊堂、護摩堂)。本尊虚空蔵菩薩、嘉永四年 (1844年) 建立。方三間、宝形造、本瓦葺、一間向拝付。







書院の名勝庭園と国宝障壁画を拝見することにしましょう。

▼山門。正面見えるのは講堂。







▼講堂は横に長~い建物で全景は撮れません。
 桁裄十八間、梁間九間、入母屋造、本瓦葺、総檜造。平成七年 (1995年) 再建。







▼講堂中央不二の間に本尊阿弥陀如来坐像が祀られています。







▼不二の間の左右の部屋には田渕俊夫さんの「四季墨絵」
 墨の濃淡だけで表現する驚異的な世界、もの凄い描写力に言葉も出ません。













▼書院にやってきました。部屋から見る前庭、残念ながら治水工事のため池の水は抜かれてています。 













▼書院の障壁画です。見れるのは総てレプリカ。本物は収蔵庫で。







▼長谷川等伯の「楓図」  







▼長谷川久蔵の「桜図」  







▼宸殿。こちらのお部屋で堂本印象さんの障壁画を見ることが出来ます。宸殿は通常拝観出来ません。







▼堂本印象の「松桜柳の図」 







▼堂本印象の「婦女喫茶図」  



印象さん1958年作のこの画、お寺の襖絵にモダン絵画、一見ミスマッチ感で当時批判も有ったらしいですが、このアンバランスが
何とも云えない雰囲気を作り出しているように思えます。





▼智積院再興の玄宥僧正に見送られて智積院オシマイで~す。







▼ご朱印です。







仁和寺、平安雅を偲びに。

2019年01月17日 | 京都の古寺巡り





(2019.01.12訪問)


轉法輪寺から仁和寺に向かいます。仁和寺は世に御室桜の仁和寺として超有名ですが、今は冬、華やかな色彩は期待出来ないでしょう。
しかし最高位皇族が過ごした生活空間、平安の雅世界の象徴を時には偲んでみようとあの有名な「きぬかけの路」をものの5分も歩け
ばそこにある仁和寺に向かっております。





            ▼第53回「京の冬の旅」もう一つの告知ポスター。







            [ 仁和寺 ]
            ●山号 大内山 (おおうちさん)
            ●寺号 仁和寺 (にんなじ)
            ●開基 光孝天皇 (こうこうてんのう)
            ●開山 宇多天皇 (うだてんのう)
            ●開創 仁和四年 (888年)
            ●宗派 真言宗御室派
            ●本尊 阿弥陀如来坐像
            ●世界文化遺産 古都京都の文化財として平成六年(1994年)登録
            ▲京都府京都市右京区御室大内335 TEL.075-461-1155
            ▲拝観料 境内自由 御殿500円 霊宝館500円 御朱印300円
            ▲拝観時間 9:00~17:00 12月~2月 9:00~16:30
            ▲HP http://ninnaji.jp/ 
            ▲JR京都駅より市バス26番にて御室仁和寺下車スグ。
             JR京都駅より嵯峨野線(31/32/33番のりば)→JR花園駅下車、徒歩約15分。 
             嵐電北野線 御室仁和寺駅下車 徒歩約2分。 





            ▼門前の寺号大石柱。







仁和寺縁起 (仁和寺HPから抄出)
第五十八代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。光孝天皇は志半ばにして崩御、第
五十九代宇多天皇が遺志を継ぎ仁和四年完成。寺号も仁和寺となりました。宇多天皇は寛平九年 (897年) 譲位、出家し仁和寺第一世
宇多法皇となり、皇室出身者が代々門跡を務め、平安~鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保ちました。応仁の乱で、一山のほ
とんどを兵火で焼失。そんな中、本尊の阿弥陀三尊をはじめ什物、聖教などは仁和寺院家の真光院に移され、法燈とともに伝えられ
ていきました。 応仁の乱から約160年後の寛永十一年 (1635年) 仁和寺第二十一世覚深法親王は、幕府三代将軍家光に仁和寺再興を
申し入れ承諾。慶長時の御所造替で御所から紫宸殿 (金堂) 清涼殿 (御影堂) など建造物が下賜され、正保三年(1646年) 伽藍の再建完
了。創建時の姿に戻ることが出来たのです。





▼仁王門 (重文)。重層楼門、五間三戸、入母屋造、本瓦葺、高さ18.7m。徳川三代将軍家光の寄進。
 珍しい写真が撮れました。門前にタクシーがいない、通行車両が映っていない、石段上に人がいない。撮影時間にしては通常考え
 られないことなんです。







▼時間差2分後。







▼仁王門初層右脇の阿形金剛力士。







▼吽形金剛力士。







▼仁王門からの境内。柱の太さが目立ちますネ。







▼参道と云うよりも広場ですネ。







▼ピンクの中門です。三間一戸、シンプルと云えども八脚門、切妻造、本瓦葺。







▼今は見る影もナシ、御室桜園。







▼観音堂 (重文)。永らく覆屋に囲まれていた観音堂が修復修理を終えています。
 内部には彩色が鮮明に残る壁画が残っているそうですが内部拝観は出来ません。







▼内部須弥壇に祀られる本尊千手観音とその眷属たち。壁面の壁画も彩色鮮明ですネ。







            ▼本尊千手観音立像。



            (上記2点の写真はネットからもらってきました)

            非公開文化財特別公開と銘打っているのなら何故コノ観音堂、公開しないんでしょうか。
            




            ▼五重塔 (重文)。
             総塔高36.18m、一辺5.91m、寛永二十一年 (1644年) 建立。
             塔内部には大日如来、その周りに四方仏が安置されています。







▼五重塔扁額は梵字でアーク、胎蔵界大日如来を表しています。







            ▼五重塔。







▼参道途中で唯一見つけた可愛いピンク。

              





▼金堂 (国宝)。桁行七間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。
 前面総て蔀戸、御所の内裏紫宸殿を寛永年間 (1624~1643年) に移築したそうです。
 金堂へは入堂可能、中で係の方がガイドをしてくれます。残念ながら祀られている三尊は本尊ではなく仮の三尊、本物は霊宝館に
 居られるそうです。(霊宝館は春秋年2回の開館)







▼金堂正面。







こちらが本物の本尊阿弥陀三尊です。

▼本尊、阿弥陀三尊の中尊の阿弥陀如来坐像 (国宝)。







            ▼左脇侍、観音菩薩立像 (国宝)。







            ▼右脇侍、勢至菩薩立像 (国宝)。



            三尊とも剥落がヒドイですがジックリ見ると可愛いお顔です。

            (写真は三点とも、BS11京都国宝浪漫、仁和寺から複写)





▼金堂。







▼経蔵 (重文)。方三間、宝形造、本瓦葺。
 寛永~正保年間の建立。正面に両開きの板唐戸、左右に花頭窓を付け、禅宗様で統一されています。







▼内部壁画。







            ▼内部中央には八面体の回転式輪蔵を設置。

  





▼経蔵。







▼鐘楼 (重文)。入母屋造、本瓦葺、上層は高欄付。







境内から平安の雅、御室御殿へ向いましょう。

▼参道に面した勅使門。この門からは入れません。四脚唐門、前後に唐破風、入母屋造、檜皮葺。大正二年(1913年)建立。







▼どうやら御殿内は修復工事中のようですネ。







▼大玄関への参道、両脇の這松は相変わらず綺麗に植栽されてます。







▼大玄関。







▼玄関先には金屏風に御室流生花。






以下御殿内は建物修復中などで、ビニールが被さり建物やお庭の写真撮影が困難、掲載写真極少です。

▼宸殿前庭から勅使門。







▼宸殿のお部屋、これぞ平安の雅。襖絵、壁画は原在泉画伯の花鳥山水画で飾られています。







▼宇多法皇の掛け軸。







▼霊明殿。







▼霊明殿須弥壇。本尊 薬師如来坐像 (国宝) は秘仏。







▼唯一撮れたお庭。







▼ご朱印です。






高位門跡寺院の「非公開文化財特別公開」ということで、期待ワクワクでここ仁和寺を訪ねたのですが、今回ほど気分的モヤモヤが
後を引いたのは珍しい。入れないお堂、見れない本尊、修復工事中の境内と不満を言えばきりがないが、お寺も「非公開文化財特別
公開」と云う言葉をもう一度考えていただきたいのが今回の仁和寺拝観感想でした。



轉法輪寺、御室大仏は京一です。

2019年01月14日 | 京都の古寺巡り





(2019.01.12訪問)


新春10日から恒例の第53回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開が15カ寺で実施されています。
今日はその第一弾として御室大仏の「轉法輪寺」と門跡寺院の雄「仁和寺」の二カ寺を訪ねてみることにしました。冬とは云え京の
賑わいはさぞやと思いましたが、やはり冬は京のお寺と云えどもさすがに人影まばら。これはチャンス、思う存分見てやろうで先ず
は「轉法輪寺」を訪ねました。





                ▼第53回 京の冬の旅 轉法輪寺特別公開ポスター。







                [ 轉法輪寺 ]
                ●山号 獅子吼山 (ししくさん)
                ●寺号 轉法輪寺 (てんぽうりんじ)
                ●宗派 浄土宗 (じょうどしゅう)
                ●開基 関通上人 (かんつうしょうにん)
                ●開山 岱中良定 (たいちゅうりょうじょう)
                ●創建 宝暦八年 (1758年)
                ●本尊 阿弥陀如来坐像
                ▲京都市右京区龍安寺屋山田町2 TEL. 07-464-2668
                ▲拝観料 境内自由 朱印 300円
                ▲時間 10:00~16:30
                ▲https://tenpourinji.com
                ▲嵐電北野線「御室駅」または「妙心寺駅」下車 徒歩約12分
                 市バス26系統 「御室仁和寺」バス停下車 徒歩8分
                 市バス59系統 「塔の下」バス停下車 徒歩5分





▼本尊阿弥陀如来。







轉法輪寺縁起 (轉法輪寺HPから抄出)
當山開基、関通上人は洛陽にある轉輪寺におられ、專修念佛の法門を説いていましたが、その地の狭隘を感じ寺地を探しました。そ
んな時一条通りの突き当たり北野の地に気づき「この所こそ求むる西方にして、究竟一乘の浄土門弘通に最も適せる勝地なり」宝暦
六年、円通寺というお寺を譲り受け、彼と此との寺名を換えて、そこに轉法輪寺を創建。宝暦八年四月、堂宇の竣工と本尊阿彌陀如
來の新彫成り開眼供養並びに入佛大會の法要を勤修、ここに轉法輪寺の歴史が始まります。





           ▼開基関通上人の名と寺号を刻した石柱が立っています。相当酷い汚れが目立ちます。







           ▼続いてこんな石柱、殺生禁止、臭きもの、酒肉ここより入るべからず。







▼鐘楼門。







▼袴部分の白い漆喰が存在感を示す大きな鐘楼門です。上層に高さ九尺、直径四尺二寸、重量一千貫の巨大な梵鐘が吊られ
 ています。







▼鐘楼門上層。大梵鐘が見えないのは惜しいことです。







▼これがすんなり読めたらいいんですがネ、山号が書かれた扁額です。







▼鐘楼門。







▼山門トンネル。トンネルを抜けると境内です。







▼堂々の手水鉢。

      





▼本堂です。右下のテントで入山受付。

     





▼凝った扁額は寺号が書かれています。







▼御室大仏、本尊阿弥陀さんです。像高750cm、寄木造、仏師不祥、宝暦八年1758年造像。







▼なにしろデッカイ、丈六どころではありません、なんと坐像で像高二丈四尺7.5mです。もしこの阿弥陀さんお立ちになると15m、
 長谷の観音さんより背が高いことになります。日本一の木造仏像、御室大仏と云われる由縁です。







▼この阿弥陀さんには大きな特徴があります。衲衣の着方が両肩を覆う通肩。通常右肩を出し左肩だけ掛ける偏袒右肩が多いですネ。
 そして衲衣の皺が翻波式の見本のようで見事です。







▼横顔もまた魅力イッパイ。







▼本堂後堂には袴を付けた阿弥陀如来立像がお立ちです。実はこの阿弥陀さん裸で○ん○ん丸出し、あんまりなので袴を付けてるそう
 です。裸形阿弥陀如来立像。日本で五体の一体だそうです。像高90cm、一木造、仏師賢問子、江戸時代。







▼ウ~ンうっとり、恍惚のお顔。







           ▼本堂壁面に釈迦涅槃図。縦5.3m、横3.9mの大作。







▼この本堂、下層両端に火頭窓、中々珍しいそうですヨ。







▼本堂前に小さなお庭。







▼仏旗を掲げた西門からお暇。







▼ご朱印です。




轉法輪寺 オ シ マ イ。

何を隠そう今日訪ねたここ「轉法輪寺」と次に訪ねる「仁和寺」は過去何度か訪ねているお寺なんです。恒例実施されている非公開
文化財特別公開で毎年数カ寺が公開されますが過去公開寺院全てを訪ねたことがありません。ここで一つ、今年は15カ寺全部を廻っ
てやろうと一大決心、決心はすぐに崩れるボクなんですが、さて完全制覇出来るかどうか、この際未訪問、既訪問関係なしにやって
みようじゃないか。と思ってます。

曼殊院門跡、一人の天才のプロデュース。

2018年11月26日 | 京都の古寺巡り





(2018.11.21訪問)


今日は久々に修学院辺りを歩いてみようと、叡山電車でやってまいりました。
「ふとん着て寝たる姿や東山」その東山三十六峰の一つ、修学院山麓のそぞろ歩きです。付近には修学院離宮を始め赤山禅院、林丘
寺、曼殊院門跡、詩仙堂丈山寺、金福寺、狸谷山不動院など名だたる古刹が甍を並べています。その中の一つ曼殊院門跡を訪ねてみ
ることにしました。
曼殊院門跡中興の祖、良尚法親王は歌道、書道、茶道、華道、香道、絵画をはじめ建築学や作庭に通じ、大書院や小書院など書院建
築そして庭園造園をリード、その識見、創造力は江戸初期のただ者ではないスーパーマンのような人のようです。その天才がプロデ
ュースした曼殊院門跡、数々のアートを随所に見ることが出来るそうで、門跡寺院のアート探検とシャレましょうか。





▼三々五々参詣者が行く、染まりだした参道。







[ 曼殊院門跡 ]
●寺号 曼殊院門跡 (まんしゅいんもんぜき)
●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
●開山 是算国師 (ぜさんこくし)
●創建 天暦元年 (947年)
●中興 良尚法親王 (りょうしょうほっしんのう)
●本尊 阿弥陀如来坐像
▲京都市左京区一乗寺竹之内町42 電話/075-781-5010
▲拝観料 600円
▲叡山電鉄 一乗寺駅または修学院駅下車徒歩約20分
 市営バス JR京都駅から5番、地下鉄北大路駅から北8番、その他31・35・65番系統、地下鉄国際会館駅より  
 5・31・65番系統で一乗寺清水町下車、東へ徒歩20分





▼山門並びの参道。ここは見事な紅葉。







曼殊院門跡縁起 (曼殊院HPより抄出)
延暦年間 (728~806年) 宗祖伝教大師最澄により、鎮護国家の道場として比叡の地に創建されたのが曼殊院のはじまりである。その
後、天暦年間 (947~957年) 是算国師のとき比叡山西塔北渓に移り、「東尾坊」と号した。また、この国師が菅原家の出生であった
ことから、北野天満宮が造営されると初代別当職に補され、以後明治維新まで北野別当職を歴任することになる。寺では是算国師を
曼殊院初代としている。天仁年間 (1108~1110年) 八代忠尋大僧正が寺号を「曼殊院」と改め、北山に別院を建立された。そして明
暦二年 (1656年) に二十九代良尚親王が入寺され、現在の地に堂宇を造営したのが今日の曼殊院である。





▼右に勅使門。







▼左に山門、拝観通用門です。







            ▼門札も貫禄の筆蹟です。







▼難しい読ですが「その奥に媚びんよりは、むしろ竃に媚びよ」良尚さん筆の庫裡玄関の扁額「媚竃(びそう)」 







▼書院途中の中庭。







▼大書院 (重文) 十雪の間。本尊阿弥陀さんが祀られています。







▼大書院から見るお庭。







▼扁額松花堂昭乗筆「閑静亭」







▼五葉松も見事に成長してます。







▼蹲踞。







▼宝来山を表現したお庭。







            ▼燈籠。曼殊院「五基八燈の灯籠」の一つといわれる三重塔型灯籠。







▼小書院 (重文)。







▼小書院前庭。 













▼鉢と受け石は亀、奥石が鶴を表す蹲、いわれれば何となくそんな感じがします。







▼扁額「塵慮尽」よこしまな心を払い取り除けという意味だそうです。







▼小書院富士の間と黄昏の間を仕切る菊透かしの欄間。







▼小書院黄昏の間の曼殊院棚。右は玉座。







▼赤のグラデが相当染まって来ています。







▼丸い刈り込みがお庭の変化。







▼お庭三態。 



















▼護摩堂がひっそりと。方三間、宝形造、桟瓦葺。明暦二年 (1656年) 建立。毎月28日護摩法会が行われます。







▼境外弁天池の紅葉を愛でながら曼殊院オシマイです。


















お庭をはじめ建物や室内の凝った設えや調度、さすが良尚法親王のプロデュース、天台五箇室門跡の一つとしての格式を強烈に感じ
る古刹です。お庭に下りること、歩くことは当然出来なく、全てが書院からの観賞、これだけのお庭を、門跡寺院の感性を味わいな
がら歩いてみたい、そんな気持ちを抑えながらの名庭観賞、縁先にしばらく釘付けでした。