(2016.09.17訪問)
少々寂しかった法華寺を後にして、コスモスの般若寺に向いましょう。コスモス咲いているかナ、どうかな……。
ボクの場合、花はなくてもいいんです。コスモスが咲いてなくても決してショックは受けません。あの後醍醐天皇の思いが凝縮され
た著名な本尊文殊さんに会いに行くんですから。
▼コスモスの主張「期待しないでネ」
[ 般若寺 ]
●山号 法性山 (ほうしょうざん)
●寺号 般若寺 (はんにゃじ) 愛称コスモス寺
●宗派 真言律宗 (しんごんりっしゅう)
●開基 不詳
●創建 不詳
●本尊 文殊菩薩騎獅像 (重文)
▲奈良県奈良市般若寺町221 電話0742-22-6287
▲拝観料 500円 朱印300円 秋のシーズン中は駐車場は500円
▲拝観時間 9:00~17:00
▲http://www.hannyaji.com
▲関西花の寺二十五霊場第十七番札所
▲近鉄「奈良駅」「JR奈良駅」から青山住宅行バスで「般若寺」下車徒歩3分
阪神高速→第二阪奈道路「宝来IC」→奈良公園方面県庁東左折→369号線→754号線→般若寺
▼楼門 (国宝)。
般若寺縁起 (般若寺HPから抄出)
日本三論宗の初祖高句麗の僧、慧潅法師がこの地に瑞祥を見て「般若台」と号する精舎を開創。天平十八年(735年)聖武天皇が平
城京の鬼門鎮護のため紺紙金泥の[大般若経]六百巻を地中に納め、卒塔婆をはじめ伽藍を整え勅願寺としそのとき経題に因み「般若
寺」と命名。寛平七年(895年)観賢僧正が学僧千人を集め学問寺の名声を高め、長らく繁栄を誇ったという。治承四年(1180年)
平重衡の南都焼き討ちによりこの地は合戦場となり伽藍は焼亡した。鎌倉時代、礎石のみが残る廃墟の中から復興。
文永四年 (1267年) 観良房良慧上人の発願で西大寺の律僧たちの協力を得て金堂や講堂、三面僧房など七堂伽藍が復興され、同時に
興正菩薩叡尊上人が発願の丈六文殊像を開眼供養する。
▼寺号が書かれた楼門扁額。
▼楼門 (国宝)。一間一戸、上層三間、入母屋造、本瓦葺、鎌倉時代後半。
▼残念ながら楼門から入山出来ません。
▼駐車場から入山受付の小道に彼岸花が満開です。
▼西国三十三カ所観音石仏が並んでいます。なぜか八重の山吹が、季節が変なら花までもかナ。
▼大きさどれ位の睡蓮に見えます? ちなみに葉は3〜4cm位。
▼西国三十三カ所観音石仏です。ここにも山吹が僅かに。
▼観音石仏越しに般若寺のシンボルが。
▼鐘楼。
▼出ましたコスモス! ア〜アパラパラ咲き。
▼本堂と石仏。
▼本堂の定番写真。もう少し日を下さいとコスモス蕾が云ってます。現在2〜3分咲き。
桁行五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。寛文七年 (1667年) 再興建立。
▼本尊 文殊菩薩騎獅像 (重文)。
後醍醐天皇の思いがこもった文珠さん。慶派仏師康俊。
元享四年 (1324年) 造立。
この文珠さんの勇姿、小さいながら決して快慶さん作には負けない堂々の文珠さんですネ。長らく経蔵の秘仏とされていたが、
本堂再建により本堂の本尊とされ開扉されたので古色がよく残り美しい姿を今見ることが出来るのです。
(本尊写真はネットからもらってきました)
▼十三重石塔(重文)。胴部東西南北に四方仏が刻されています。
▼東方薬師如来坐像。
▼一切経蔵(重文)。
▼経堂横にヒッソリと三界萬霊碑。
▼彼岸花。
▼笠塔婆(重文)。宋人石工が建てた父母の供養塔。下部には東大寺再建の事績が刻されています。
▼彼岸花。
▼孤高。
▼コスモスに埋もれたお薬師さん撮りたかったなァ。
▼300株の秋海棠見頃です。
▼お釈迦さんもピンクのコスモス待ち遠しいでしょう。
▼睥睨。
▼名前が判りません。
▼ご朱印です。
と云う訳で、コスモス寺もピンクで埋もれるのはまだ少々先。しかしさすが花の寺の札所、秋の花々、彼岸花や秋海棠は今や見頃で
しばらく続きそう、季節外れの山吹も見れますよ。お花ファンの方10月早々の狙い撃ち計画をしてはいかが。
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