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(2011.02.26 訪問)
音羽山観音寺から多武峰談山神社まで約15分、県道37号から県道155号明日香
方面へ入り少し行くとすぐ談山神社です。
だいたい明日香へ向かうクルマがいません。錦秋もみじのシーズンと違って駐車
場にはクルマの影なし、二番目に近いバスパーキングに停めましたがボク一人で
した。
▼談山神社のシンボルタワー、十三重塔の宝輪。
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談山神社縁起(談山神社HPから抜粋)
舒明、皇極天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしい
ままにしていました。たまたま飛鳥の法興寺で蹴鞠会があったとき、鎌足公は聡
明な皇太子として知られていた中大兄皇子にまみえることができ、西暦645年の
5月、二人は多武峰の山中で大化改新の談合を行いました。後にこの山を談い山、
談所ヶ森と呼び談山神社の社号の起こりとなりました。鎌足公は真の日本国を発
想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。天智
天皇8年(669)鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞
い大織冠を授けて内大臣に任じ藤原の姓を賜りました。鎌足公の没後、長男の定
慧和尚は留学中の唐より白鳳7年(678)帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、
十三重塔を建立し妙楽寺と称しました。大宝元年(701)には神殿が創建され、
鎌足公の御神像をお祭りしたのが談山神社の始まりです。
皆さんよくご存じのお話です。が史学的定説と合わないところはご愛嬌としてお
きましょうネ。
▼正面鳥居。
シーズンオフはここから入れません。本殿まで140段の石段を登らなくて良かった
ラッキー!
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▼神社石標。
何でもかんでも囲いがしてあります。イヤですネ~
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▼神廟拝所(重文)。
旧講堂。鎌足さん長男定慧さんが父供養のため創建した妙楽寺の講堂。江戸期再建。
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▼神廟拝所の内部。
真ん中の白い幕の中に鎌足さんの御神像が安置されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/34/d38c2b3daae5ee6c603d192337a2914b.jpg)
▼末社、総社本殿(重文)。
江戸期に造り替えられた本殿を移築。日本最古の総社らしいです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/9c/2e30998a3366041e0075b9c35d74f342.jpg)
▼閼伽井屋(重文)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/50/76805fdde353897c16777869bf9f2b39.jpg)
▼末社、比叡神社本殿(重文)。
一間社流造、檜皮葺きの小さな社ですが、唐破風付きの豪華な社です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/91/3ca1e106cb75de9bc3fe3591cd50eea2.jpg)
▼十三重塔(重文)。
なんといっても談山神社の顔。定慧さんが父供養のため創建した塔。江戸期再建。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/93/f9280ca0e72fb68de6a9f4db1289bf2e.jpg)
▼楼門(重文)。
檜皮葺き、二層の堂々とした楼門です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/62/806dccc214e4006af39f356f4aab539b.jpg)
▼楼門と左は西宝庫(重文)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/c0/23ac275fa05c6ff5a7a1d33b4715042f.jpg)
▼拝殿(重文)。
こちらが南面の正面。直ぐ下が崖になっていますので建物は舞台造りです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/c2/2a2a9612f383221a02ed958872937917.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/0f/fe2f9e479c240f47a5ea6f187ac15756.jpg)
神社正面の石段を登りきった所から見た拝殿。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/0d/eb57982f3faaad69fe08a25735997896.jpg)
▼拝殿に展示されている多武峰縁起絵巻の部分。
蘇我入鹿暗殺の図。日本史の教科書でもおなじみであり、大化改新のクライマッ
クスともいえる板蓋宮における暗殺の場面です。太刀を振り上げているのが中大
兄皇子、弓を手にしているのが鎌足公です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/85/859c695318eabe534b4cea6b228ffed9.jpg)
多武峯縁起絵巻は、藤原鎌足公の誕生にはじまります。長じて中大兄皇子にまみ
え、当時の最高権力者、蘇我入鹿を倒して大化改新の偉業を遂げたのち、鎌足公
の没後、長男の定慧が多武峯に十三重塔を建立、やがて談山神社本殿にまつられ
る談山神社の縁起を描いたものです。
(談山神社HPから抜粋)
▼拝殿透廊(重文)。
周囲を回廊が巡っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/95/6e8232a9c1773b1f1a520dff952262f9.jpg)
▼拝殿から本堂(重文)。
現在本殿修理工事中。鎌足さんを祀る旧別格官幣社。春日造りの朱極彩色の豪華
な社。大宝元年(701年)創建、現在の本殿は江戸末に造り替え。
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▼摂社、東殿(重文)。
鏡女王、定慧さん、不比等さんを祀っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/ff/6cf80745d9b8a9eea52b1ef24fef5077.jpg)
朱塗り重文建物オンパレードの境内です。
元々は妙楽寺というお寺だったらしいですが、大宝元年に鎌足さんを祀る神殿を
建てたことが神社としての始まりらしいです。真偽は不明ですが、神仏習合の最
たる例ではないでしょうか。十三重塔、旧講堂、楼門等にお寺の香りが残ってい
ますが、なんと云っても藤原氏の栄華の元は鎌足さんその人、鎌足信仰が連綿と
続く神社でした。
▼駐車場から見た東の山並。越えれば宇陀です。
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