今新潮新書の「大人の見識」という本を読んでいます。著者は阿川弘之氏で阿川氏はこの本の96ページで非常に興味深い話を述べているんです。ちなみに章の名前は「海軍の伝統」になります。かいつまんでお話しますね。
海軍の技術系仕官の採用試験で「蟻の歩くスピードは何ノットか?」という問題が出たそうです。この問題真剣に解いても意味はないそうで、例えば「世界には4千種類の蟻がいますが、どの蟻をスピードをお答えしましょうか。」と答えると、点数がぐっと高まるのだそうです。
以前これと同様の話をフローラン・ダバディ氏も語っていました。
確か大学か専門学校の入学試験の話だったと思います。試験管が受験生に、「ヨーグルトの作り方を説明してください。」と尋ねます。生徒は今の海軍の話のように、作り方を述べても点数は稼げないんです。例えば「ヨーグルトには市販の品、家庭の品がありますがどちらについてお答えしましょうか?」と聞き返すと、非常に高い評価あるそうです。
つまり人間いかに「機転が大事か。」というエピソードをおふたりは僕たちに語っているわけです。阿川氏は「叡智」という言葉を用いています・ダバディ氏の故郷フランスでいう「エスプリ」は、このことを指しているのでしょう。
日本サッカーも「叡智」で勝利をおさめたことがありますよね。
2004年のアジアカップ対ヨルダン戦がそうですね。PKにもつれ込んだこの試合、日本がキッカーに指名した三都主と中村が足を滑らせ失敗していく中、主将の宮本が「公平を欠いている」と審判に逆サイドでのPKを提案し、審判も宮本の意見を受理し日本が勝利した試合は、まさに「叡智」によってもたされた勝利といえます。
ワールドカップ南アフリカ大会も日本には「叡智」が必要なはずです。
まず対戦相手に最低限の敬意を払う事は当然でも、必要以上に怖れることはないはずです。そして昨年のオランダ戦のように、90分通じてのプレスが目的になってはいけません。そんなことをしては予選3試合通じて体力がもちません。あくまでプレスは日本が「ゴール」を得るための手段でなくてはいけません。ですからプレスをかける時間と、自陣でボールを回したり、時にはロングボールを供給するなど、プレスを引き立てるボールを織り交ぜる必要があります。
極端な話前半の早い段階でカードが提示されるくらいの厳しいタックルを相手に見舞い、その日の審判の判定の基準をみてもいいと思います。反則をおかしてもいいという意味合いではなく、判定の基準を選手が認識する事で、後の試合展開の参考にしてもらいたいだけなんです。
「日本ここにあり」という姿が見られれば、嬉しいに決まっていますからね。
海軍の技術系仕官の採用試験で「蟻の歩くスピードは何ノットか?」という問題が出たそうです。この問題真剣に解いても意味はないそうで、例えば「世界には4千種類の蟻がいますが、どの蟻をスピードをお答えしましょうか。」と答えると、点数がぐっと高まるのだそうです。
以前これと同様の話をフローラン・ダバディ氏も語っていました。
確か大学か専門学校の入学試験の話だったと思います。試験管が受験生に、「ヨーグルトの作り方を説明してください。」と尋ねます。生徒は今の海軍の話のように、作り方を述べても点数は稼げないんです。例えば「ヨーグルトには市販の品、家庭の品がありますがどちらについてお答えしましょうか?」と聞き返すと、非常に高い評価あるそうです。
つまり人間いかに「機転が大事か。」というエピソードをおふたりは僕たちに語っているわけです。阿川氏は「叡智」という言葉を用いています・ダバディ氏の故郷フランスでいう「エスプリ」は、このことを指しているのでしょう。
日本サッカーも「叡智」で勝利をおさめたことがありますよね。
2004年のアジアカップ対ヨルダン戦がそうですね。PKにもつれ込んだこの試合、日本がキッカーに指名した三都主と中村が足を滑らせ失敗していく中、主将の宮本が「公平を欠いている」と審判に逆サイドでのPKを提案し、審判も宮本の意見を受理し日本が勝利した試合は、まさに「叡智」によってもたされた勝利といえます。
ワールドカップ南アフリカ大会も日本には「叡智」が必要なはずです。
まず対戦相手に最低限の敬意を払う事は当然でも、必要以上に怖れることはないはずです。そして昨年のオランダ戦のように、90分通じてのプレスが目的になってはいけません。そんなことをしては予選3試合通じて体力がもちません。あくまでプレスは日本が「ゴール」を得るための手段でなくてはいけません。ですからプレスをかける時間と、自陣でボールを回したり、時にはロングボールを供給するなど、プレスを引き立てるボールを織り交ぜる必要があります。
極端な話前半の早い段階でカードが提示されるくらいの厳しいタックルを相手に見舞い、その日の審判の判定の基準をみてもいいと思います。反則をおかしてもいいという意味合いではなく、判定の基準を選手が認識する事で、後の試合展開の参考にしてもらいたいだけなんです。
「日本ここにあり」という姿が見られれば、嬉しいに決まっていますからね。