塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

独占供給という形を考える

2020-03-13 20:26:00 | 日記
 僕は経済学、経営学のどちらにも疎いのですが「独占」が持つ市場原理は、何となくわかります。

 つまり、ある市場を一つの企業が支配下に置き、他のブランドの侵入を契約上防ぐことができる、つまり売上からコマーシャル、企画までを全て自社で賄える、「独占」というわけですね。

 2002年、リーボックがNFLと10年に渡る異例の長期契約を結ぶことで、米国で一番人気の競技をサポートする形になりましたが、以後も同様の事例はあります。

 NBA アディダスとの一括契約が現在ではナイキに変更
 MLS アディダスから一括供給
 NFL リーボックからナイキへの一括供給に変更

 米国は2次大戦以降、共産主義のように「行き過ぎた平等」にアレルギーを感じていますから、米国でこのような独占が人気リーグで見られることは、どこか不可解な気もします。

 NBAでは過去、チャンピオンがジャージを提供し、一時期はそこにスターターとプーマが加わる3分割方式という、実に珍しい形があったと記憶しています。

 大リーグですとマジェスティックの人気が高く、日本ではライオンズがマジェスティック、ジャイアンツはアディダスから現在はアンダーアーマーに変更となっています。

 ナイキは中国スーパーリーグも独占でジャージの提供を行っていますが、この独占ができる、出来ないの線引きがどこにあるのかは、さすがにわかりません。

 ただ、一般論としてジャージの契約は各クラブが基本となるのは間違いありません。

 Jリーグが当初、ミズノから一括供給を受けていたのは、恐らくリーグが成功するかしないかわからず、ますは護送船団方式をとるしか方法が無かったため、と推測します。

 今はそのミズノだけでなく、多くのブランドが参入する形となり、今季はそこにケルメが加わります。

 そのうちホマやエレアなども加わるかもしれませんよ。
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コンバースの事例をもとに

2020-03-13 20:07:31 | 日記
 先日、NBAゴールデンステイト・ウオリアーズに在籍するドレイモンド・グリーンが、コンバースと契約に至ったことが明るみになりました。

 現在リーニンと生涯契約を結んでいたドウエイン・ウエイド。

 彼はレブロン・ジェームズ、カーメロ・アンソニーと同じ2003年にNBA入りし(既に引退を表明)、コンバースと契約します。

 2006年にコンバースは彼専用のバッシュ「ウエイド」を発表、素晴らしいセールスを記録し同時に在籍するマイアミ・ヒートで全米王者に輝きます。

 その後もコンバースはウエイド専用の靴を開発、提供しますが親会社であるナイキの一部門、ジョーダン・ブランドへ移籍し最終的にはリーニンを愛用する形となりました。

 ドレイモンド・グリーンがコンバースと契約したことは、このウエイド以来の名手との契約締結と意味合いもありますが、老舗が遂にオンコートで再度輝くかどうか、と言う意味合いもあるわけです。

 ウエイドとの契約を終えても、アンドレ・ミラーのように契約選手は存在しましたが、縁の下の力持ちと感じる選手が多かったのです。

 ですから僕の希望にすぎませんが、サッカー・スパイクの世界で一世を風靡したフィラやリーボックが、またサッカー界に再参入しないかな、と思う時があります。

 リーボックは米国ワールドカップでロシア代表にジャージを提供し、マルティン・ダーリンやデニス・ベルカンプなど、名選手と契約を交わした実績があります。

 フィラもファッシノのアッパーには、「ケブラー」を用いる斬新な発想を用いましたし、日本のファンは近年の復刻版も含めて

 1998年 中田英寿 フランス・ワールドカップ
 ペルージャ初年度 ローマへ電撃的な移籍

 をよく覚えていますよね。

 再参入は僕が思うほどたやすいことではありませんよね。

 あくまで僕の希望的観測です。
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迷いが無いことは運命であること

2020-03-13 19:42:30 | 日記
 服飾評論家の長谷川喜美の著作を僕は2冊所有しています。

 いずれも万来舎から出版されている「ビスポーク」「サルトリア・イタリアーナ」になりまして、読む価値は間違いなくあります。

 長谷川さんがコラムを寄稿した男性誌「フリー・&・イージー 2014年1月号」の中で

 「選択肢がないことは迷いがないこと」

 という一文を確認できます。

 これは「ジェントルマンのコート学 真摯らしい紳士のコート」の中で、冒頭はチェスター・フィールドコートについて述べ、後半にゆくとアランセーター、つまりアイルランドの漁師が着用したセーターへと変化します。

 この地で男性は基本、漁師になることでしか生計が建てられない、従って

 「その土地に生まれて仕事を全うして死んでゆく」
 「その生きざまが彼らの表情から伝わってきました」
 「いい仕事をしている男性は、何を着ていても格好良く見えます」

 とコラムは綴られるのですが、ドミニカ共和国の少年が大リーガーを目指すのも同じではないでしょうか。

 彼らからすれば、大リーグでプレイし大金を得る、そして両親を養うという感覚を失うことは無いのですね。

 1998年、マーク・マグワイアと並びホームランをかっ飛ばしたサミー・ソーサはドミニカの出身だったはずですが、彼のようなホームランバッターは、ドミニカの少年たちにとって身近な夢であり続ける。

 だからこそ木の枝をバット替わりにスイングするのでしょうね。

 ブラジルやパラグアイですと、当然サッカーになります。

 ガリンシャのように恵まれた才能を持ちながら、識字率を得ておらずフロントの食い物にされた、悪しき事例もありますが、いつの時代でもセレソンのジャージは子供たちの憧れです。

 ジーコが努力を重ねて、ひ弱な体を強くした
 カフーのように、ワールドカップ優勝経験者でも、クラブの入団テストには幾度も落選した
 パウリーニョのように、世界を転々としてもワールドカップにエントリーできた

 このような話がおとぎ話ではなく現実であること。

 これもまた、子供たちを勇気づけているに違いありません。

 
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