塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

英雄が古巣に復帰すること

2020-03-07 20:46:01 | 日記
 長野パルセイロ・レディースに泊志穂が復帰したことで、ファンの多くが安心感を得ました。

 場数を踏んだ選手が先発に名を連ねることは、若い選手が頭に血が上った際にたしなめることができますし、粗削りの点をどう磨けば長所として伸ばせられるかを一緒に考えることができます。

 アルゼンチンではこの事例が顕著であり

 ファン・リケルメ ビジャレアルからボカへ
 カルロス・テヴェス ユーヴェからボカへ
 ディエゴ・ミリート インテルからラシンへ

 という具体例が挙げられます。

 その中でもインテルからエススティアンデスに復帰したファン・ベロンが、その年のコパ・リベルタドーレスで見事優勝を勝ち取ったように、高給というだけでベテランを阻害すること。

 コストカットが必要なことはわかりますが、判断は冷静になるべきですよ。

 もし仮にCR7が現役最後を米国やアジアではなく

 「スポルティング・リスボン」
 
 で終えたならば、ファンはもう拍手喝采ですよね。

 仮に実現すれば宿敵ベンフィカとのダービーは白熱間違いなしでしょうし、ポルトとの一戦も当然ですが熱を帯びます。

 ロナウドがユヴェントスとの契約を終えた後、どのような形を模索するのかは定かではありません。

 一方でロナウドだけでなく、一時代を築いた名手がどのような形で現役を終了するのか、この点は永遠のテーマと言えそうです。

 僕の勝手な想像ですが、イニエスタは将来、神戸の監督として日本に戻ってくる気がします。

 そう、ピクシーを常に愛した名古屋の人々のように

 
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アンドレア・アニエッリという若き経営者

2020-03-07 20:23:14 | 日記
 現在ユヴェントスの最高経営責任者を務めるアンドレア・アニエッリは、1975年生まれの若き存在です。

 僕は1976年生まれですので、年齢はわずか一つしか違いませんが、こうも歩む人生が異なるものかと思いますね。

 アニエッリ家という欧州屈指の名門
 ユヴェントスというイタリアの代名詞
 1996年以来となるチャンピオンズ・リーグ獲得へ

 彼の両肩にかかる重圧は、尋常でない事だけは間違いありません。

 フットボリスタ2019年3月号は

 「総力戦となった現代サッカー フロントの哲学=チームの強さ」

 というテーマで記事が進みます。

 表紙を飾るのはふたり、左側にアンドレア・アニエッリ、右側にhがCR7が確認できます。

 このフットボリスタでは

 1・スーパー・メガクラブはバイエルン、レアル、バルサとユナイテッドの4クラブで売上高は6億ユーロを超える
 2・メガクラブがシティ、アーセナルなどで売上は4億ユーロ以上

 とあり、現在のユヴェントスは「2」のメガクラブとして記載されています。

 毎年デロイトが売上の統計を発表しますが、これはあくまで成績ではなく、クラブの売上だけに的を絞った価値です。

 そうでなけれが低空飛行が続くユナイテッドが、スーパーの位置を維持はできませんよね。

 アンドレア・アニエッリがブランド・ロゴを改訂し、ナイキからアディダスへスポンサーを変更、そして背中にサイ・ゲームスのロゴを入れるなど、収支面で様々な手を打ったことは確かです。

 僕はロナウド獲得に費やした金額、442億円と指摘がありますが僕は適正価格だと思いますが、多くの方はチャンピオンズ・リーグに手が届かない限り、失政だと思うのでしょうね。

 つまり、ロナウドが留まるまでがある意味、現在のアニエッリが描く市場拡大の限界点、のように見えます。
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ユヴェントスを支えた二人のアンドレア

2020-03-07 20:00:54 | 日記
 近年イタリアで最も成功したクラブがユヴェントスです。

 アタランタのようにチャンピオンズ・リーグ出場自体が素晴らしいという例外もありますが、ユヴェントスの躍進には二人のアンドレアの存在があります。

 アンドレア・ピルロ 3-3-2-2のレジスタとして不可欠な存在
 アンドレア・アニエッリ 父であるウンベルト以来となるアニエッリ家がユヴェントスの実権を握る

 アンドレア・ピルロを契約違約金無しで獲得できたのは、アンドレア・アニエッリが解雇した、ジュゼッペ・マロッタ(現インテルGM)の影響が濃いのかもしれません。

 ただ、ミランというライバルクラブからの譲渡に加え、彼がアメリカン・フットボールのQBのように、長短織り交ぜたパスワークで前線のカルロス・テヴェスを筆頭に最高の関係性を築く。

 この点は非常に大きかったと思います。

 アントニオ・コンテもこの点は実に聡明で、バーリで手掛けた4-2-4をユヴェントスで強いることはなく、ピルロ、マルキージオ、ポグバなど多彩なMFを活用する。
 
 この最適な回答が3-3-2-2だったと言えます。

 ミランからすれば、イタリア代表に名を残し、2003年と2007年のチャンピンズ・リーグ獲得の立役者を、年齢だけでお払い箱にしたのですから、実に勿体ない事をしたと言えます。

 彼はその後、ニューヨーク・シティに移籍し地味な形で引退しました。

 少なくともミランよりもインテルの方が、歯がゆい思いをした回数は圧倒的に多いのは間違いないでしょうが。

 彼がミランではなく、ユヴェントスに指揮官として復帰する可能性の方が高いと、僕は勝手に推測していますが、希代のレジスタは今後、どのような進路を取るでしょうか。
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