塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

名手が他界することの痛み

2020-12-07 14:43:39 | 日記
 大リーグで通算311勝を挙げたニューヨーク・メッツに右腕、トム・シーヴァ―が今年他界しました。

 その死因が新型コロナウイルスによる合併症ということもあり、大リーグファンは大きく肩を落としたものです。

 僕は以前、よく大リーグ専門誌を読んでいた(今は購入せず簡単に目を通すくらいです)ので、トム・シーヴァ―の事は何となく知っていました。

 しかし、彼の他界に関する報道は恐らく、米国でもニューヨークが中心であり、中西部のカンザス州やミズーリ州、西会胃がんではさほど大きくはなかったのではなかろうか。

 と推測します。

 そこで考えたのが、ディエゴ・マラドーナが心不全で60歳でなくなったこと。

 この事実はアルゼンチンを一瞬に飛び越え、世界中に伝播したのでしょうか。

 それは野球よりもサッカーの方が

 1・単純に競技人口が多い事
 2・単純にプロリーグの数が多い事
 3・単純にワールド・ベースボールクラシックよりも、ワールドカップの方が長い歴史があること

 の3点があります。

 逆にもしも、日本がJリーグではなくJSLのまま今でも運用されていたならば、これだけ大きく扱われることがなかったように感じます。

 ちなみにナンバーは今月23日、ワールド・サッカーダイジェストは今月11に、彼の特別ムックを企画、出版しますが、この事実だけでもマラドーナの訃報が大きいことがわかります。

 僕は今挙げた3点の理由よりも、マラドーナが

 「貧しい家庭に育ったことで、人の痛みがわかること」
 「ワールドカップがまだ、ワールドカップの体をなしていた時代に優勝したこと」
 「今ほど映像解析や配信が進んでおらず、マラドーナのプレイが神秘と言う形であった」

 という点も大きいと思うのです。
 
 ただどんな競技であれ、名手が他界することに寂しさを感じることにちがいはありませんが。
コメント
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