塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

傍流のスパイク、あっても良いですよね

2021-11-17 20:51:24 | 日記
 NBA好きは大抵、選手のバッシュを見ることが大好きですよね。

 それは本流(ナイキやアディダス)だけでなく、傍流(過去でいえばLAギアやカンガルース)を愛用する選手が必ずいるためです。

 1991年NBA新人王はニュージャージー・ネッツに在籍するデリック・コールマンですが、契約するナイキからは自分戦勝バッシュが投入されるとは思えず、振興ブランドの「ブリティッシュ・ナイツ」と契約します。

 ダイマセルと呼ばれる衝撃吸収素材を用いたコールマン専用バッシュの売れ行きがどうだったか、正直わかりかねますがコールマンはこの契約下において、1994年のトロント世界選手権に米国代表として参加します。

 ブリティッシュ・ナイツの靴は案外、侮れない存在だったのかもしれません。

 その2年前に開催されたバルセロナ五輪。

 サッカーではスペイン五輪代表が金メダルを獲得し、契約するケルメの知名度も一気に高まる一方、バスケットボール男子代表チームは、そのバッシュ契約でも大きな話題を提供していました。

 その筆頭が五輪色に施されたナイキ・エアー・ジョーダン7でしたが、ユタ・ジャズから選出されたパワー・フォワードのカール・マローン。

 彼はあの「マイケル・ジャクソン」とも契約を交わしたLAギアのバッシュ履き、見事金メダルを獲得します。

 このころ、LAギアの経営状態は苦境だったようですが。マローンの活躍が延命措置になったようで、契約の重要性が切実に伝わります。

 もし来年のワールドカップにおいて、コンケーブや日本のガビックを履く選手が活躍したら、凄く楽しいと思いませんか。

 1982年ワールドカップではソクラテスの履くトッパー
 1986年ワールドカップではカレカの履くミズノ・モレリア

 の印象は鮮明であり、ナイキやプーマ以外のスパイクがあると、それだけで関心を持てますよ。
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伊東純也、いずれベルギーを離れると思いますが

2021-11-17 20:41:49 | 日記
 ヘンクに在籍する伊東純也。

 日本代表は伊東のヴェトナム代表、オマーン代表との2連戦で2ゴールで勝ち点6を得ることができました。

 オーストラリア代表は敵地での対戦を残していますが、ホームで叩けたことが大きな価値を生み出し、グループBの2位に浮上しました。

 このままワールドカップの出場権を獲得し、伊東も参戦、素晴らしい活躍をすれば、当然ヘンクからの移籍願望が生じると思います。

 そこで重要なのが進路です。

 考えられる進路はいくつかあります。

 1・クラブ・ブルッヘやアンデルレヒトなど、ベルギー国内の名門に移籍
 2・ブンデスリーガ、リーグ1など周辺国のクラブに移籍する
 3・思い切ってスペインやイタリアを目指す

 「1」に関して言いますと、J1ならばサガン鳥栖や湘南ベルマーレの選手が、川崎フロンターレや鹿島アントラーズに移籍すル幼な形ですね。

 UEFAチャンピオンズ・リーグの出場権獲得は常に現実的であり。リーグ優勝も手が届く位置にある一方、国内での移籍ですからヘンクのファンから多くな反発を受ける危険性が高いですね。

 また「2」に関してですが、中堅クラブを目指すのか、手始めに残留が基本路線のクラブかも悩みどころです。

 堂安律がブンデスリーガ、ビーレフェルトに在籍した当時は非常に充実した日々だったようです。

 ただクラブには彼を獲得できる(堂安は保有先のPSVアイントホーウエンからレンタルでの契約)資金が捻出できず、今期は再度エールディビジに戻っています。

 つまり「2」に関して言えば、見極めが非常に大切というわけですね。
 
 またスペインやイングランドを目指す方法もありますが、現実的には「2」が相当するのではないでしょうか。

 伊東のスカウティングには、ブンデスリーガも既に参戦していると思われますしね。
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僕が思うもう一人のモハメド

2021-11-17 20:28:51 | 日記
 北アフリカ屈指の強豪国であるエジプト。

 アフリカ選手権優勝を何度も味わいながらも、ワールドカップには1990年以来出場がなかったことを、多くのファンが不可思議に感じたと思います。

 しかしエクトル・クーペルを代表監督に迎え、28年ぶりとなるワールドカップロシア大会に出場できたことに、選手も協会も安堵したことでしょう。

 ちなみにロシア・ワールドカップでは、イングランド代表が1990年ワールドカップ以来の4強進出を果たしたことも大きな話題でしたが、エジプトはグループリーグでイングランドと対戦しましたね。

 エジプト代表の顔は当然モハメド・サラーです。

 バーゼル、チェルシー、ASローマ、そしてリバプールと地道に研鑽と積んできた彼は、「エジプシアン」の愛称でも知られ、大統領選挙では出馬意思ていないにもかかわらず、サラーの名を記した投票用紙が多々存在したといいます。

 大統領よりもサラーの方が大事、というわけですね。

 実はエジプトにはサラーだけでなく、もうひとりの「モハメド」がいます。

 それは在籍するアル・アハリをアフリカ・チャンピオンズリーグで優勝させ、FIFAクラブ・ワールドカップに参戦したモハメド・アブトレイカです。

 彼がもし10年遅く誕生していれば、ワールドカップだけでなくサラーと共に代表の推進力になったように思います。

 アル・アハリはエジプトの枠を飛び越え、アフリカ屈指の名門として名高いわけですから、アブトレイカの両肩には責任と重圧が常にかかっていたと思います。

 NBAでは殿堂入り選手を指名する際、リーグ優勝の有無を問われることがありますが、サッカーでも同様の見解はあります。

 ただ、仮にワールドカップの出場がなくとも、ファンから愛された選手はたくさんいますし、アブトレイカの存在はエジプトの民を多々勇気づけたに違いありません。
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