日本社会は1945年以降、「年功序列」「国民皆保険」に代表される、安定を国民に与えることで経済発展を遂げました。
そう、今の社会は「安定」がないんですね。
例えば僕は今の勤務先に21年在籍していますが
「この部署が人手不足だから、お前が手つだえ」
「病気で早退する人間がいるから、仕事をかけもちしろ」
と言われたことはありますが、僕が体調不良で帰宅させてほしいと訴えても
「えっ?何で」
「お前の業務誰がすんの」
と言われ、唖然としたことがあることが過去、多々あります。
先日もお話ししましたが、子持ち様や自分が病気で早退する人間がいると仮定します。
ではその方たちがカバーをした僕が病気、もしくは両親に何らかのアクシデントがあった際、僕の代わりに仕事をするのかといえば、まず彼らはしない、さっさと帰宅し、「私の業務もあんたの業務も、あんたが責任を取るんだ」という態度でしょう。
だから子持ち様論争が起きるのでしょうと思うんですよ。
子持ち様は仮に、自分の子供と僕、同時にアクシデントが発生した際、いままで代理をしていた僕の業務を助けず、帰宅することは目に見ています。
結局、安定がないこと、子持ち様は誰かを助ける頻度が少ないで「あろう」点が、話をややこしくしているのではないでしょうか。
プロサッカーでいえば、審判から見覚えのないファウルで一発退場となる理不尽さと同様でしょうか。
VARの導入には現在でも是非がありますし、アジア杯のような国際大会では「中東の笛」と揶揄されるほど審判の判定が、皆目見当がつかないことも多く、日本代表の選手たちが困惑します。
そこには「安定」という、一括した基準がないのではないでしょうか。
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