塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ワールドカップ94におけるブラジル代表の気持ち

2024-11-05 21:20:56 | 日記

 昨日、僕はアイルトン・セナの他界から30年の歳月が流れましたという題目でお話しさせていただきました。

 

 まずご意見ありがとうございます。

 

 この題目へのお返事を綴らせてください。

 

 彼が他界した際、理由がセナ自身のハンドリングミス、つまりレース中に何らかの理由で彼がハンドル操作を誤った、という報道を耳にした記憶が残っていたのです。

 

 ですから、この点を軸に内容を記入した形が昨日になります。

 

 アイルトン・セナの訃報は

 

 1・ブラジル国内で国葬となり、英雄の死を悼む

 2・ロマーリオ、ベベトに代表されるワールドカップ94に参戦する選手たちも奮起

 3・セナの死で暗く落ち込んでいるブラジル国民を励まし、セナを追悼するためにも優勝しよう

 

 と、団結心を固める結果になったとも言います。

 

 実際このブラジル代表は

 

 背番号10のライーが、指揮官カルロス・パレイラの信頼からほど遠い

 ブラジルらしい美しい展開とは程遠い

 

 と批判されましたが、1970年以来の優勝という結果をもたらすことはできたわけです。

 

 もしロベルト・バッジョとフランコ・バレージ、決勝で対戦したイタリア代表が

 

 1・PKを外さなければ

 2・彼らがブラジル代表のように、準決勝からの日にちが3日間隔ならば

 

 という見解もあるでしょう。

 

 ただ、この時のブラジル代表がセナに敬意を払い、国民を勇気づけた点に間違いはないと思うのです。

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