塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

今改めて、ペルージャの街を思う

2024-11-04 22:11:57 | 日記

 1998年、ベルマーレ平塚、現在の湘南ベルマーレからペルージャへ巣立った中田英寿。

 

 スポンサーである「ガレックス」のジャージは、日本からけた違いの注文が入る

 個人契約するフィラのスパイクにも大注目

 

 でしたが、何よりシーズン初年度から、守備に定評のあるセリエAで10得点を奪うこと。

 

 中田英寿は、実力でファンから喝さいを浴び、批評家を黙らせました。

 

 その活躍から25年近くが経過し、新しい日本人がこのペルージャで名前を轟かせていますね。

 

 それはカルチョではなく、バレーボール、日本男子代表のキャプテン、石川祐希でありイタリアですでに知名度があります。

 

 1998年から1999年、多くの記者が日本からペルージャへ渡り、街中を散策していると市民から

 

 「ナカタ!ナカタ!」

 「彼はすごい選手だ」

 

 と声をかけられました。

 

 契約解除金18億円をひきかえに彼がASローマに移籍したこともあり、取材陣がペルージャから離れてしまいますが、今はバレーボールの記者がペルージャを散策しているのではないでしょうか。

 

 25年近い歳月を経て、サッカーからバレーボールへ、日本人選手への声援が変化しているのでしょうが、これも時の流れ、自然の摂理になります。

 

 海外で暮らすことは並大抵の出来事ではありませんからね。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アイルトン・セナの事故死が... | トップ | ワールドカップ94における... »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事