塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

飄々とした振舞の陰で

2021-11-29 00:10:34 | 日記
 礼儀正しさは力の象徴だ

 この一文は作家、ディック・フランシスの著作「侵入」で用いられると、服飾評論家の林信朗が2016年夏号のメンズ・プレシャス15ページで解説しています。

 「どんな危機的状況でも、平然と行儀よくづるまい、周りを安心させるのが本物の実力、本物の紳士という意であろう」

 とも綴られていますが、そんな単純な話はないとも感じますがね。

 僕は帰宅してから、鞄と財布を磨き一日お疲れさんと感謝しますが、財布をどこかに置き忘れて、何度か(自分の仕業ですが)冷や汗をかいて探し回ったことがあります。

 財布は買いなおせばよいのですが(面倒ですがね)、運転免許証が入っているために財布を紛失した瞬間、勤務先に出かけることさえ困難になります。

 そのような「自分で勝手に脳裏に描く恐怖」がさらに恐怖を増大させている、という間抜けさが僕にはあるんですよね。

 ただ少なくとも2014年ワールドカップ、日本代表対ギリシャ代表戦で指揮官ザッケローニが、練習でも導入していないパワープレイを突如はじめ、面食らったことがありますが、これは冒頭の文章を示唆すれば

 「エレガントではない」

 と言われるはずです。

 ただ、降格か否かというクラブにとって危機的状況の際、平然とした表情を浮かべる選手が存在した瞬間、ファンは彼を袋叩きにすると思いますよ。

 何故ボールを追わないのだ
 どうしてフリーランニングをしないんだよ

 こうした不満が観客席からピッチに流れ込めば、場の空気は最悪でしょうね。

 作家、開高健は「急がば回れ」という言葉を自身の修治によって

 「悠々として急げ」

 に変換させましたが、飄々としてはいるが内心は非常に焦っている、苦難を感じているという方もいるでしょう。

 だからこそ批判は冷静に行う必要があると思いますし、人権侵害のような形は当然あってはいけません。
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情熱大陸、あのピアニストを特集する

2021-11-29 00:01:32 | 日記
 日付変わって今日29日は非番です。

 そこでTBS23時から放送の「情熱大陸」で、ショパン・コンクール2位入賞のピアニスト、反田恭平の足跡を視聴しました。

 ポーランドと彼が次に拠点を置くオーストリアは、サッカーの世界では「現在」はさほど重要ではありません。

 (オーストリア代表は1930年代、欧州を席捲しましたが)

 しかし、ピアニストやソリストにとっては、常に大切な場所だということがわかりましたし、住民たちが音楽という文化に造詣が深く、東洋人だからピアノが弾けない、という感覚の持ち主でないことも伝わりました。

 ポーランドはロシアを筆頭に分割統治され、しばしば地図上から国そのものが消えた
 オーストリアは隣国ドイツの影響を近代受けてきた

 という観点が、人々を鷹揚にしているのでしょうか。

 受賞後、反田は応援する指揮者の佐渡裕が在住するウイーンに向かい、祝福の言葉を受けます。

 そこでショパン・コンクール2位の経歴が、世界へのパスポートとなるという言葉を聞いて、日本代表選手たちが求めているのも同様だと感じました。

 Jリーグではこの「世界」へのパスポートは得られない
 しかしベルギーやスコットランドへ移籍すれば、パスポート取得の足掛かりは得られる
 ならば早い段階で欧州へ
 
 という観点が年々増加傾向にあると思いますね。

 少なくとも欧州クラブの多くが借金経営かもしれませんが、中国リーグのような経済的失態には至っていません。

 広州FCは天河スタジアムでさえ売却し、本社の赤字補填に用いようとしていますが、これは住宅バブルを食い止めようとした習近平の政策だけに起因しているのでしょうか。

 三浦知良が1994年ジェノアに移籍する際

 アジアMVPが日本にとどまっても意味はない
 欧州でプレイできて初めてアジアMVPの価値がある

 と語りました。

 サッカーでもピアノでも、その概念が変わらない限り欧州を目指すことになるのでしょう。
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長期政権から監督を引き受けるとき

2021-11-28 19:25:11 | 日記
 マンチェスター・ユナイテッドとアーセナル。

 前者はアレックス・ファーガソン、後者はアルセーヌ・ヴェンゲルと二人の偉大なる指揮官に率いられたクラブは、彼らが去って以降監督人事だけでなく、サッカーの質でも内容が問われています。

 当然指揮官を任命するフロントの決断は重大です。

 しかし一番自己批判すべきなのが「ファン」ではないでしょうか。

 俺たちはユナイテッドで数々の優勝を果たしてきた
 だから新指揮官に移行しても、勝利の味をすぐに提供しろ
 俺たちは待つことはしないぞ

 というある種の驕りがあったように見受けられます。

 こんな雰囲気と感情が「仮に」オールド・トラッフォードとエミレーツから漂ってきたのであれば。

 ウナイ・エメリだろうがデイビッド・モイーズだろうが、それは短期で政終了となりますよ。

 勿論指揮官には時間は与えられるべきですが、ファンからすれば「それはどの程度の時間なのか」ということがわからない、自分たちで判別しようともしない、したがって威圧的になるのでしょうか。

 ユナイテッドならなホゼ・モウリーニョ政権で湯水のように金を費やしてもリーグ優勝はできませんでしたし、アーセナルも今季開幕直後、ミケル・アルテタは既に瀕死の状態でした。

 それだけかつて「勝ち続けてきたこと」の快楽、恍惚さはファンに知らず知らずしみこまれているのでしょう。

 むしろその成功体験を捨てるべきなのがファンのようにさえ思えてなりません。

 アーセナルもユナイテッドも過去はナイキと契約していましたが、現在は両クラブともアディダスと契約しています。

 もしナイキが(FCバルセロナという例外はあるにせよ)、アーセナルとユナイテッドをサポートする意味合いはもうない、という理由で契約を解除したならば。

 そのしたたかさは凄いとしか僕には言いようはありません。

 むしろアディダス首脳陣の見解はどうでしょうか。
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米国に見られる特有の価値観

2021-11-28 19:07:09 | 日記
 日本野球はアマチュアでもプロフェッショナルでも、投手は常に完投勝利を目指すべきと考えられます。

 一方で米国は投手の肩を考慮し、先発と中継ぎ、抑えの3役で9回を投げ切ります。

 実は僕、継投策以外にも投手分担には意味があると思います。

 僕らは業務で手が空くと、仕事が溜まっている部署の応援や、部屋の整頓や整理を行います。

 しかし米国では労働の場合、他人を助ける頻度は相当少ないと言います。

 それは僕が誰かを助けてしまうと、その助けた人物の労働という仕事を奪ってしまうと考えるためで、例えばホテルで荷物を預けたベル・ガールがその重さに苦戦しても、旅行客は一切手伝わないし、ベル・ガールも当然の行為と受け取るといいます。

 MFLでは出番が限られているキッカー、パンター、パントリターナーも、必ずゲームの枠組みに採用されていますし、NBAでも一軍登録12名の選手の中で、ヘッドコーチはどんなに成績の振るわない選手も

 「チームの一員である」

 とみなします。

 米国が黄色人種や黒人に対し、厳しい侮蔑行為を行ってきたことは事実ですし、同性愛を公表した人間に大きな批判が向けられることもあるようです。

 ただ、根本的には(伝統的といってもよいかもしれませんが)勇気、平等に博愛という精神が今でも備わっているように思えますし、野球、バスケットボール、アメリカン・フットボールにはその意思が見え隠れします。

 米国では近年、MLSが軌道に乗り、米国代表もワールドカップ出場経験を持ちまs。

 ラグビーも需要が高まってきているらしく、この英国生まれの競技がゴルフとテニス同様に、今後米国でさらに発展するかどうかは、米国気質の中にどれだけ反映されるかが鍵となる気がします。

 フランスは人権の際、博愛を訴えましたが、プロサッカーではクラブが不調になると暴力に訴えるファンが多く、その信条から大きく逸れているように思います。

 それはサッカー大国で知られる、隣国のスペインとフランスも同様なのですがね。
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区切りの良い数字を考えて

2021-11-28 18:58:30 | 日記
 日本人は区切りの良い数字が好きですよね。

 プロ野球でスト名球会入りの条件に、投手ならば200勝という決まりがるはずですから、191勝、197勝など後わずかで資格を満たせるにもかかわらず、引退表明する選手をみると、もったいないなあ、まだやれるのに。

 と僕らは考えがちです。

 ただ、選手からすれば自身の決断を外野から指摘されることは嫌でしょうし、当然尊重しなくてはいけませんがね。

 キング・カズは恐らく横浜FCを退団すると思います。

 キング自身もJ3、JFLなど下のリーグに移籍してもよい、まだまだプロとしてやれることはあると信じています。

 中に彼の考え、決断に対して

 「もうよくやったよ、引退したらどうだろうか」
 「これ以上、鍛えても上達はしないよ」

 という否定的見解を持つ方がいても、全く不思議ではないでしょうし、それらの意見がある方がむしろ自然ですよ。

 キングは来年55歳となり、冒頭でお話しした「区切りのよい数字」であるわけですが、自分の矜持、誇りがサッカーという競技に向けられている以上、キングの看板を下ろし、

 「一人の選手として三浦知良と契約したい」
 「それはコマーシャリズムではなく、あくまで戦力として」

 というクラブがあると信じているいるに違いありません。

 ちなみに、今日でこのブログが連載初日から「4444日」を迎えることができました。

 なかなかこのような数字がそろう機会は僕自身にないもので、区切りという数字を題材に内容を考えてみました。

 例えばUEFAチャンピオンズ・リーグ、レアル・マドリードは2002年に9度目の優勝を果たしてから、10度目を果たすまで12季かかりました。

 その2014年当時の指揮官が現在のカルロ・アンチェロッティですが、レアルのような巨人でも区切りの良い数字は難しい面がありますね。
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