~~引用ここから~~
《「論語」泰伯から》人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない。
~~引用ここまで~~
国民、大衆、人民といったものを蔑視した見方かもしれないが、事実だろう。国民に為政者の施政の道理を理解させることは難しいのだ。だから政府は説明しようとしない。しかし民主主義国家でそれはいけない。政治家はその施政が国民になかなか理解されなくとも理解される努力を怠ってはならない。
国民、大衆、人民といったものは賢くない。そういえば反発する人もいるだろう。だが「国民」ではなく「集団」と捉えればどうか。感銘を受ける演説を聞いても集団のなかでそれを受けて動き出す人間は少数だ。多数派の国民はなんだかんだいって動かない。それが集団というものなのだ。東大生を集めたエリート集団でも同じことだ。人間は群れてしまえば埋没してしまう。
そのことは働き蟻の生態からわかる。2割の蟻は勤勉に働き、6割の蟻は普通に働き、2割の蟻は働かない。しかしその集団から勤勉に働く蟻を選び出し、また新しい集団を作るとすべての蟻が勤勉に働くわけではなく2・6・2となるのだ。逆に働かない蟻を選び出し新しい集団を作るとこれまた2・6・2となる。不思議だが、集団とはこうしたものなのだ。この話を聞いたことがある人は少なくないだろう。
だから国民、大衆、人民といったものが賢くないというより人間の集団はそうしたものということだ。人間の性質というべきだろう。もちろん個人を抽出すれば賢い人間、愚かな人間、勤勉な人間、怠惰な人間といったように評価できる。お前は愚者だと決めつけられることは国民は賢くないなどといわれるより業腹だろうが。
大日本帝国の時代からあるいはそれ以前の幕府、朝廷の政治からかもしれない。日本の為政者は国民にその施政の道理を理解させようとはしてこなかった。国民は黙って従えば良いと考えていたのだ。むしろ大日本帝国政府は情報公開しなければ秘密が漏れることもないとすら考えていたのではないか。
戦後日本の自民党の政治は、細川連立内閣が発足して下野するまでの38年間はおおむね優秀だった。しかし国民に説明しようとはしてこなかった。国民に訴えるのは選挙のときだけであとは蚊帳の外。自民党内で権力闘争に明け暮れた。
「角福戦争」などと呼ばれる争いが有名だが、国民はそっちのけなのだから民主主義国家なのにのけ者にされていると感じてしまう。小泉純一郎が郵政選挙で大勝したのは「小泉さんなら何かやってくれそうだ」と国民が思ったからだが、政治家が国民に訴えて国民を無視しなかったと捉えたことも大きいのではないか。
いわゆる「加藤の乱」でも加藤紘一は国会で演説して国民に訴えようとはしなかった。派閥を頼りに数の力で不信任案を可決しようとしたのだ。結果は知っての通り公認権を使った野中広務に切り崩されて失敗に終わった。
だが加藤紘一が国会で演説して国民に訴えていれば違ったのではないか。議会演説にはそれほどの力がある。
議会政治の王道である議会演説で國を動かせ - 面白く、そして下らない
もちろん危うさもある。ヒトラーはドイツ国民に直接訴えて権力を握ったのではなかったか。ヒトラーは演説が上手かった。扇動者としての上手さかもしれないが、政治家の演説の巧みさとは紙一重だ。
小泉純一郎の「郵政選挙」も後からみれば小泉純一郎を勝たせるべきではなかった。郵政民営化で良くなったことなどないし、小泉純一郎の構造改革で国民の利益は失われたからだ。
だがだからといってヒトラーを二度と生まないように政治家は演説が上手くなってはならないなどというのはナンセンスに過ぎよう。演説は議会政治、民主主義政治で欠かせないものだ。日本の政治家はあまりしないが。
民主主義は国民が主権者であり主役なのだ。国民自身が政治に関心を持ち調べなければならないが、政治家は一人でも多くの理解を得る努力をしなくてはならない。「由らしむべし知らしむべからず」ではいけないのだ。
安倍晋三は特定秘密保護法を大変苦労して成立させた。左翼マスコミが総反対し、野党が猛反発し、支持率が10%前後下がっての成立だった。
しかし安倍晋三は国民に特定秘密保護法の理解を求めることはしなかった。説明してもどうせわからないと考えていたのかもしれないが、それでは国民の理解は得られない。政府の隠蔽をしやすくする法律だと思われてしまう。
国民に訴えれば特定秘密保護法に限らず、スパイ防止法や情報機関創設までできたと思うのだ。特定秘密保護法に反対したように左翼マスコミは総反対するだろうが、スパイ防止法も情報機関創設も国益に叶う。
きちんと論理立てなければならないが、国民に訴えれば理解は得られたはずだと考える。現在は敗戦直後ではなく、もう戦後75年も経っているからだ。また北朝鮮による拉致も発覚した。国民も不利益を被らないためにはスパイ防止法の制定や情報機関創設の必要性に理解を示すはずだ。
そのためにも「由らしむべし知らしむべからず」ではいけないのだ。それこそが民主主義ではないか。
(参考文献)
小室直樹著『日本人のための憲法原論』
誤字脱字修正。
由らしむべし知らしむべからず(よらしむべししらしむべからず)の意味 - goo国語辞書
由らしむべし知らしむべからず(よらしむべししらしむべからず)とは。意味や解説、類語。《「論語」泰伯から》人民を為政者の施政に従わせることはで...
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《「論語」泰伯から》人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない。
~~引用ここまで~~
国民、大衆、人民といったものを蔑視した見方かもしれないが、事実だろう。国民に為政者の施政の道理を理解させることは難しいのだ。だから政府は説明しようとしない。しかし民主主義国家でそれはいけない。政治家はその施政が国民になかなか理解されなくとも理解される努力を怠ってはならない。
国民、大衆、人民といったものは賢くない。そういえば反発する人もいるだろう。だが「国民」ではなく「集団」と捉えればどうか。感銘を受ける演説を聞いても集団のなかでそれを受けて動き出す人間は少数だ。多数派の国民はなんだかんだいって動かない。それが集団というものなのだ。東大生を集めたエリート集団でも同じことだ。人間は群れてしまえば埋没してしまう。
そのことは働き蟻の生態からわかる。2割の蟻は勤勉に働き、6割の蟻は普通に働き、2割の蟻は働かない。しかしその集団から勤勉に働く蟻を選び出し、また新しい集団を作るとすべての蟻が勤勉に働くわけではなく2・6・2となるのだ。逆に働かない蟻を選び出し新しい集団を作るとこれまた2・6・2となる。不思議だが、集団とはこうしたものなのだ。この話を聞いたことがある人は少なくないだろう。
だから国民、大衆、人民といったものが賢くないというより人間の集団はそうしたものということだ。人間の性質というべきだろう。もちろん個人を抽出すれば賢い人間、愚かな人間、勤勉な人間、怠惰な人間といったように評価できる。お前は愚者だと決めつけられることは国民は賢くないなどといわれるより業腹だろうが。
大日本帝国の時代からあるいはそれ以前の幕府、朝廷の政治からかもしれない。日本の為政者は国民にその施政の道理を理解させようとはしてこなかった。国民は黙って従えば良いと考えていたのだ。むしろ大日本帝国政府は情報公開しなければ秘密が漏れることもないとすら考えていたのではないか。
戦後日本の自民党の政治は、細川連立内閣が発足して下野するまでの38年間はおおむね優秀だった。しかし国民に説明しようとはしてこなかった。国民に訴えるのは選挙のときだけであとは蚊帳の外。自民党内で権力闘争に明け暮れた。
「角福戦争」などと呼ばれる争いが有名だが、国民はそっちのけなのだから民主主義国家なのにのけ者にされていると感じてしまう。小泉純一郎が郵政選挙で大勝したのは「小泉さんなら何かやってくれそうだ」と国民が思ったからだが、政治家が国民に訴えて国民を無視しなかったと捉えたことも大きいのではないか。
いわゆる「加藤の乱」でも加藤紘一は国会で演説して国民に訴えようとはしなかった。派閥を頼りに数の力で不信任案を可決しようとしたのだ。結果は知っての通り公認権を使った野中広務に切り崩されて失敗に終わった。
だが加藤紘一が国会で演説して国民に訴えていれば違ったのではないか。議会演説にはそれほどの力がある。
議会政治の王道である議会演説で國を動かせ - 面白く、そして下らない
もちろん危うさもある。ヒトラーはドイツ国民に直接訴えて権力を握ったのではなかったか。ヒトラーは演説が上手かった。扇動者としての上手さかもしれないが、政治家の演説の巧みさとは紙一重だ。
小泉純一郎の「郵政選挙」も後からみれば小泉純一郎を勝たせるべきではなかった。郵政民営化で良くなったことなどないし、小泉純一郎の構造改革で国民の利益は失われたからだ。
だがだからといってヒトラーを二度と生まないように政治家は演説が上手くなってはならないなどというのはナンセンスに過ぎよう。演説は議会政治、民主主義政治で欠かせないものだ。日本の政治家はあまりしないが。
民主主義は国民が主権者であり主役なのだ。国民自身が政治に関心を持ち調べなければならないが、政治家は一人でも多くの理解を得る努力をしなくてはならない。「由らしむべし知らしむべからず」ではいけないのだ。
安倍晋三は特定秘密保護法を大変苦労して成立させた。左翼マスコミが総反対し、野党が猛反発し、支持率が10%前後下がっての成立だった。
しかし安倍晋三は国民に特定秘密保護法の理解を求めることはしなかった。説明してもどうせわからないと考えていたのかもしれないが、それでは国民の理解は得られない。政府の隠蔽をしやすくする法律だと思われてしまう。
国民に訴えれば特定秘密保護法に限らず、スパイ防止法や情報機関創設までできたと思うのだ。特定秘密保護法に反対したように左翼マスコミは総反対するだろうが、スパイ防止法も情報機関創設も国益に叶う。
きちんと論理立てなければならないが、国民に訴えれば理解は得られたはずだと考える。現在は敗戦直後ではなく、もう戦後75年も経っているからだ。また北朝鮮による拉致も発覚した。国民も不利益を被らないためにはスパイ防止法の制定や情報機関創設の必要性に理解を示すはずだ。
そのためにも「由らしむべし知らしむべからず」ではいけないのだ。それこそが民主主義ではないか。
(参考文献)
小室直樹著『日本人のための憲法原論』
誤字脱字修正。
再々すみません 茅の外→蚊帳です。
誤字の指摘ありがとうございます。修正しました。
正直ネットということで誤字脱字誤変換くらい構わないだろうと思っていたのですが、見苦しいという意見を貰ったので見つけ次第修正することにします。
これからもブログを読んで下さい。