★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「ありがたいYOUTUBE」

2021-06-13 19:42:59 | ベトナム・ハノイ

ベトナムハノイの「ありがたいYOUTUBE」

 

 自分は日本に居た時、欠かさず「聞いていたラジオ番組があった」

「山下達郎のサンディソングブック」である。

 最近この番組が「ON AIR」後すぐに「YOUTUBE」にUPされることが分かった。

ちょうど日本とベトナムでは2時間の時差があるので、日本で14:00から放送されるこの番組を

ベトナムの14:00に「YOUTUBE」で聞くのである。(おおかたこの時間であればUPされている)

 本当にありがたいことである。VPNを使って聞くことも考えたが、アマゾンプライムの動画は

VPNを使ってみているが、音質のこともあり「YOUTUBE」で聞いている。

どうかこのまま「このプログラム」を続けてほしい。

 

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ベトナムハノイの「定期検査」

2021-06-13 19:18:25 | ベトナム・ハノイ

ベトナムハノイの「定期検査」

 

 一昨年「肺がん」が発見され、その年の7月2日に「手術」を受けた。

実はさかのぼること「がんと診断される6か月前」実はすでに「肺に影が発見された」

自分は「父を肺がんで亡くしている」そのため、ベトナムに行ってから「定期検査もなく、人間ドックもない」

環境に7年以上も置かれていた、そしてその年、虫の知らせか、「急に思い立ち、人間ドックに合わせて肺ドック」なる

オプションを追加し検診した。その結果この影を発見した。その後これが癌なのかどうかPET検査を行った。

結果は「白」しかし定期的に検査を受けるように進められ、一昨年の春に再診を受けた。その結果

「大きくなってるね?、癌かもね?」と軽く言われた。手術をすべく検査した病院でも

いまいちはっきりしないが「とにかく手術してみよう」ということになり「内視鏡下で手術を行った」

前日入院、翌日手術、翌々日退院となった。(手術後は2泊しかしていない?)癌であったということは聞いた。

2W間でベトナムへ戻り仕事に復帰した。

その後日本で「定期検査」を受けていたが、コロナ禍で日越の行き来が「難しくなった」

 基本ベトナムから「日本へはフライトが確保されている」しかし、日本の状況が悪化し

現在は「ベトナムからの入国制限、そして指定場所での隔離」が義務付けられた。

*もっと難しいのは「日本からベトナムに来ることである」

 日本のお役所仕事、お仲間意識。。。により「ひどい扱いを受けた」

はっきり言って私は昨年7月にベトナムに戻れたのは「日本政府や団体、等のおかげでは全くなく」

(J*T**、日本商**議所 など、日本企業やここの会員以外には全く助けの手を伸ばさない

ひどい「お仲間意識」の集団であった。もう私は二度とこれらの組織に期待をしない)

*ベトナム側の友人たちによって「ベトナムに戻れた」と言って過言ではない。

 ベトナムで知り合った「弊社と密な関係にある、ベトナム初めての私立大学の創設者」

である友人が「あれこれ手を尽くしてくださり、ベトナム帰国が可能になった」

 したがって、自分はしばらくは「日本へはいけない」(帰るのではない、あくまでも行くのである)

行くのはいいが「戻れなくなる」

従って「他には代えられない、癌の定期検診もベトナムで行う決断をした」

 その病院が「このVINMEC」である。

ベトナムに居る外国人や、ベトナム富裕者向けに作られた「インターナショナルホスピタル」である

ベトナムで、誰に聞いても「ここで検診するのが良い」という意見だった。

 当然「社会保険は効かない」。しかしお金には代えられない。

1回の検査で日本の10倍ほどの料金を取られるが、いたしかたない事である。

 私はすでにここで3回の検査を受けている。

1回は「風邪をこじらせた肺炎で2日であるが、入院も経験している」

 今回もちょうど2年目の「癌の定期検診だった」

幸い「異常なし」という結果。毎度であるが、プレッシャーを感じる一瞬だ。

癌になって、このように「爆弾を抱えて生きている」、一日一日が貴重であり

「ありがたい」(常に思っているわけではないが、今までとは明らかに生き方が変わった)

 この国を信じて、会社を設立し、自分の命も「ある意味託した」

何とかこの国で「もうしばらく、頑張らせてほしい」

切にそう思っている。

 

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ベトナムハノイの「いつになったら動くのやら」

2021-06-13 18:57:08 | ベトナム・ハノイ

ベトナムハノイの「いつになったら動くのやら」

 自分はベトナムに来初めて20年、在住11年目である。

最初に来た頃は「町は暗く」「信号は空港からホテルまで2-3か所」だけだった。

 そしていつの頃からか、モータリゼーションが起こり、バイクが主導権を握り

最近は「自動車」が爆発的に増えてきた。

 自動車を所有できる「個人GDP年間$5000」に都市部では近づいてきた。

そして7-8年前より、それでも渋滞の厳しいハノイ市内で「大がかりな新都市交通建築」が始まった。

ちょうどタイのBTSのような感じだ。

(中国の援助で工事を始めたが、お金の問題や規格違反の問題等々で計画は大幅に遅れている)

 大がかりの工事のおかげで「この道路はいつも渋滞になっている」そしてようやく2019年にほぼ完成

そして「運航開始」になるはずだった。しかし「試運転」すると、たくさんの問題が、

建築方法が「ベトナム建築法に違反してる」「「試運転が満足できない」など。

 わたしの部屋からは「この新都市交通がよく見える」しかし、未だ

電車は走れない。すでに「計画の倍以上の期間が過ぎている」 「いつになったら走るのやら」

走ったとしても、果たして「安全に運航できるのだろうか?」

 中国とはどこの援助を見ても「どこかこのような、危なっかしい、心配な、そして下心を

感じる。」そう思うのは気のせいだろうか?

 

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ベトナムハノイの「フランス統治の名残」

2021-06-13 18:39:37 | ベトナム・ハノイ

ベトナムハノイの「フランス統治の名残」

 皆さんご存じだろうか?ベトナムはフランスに100年もの間統治されていた。

1度目は「ディエンビエンフーの戦いで追い出し」た。しかしそののち再び統治された。

その後は「日本軍の進軍により実質フランス統治が崩れ」その後はアメリカとソ連中国による

統治になり「社会主義」対「民主主義」の構図になり(例のドミノ理論である)、ベトナム戦争に

突入していく。‘ 現在はその対応の構図は無いが、「最初に統治されたフランスの影響はいたるところに見られる」

*パンのおいしい事(フランスパン、バゲットなどがバインミーという形で国民食になっている)

*ベトナムコーヒー(特徴的なのは、デミタスコーヒーのような濃いコーヒーにコンデンスミルクを入れたコーヒ

である。このコンデンスミルクはフランス人がコーヒーにミルクを欲したが、冷蔵技術もなく生のミルク

の代わりに「コンデンスミルク」を使ったことに由来する。)

*ハノイ市内には「ベトナムフレンチなるレストラン」が多数存在し、しかもおいしい

*フランスからの観光客も多く「毎日パリ直行便」がある。(現在は休止中)

★そしてこのブログにある、「ラウンドアバウト」交差点に「サークル」が作られており、行きたい方向に

止まらずに行くことができる。

‘*以前フランス出張の折、レンタカーで走ったとき、慣れない、この「ラウンドアバウト」にてこずった。

その時はパリから郊外の「ルノー本社」への工程だったが、いくつものこのラウンドアバウトがあった。

フランスのラウンドアバウトは郊外ということもあり、もっと「サークルの直径が小さかった気がする」

 現在の若いベトナム人も知らないが、このベトナムの「ラウンドアバウト」は

まぎれもなく「フランス統治の置き土産である」

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