ベトナムハノイの「思い出の渡し舟」
日曜日、久しぶりの「近郊ツーリング」で、以前行ったことのある。
「渡し舟」の場所を目指した、20キロほどだろうか?。
この場所は「自分が初めてビジネスパートナー」として雇った社員の家への道なのだ。
彼女は毎日ここから「ハノイ市内の会社まで通っていた」ハノイ市内からは20km近くあるだろうか?
ある時、バイクが故障し、会社には来たものの、帰るのに困っていた彼女をみて、バイク好きの自分は
送っていくことにした。(まさかベトナムの首都にきて、渡し舟に乗るとは思わなかった)
そのころ会社のあったダオタン、ハノイ市内西側からバイクでハノイ市内の東の端まで来た。
(ハノイとは漢字で河内と書く、ハノイは大きなホン川にぐるっと囲われた都市である。
ハノイ市から出るには、北、東は「河を渡るため長い橋を渡る必要がある」
その時、ハノイの西の端から「ハノイ市を横断し、そして東側にあるこのホン川を渡る。」
いくつかの橋の中で、有名な「ロンビエン橋」を渡る。 ここは
「観光名所にもなっている、古びた鉄道とバイクのみが通行できる橋である」
(詳細な知識は観光名所だけに他にゆずる)設計者はフランス人で、
一説にはあのエッフェル塔と同じ設計者であるとも言われている)ベトナム戦争で何度もアメリカ軍に爆撃されたが、
何度となく修復され、現在も使用されている「名橋」である。「ベトナムの不屈の精神の象徴」でもある。
ここを渡り大きく左カーブの後、右折する。しばらく走り、右カーブの手前を左折する。車やっと1台の
道を少し行くと「バイク修理屋の角」をもっと細い「畑道のようなところを右に」
10年以上前、この道もその前の道も「舗装されてなかった」時の流れである。今はなんとなくであるが
舗装されている。
朝夕の繁忙期以外はほとんど人も通らない細い道だ。少し行くと、「10年前の記憶がよみがえってきた」
確かにあの道だ。突き当りには「お金持ちそうな家があり、ガラス戸の向こうにはあの時と同じ
大きな犬がこちらを見ていた」(総10年前もそうだった、明確に記憶がよみがえった
この岸から「彼女の家が見えたことを思い出した」
(彼女の家は「ハノイの隣町ドンアイン」というところだ、つまり、彼女の家に行くにはハノイから橋を渡り、
このホン川の「支流」を「渡し舟」で渡ったところにあるのである。)
彼女の家は「この道を、転げ落ちそうなほどの下り坂を降り(中には帰り道はバイクで登れない人もいて
若者が手伝っていたのを思い出す)」そして「渡し舟に乗り、向こう岸にわたり、一番最初にある川沿いの家
が彼女の家だった」
渡し舟と言っても7m×3mほどのフェリー?というにはあまりにも小さな船だった。(エンジンは付いていた)
バイクを載せるときはスタンドを支点にくるっとバイクを回し、下りやすくバイクの向きを変えなければならない。
みんなは慣れているせいか難なくそれを習得していた。
あの頃を思い出し、ふと見ると、あの「渡し舟」がうなりをあげて川を渡っているところであった。
一見、あの頃となんも変わっていない光景だった。あれから10年以上がたつ。
「彼女はすでに結婚退職をしてしている」どこか遠い町で幸せに暮らしていることだろう。
行き止まりの家の前の空き地からあの頃と同じ光景が見えた
ハノイからロンビエン橋で「ホン川」を渡る。この橋は「人、自転車、バイク、そして鉄道」の橋である。
この日も「コロナ青空」だった。