日々悪化の一途をたどるウクライナ情勢。
ウクライナ人がウクライナ人を殺して続けています。
ウクライナ東部のルガンスク州南部とドネツク州では連日のように空爆があり、多くの死傷者を出しています。
子供やお年寄り、妊婦なども多く被害に遭っています。
▲写真左から:身体右半身が爆撃により深くもがれ亡くなった老女他(ドネツク州ゴルロフカ市)、銃撃戦に巻き込まれ共に亡くなった母子(ドネツク州ゴルロフカ市)、激しく破壊された部屋の中で亡くなった妊婦(ドネツク市)
その被害の様子は日本のメディアにはあまり紹介されていないようですが、イスラエル-ガザの惨たらしさに匹敵するのではないかと思います。
筆者は露SNSを毎日閲覧していますが、激しい損傷を受けた遺体の画像と動画を見続けて、気分が滅入っています。
▲写真左から:銃撃戦に巻き込まれ負傷した少年(ドネツク州)、子と散歩中に銃撃戦に遭い腹部が破壊され亡くなったた母(子は重体で病院へ搬送された)(ドネツク市郊外ズグレス村)、通りで戦闘に巻き込まれ出血大量で亡くなったV・クレスリャンスキィ神父(ルガンスク市)
これまで同州を脱出して隣のハリコフ州などへ避難した方々がいます。
また国境を越えてロシア連邦へ避難した方々もいます。
その数約73万人(国連調べ)。
その最大の「駆け込み寺」となったロストフ州は50万人の避難民で溢れかえっています。
▲写真左から:国境へ抜ける人道回廊で長蛇の列をなしている避難民、ロストフ州の避難民待機所(全てロシア連邦ロストフ州)
既にキャパシティを超えているので、ロシアの各州に割り当て分担しています。
勿論、ムルマンスク州にも。
ムルマンスク州はロシア(当時ほぼソ連時代)の中でも比較的新しい州で、1世紀前に開拓され創立されました。
その際、同州の産業発展のため高待遇で多くのウクライナ人を招待し移住させました。
その多くは中部東部の人です。親類知人がウクライナに住んでいます。
ですから、ムルマンスク州民にとってウクライナで起きている惨事は全く人事ではありません。
▲訳:「今日乗合タクシーの中で4歳ぐらいの女の子がママに”みんなが神様にお願いしたら、戦争を止めてくれるの?”と訊き、道中の半分ママと共に泣いていた・・・どうか戦争を止めて!!!」
苦渋の決断の末移住を余儀なくされたそのウクライナ東部避難民の皆さんが、7月半ばからムルマンスク州に続々到着しています。
▲露非常事態省の専用機から降り立つウクライナ東部からの避難民
露非常事態省ムルマンスク州支部の公式HPに発表された情報によると、8月7日までに延べ570人のウクライナ東部避難民がムルマンスク州入りしたそうです。以下が公式HPから拾い上げた情報です。
7月16日 69人 うち
4分の1 親せき宅へ
残り 非常事態省ムルマンスク州支部寮
7月30日 37人(子供6人含) うち
19人(子供6人含) キーロフスク市
18人 アパチット市
7月31日 21人(子供4人含) オレネゴルスク市庁舎寮
8月1日 34人(子供5人含) モンチェゴルスク市技術単科大学
8月3日 96人(子供26人含) うち
32人(子供12人含) カンダラクシャ市産業専門学校寮
32人(子供8人含) コブドール市技術単科大学寮
32人(子供6人含) アフリカンダ村、パリャールヌィエゾーリ市地域病院
8月4日 54人(子供17人含) うち
37人 ロボゼロ村全日中学校
15人 オレネゴルスク市支庁寮
8月5日 140人 ムルマンスク市第14学校、ムルマンスク産業単科大学寮、旧子供の家、コラ農産単科大学寮
8月6日 87人(子供29人含) ムルマンスク市 州センター一時待機所
8月7日 32人 うち
3人 パリャールヌィエゾーリ市
15人(子供4人含) アパチット市アメチストホテル一時待機所
14人(子供7人含) キーロフスク市ホステル一時待機所
・・・・まだまだ続くと思います。今後また到着次第このページに更新していきます。
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ウクライナ人がウクライナ人を殺して続けています。
ウクライナ東部のルガンスク州南部とドネツク州では連日のように空爆があり、多くの死傷者を出しています。
子供やお年寄り、妊婦なども多く被害に遭っています。
▲写真左から:身体右半身が爆撃により深くもがれ亡くなった老女他(ドネツク州ゴルロフカ市)、銃撃戦に巻き込まれ共に亡くなった母子(ドネツク州ゴルロフカ市)、激しく破壊された部屋の中で亡くなった妊婦(ドネツク市)
その被害の様子は日本のメディアにはあまり紹介されていないようですが、イスラエル-ガザの惨たらしさに匹敵するのではないかと思います。
筆者は露SNSを毎日閲覧していますが、激しい損傷を受けた遺体の画像と動画を見続けて、気分が滅入っています。
▲写真左から:銃撃戦に巻き込まれ負傷した少年(ドネツク州)、子と散歩中に銃撃戦に遭い腹部が破壊され亡くなったた母(子は重体で病院へ搬送された)(ドネツク市郊外ズグレス村)、通りで戦闘に巻き込まれ出血大量で亡くなったV・クレスリャンスキィ神父(ルガンスク市)
これまで同州を脱出して隣のハリコフ州などへ避難した方々がいます。
また国境を越えてロシア連邦へ避難した方々もいます。
その数約73万人(国連調べ)。
その最大の「駆け込み寺」となったロストフ州は50万人の避難民で溢れかえっています。
▲写真左から:国境へ抜ける人道回廊で長蛇の列をなしている避難民、ロストフ州の避難民待機所(全てロシア連邦ロストフ州)
既にキャパシティを超えているので、ロシアの各州に割り当て分担しています。
勿論、ムルマンスク州にも。
ムルマンスク州はロシア(当時ほぼソ連時代)の中でも比較的新しい州で、1世紀前に開拓され創立されました。
その際、同州の産業発展のため高待遇で多くのウクライナ人を招待し移住させました。
その多くは中部東部の人です。親類知人がウクライナに住んでいます。
ですから、ムルマンスク州民にとってウクライナで起きている惨事は全く人事ではありません。
▲訳:「今日乗合タクシーの中で4歳ぐらいの女の子がママに”みんなが神様にお願いしたら、戦争を止めてくれるの?”と訊き、道中の半分ママと共に泣いていた・・・どうか戦争を止めて!!!」
苦渋の決断の末移住を余儀なくされたそのウクライナ東部避難民の皆さんが、7月半ばからムルマンスク州に続々到着しています。
▲露非常事態省の専用機から降り立つウクライナ東部からの避難民
露非常事態省ムルマンスク州支部の公式HPに発表された情報によると、8月7日までに延べ570人のウクライナ東部避難民がムルマンスク州入りしたそうです。以下が公式HPから拾い上げた情報です。
7月16日 69人 うち
4分の1 親せき宅へ
残り 非常事態省ムルマンスク州支部寮
7月30日 37人(子供6人含) うち
19人(子供6人含) キーロフスク市
18人 アパチット市
7月31日 21人(子供4人含) オレネゴルスク市庁舎寮
8月1日 34人(子供5人含) モンチェゴルスク市技術単科大学
8月3日 96人(子供26人含) うち
32人(子供12人含) カンダラクシャ市産業専門学校寮
32人(子供8人含) コブドール市技術単科大学寮
32人(子供6人含) アフリカンダ村、パリャールヌィエゾーリ市地域病院
8月4日 54人(子供17人含) うち
37人 ロボゼロ村全日中学校
15人 オレネゴルスク市支庁寮
8月5日 140人 ムルマンスク市第14学校、ムルマンスク産業単科大学寮、旧子供の家、コラ農産単科大学寮
8月6日 87人(子供29人含) ムルマンスク市 州センター一時待機所
8月7日 32人 うち
3人 パリャールヌィエゾーリ市
15人(子供4人含) アパチット市アメチストホテル一時待機所
14人(子供7人含) キーロフスク市ホステル一時待機所
・・・・まだまだ続くと思います。今後また到着次第このページに更新していきます。
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