ホロコーストと言えば、ドイツ国内で起きたナチス独裁政権によるユダヤ人大殺害のことだ、と連想する方が多いと思います。
実は、この未曾有の悲劇が起きたのはドイツ国内だけではありません。
世界史を学習した方はお分かりでしょうが、ポーランドを始めとした東欧諸国や、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、バルト3国など、被害は多国に及んでいます。
また種類もユダヤ人だけでなく、抗ったりかくまった者、知的障害者、精神病患者、同性愛者、黒人、宗教家、反ナチス活動家など様々な人が酷い死を遂げました。
ハリコフにあるホロコースト博物館は、ウクライナ唯一のホロコーストのみを扱った博物館です。
ハリコフは、ホロコーストの被害が多かった場所でした。
被害が多かった場所は他にキエフ(バビ・ヤール渓谷が有名)とかリヴィウとかたくさんありましたが、モニュメントがあるのみ。おそらく「歴史博物館」の中の1フロアに展示されているのかもしれません。
この博物館はユダヤ系ウクライナ人ラリーサ・ヴォロヴィク女史により、1996年に創設されました。6~8畳くらいの小さな展示フロアと、事務エリア(もっと小さい)に分かれています。撮影厳禁。創設者であるヴォロヴィク女史が1時間案内します。
展示フロアには、ホロコーストで亡くなった人民の遺影、ユダヤ人を護り通した「プラベードニク」とよばれる勇敢な人たちの写真などがあります。
住民台帳などもありました。ユダヤ人は黄色の、そうでない人は白色の台帳に記帳させられ、管理されていたようです。黄色の住民台帳がそのまま「デスノート」になろうとは・・・・・・。ほんの1,2年の間に、その台帳から数千人というユダヤ人が抹消され亡くなりました。
ゲットーと呼ばれる収容所もハリコフにありました。
有刺鉄線で張り巡らされた領域内に、厩舎のようなゲットーが整然と建てられていて、領域の片隅には大きな穴が掘られていました。穴の方を向かせ穴淵に立たせ射殺し、焼殺したそうです。そのジオラマは展示室に置かれています。
ゲットーは既に取り壊されて存在しませんが、東方向にпр. Московский(マスコフスキー大通り)を歩いて、オクルジュナヤ自動車道(Окружная дорога)を越えると、すぐ左手にあったようです。そこはドゥロビツキー・ヤールДробицкий Ярと呼ばれています。
※衛星から見た場所
現在そこには惨事を忍び後世に伝えるために、メノーラ(燭台の意)を表すモニュメントなどが建てられています。
ホロコースト博物館
[所在地]ул. Петровского 28, 2 этаж
[電話]700-4990, 714-0959
[営業時間]9:00-16:00(土日祝休)
[交通]地下鉄Пушкiнська(露:Пушкинская)下車徒歩10分
[料金]無料。撮影不可
ドゥロビツキー・ヤール
[交通]地下鉄Пролетарська(露:Пролетарская)から、トロリーバス46番・アフトバス276э番・マルシュルートカ276э番で
「ヴェリカ・キリツェーヴァ通り(Велика Кільцева вл. (露:Большая Кольцевая ул.))」下車5~10分
[料金]無料。撮影可
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実は、この未曾有の悲劇が起きたのはドイツ国内だけではありません。
世界史を学習した方はお分かりでしょうが、ポーランドを始めとした東欧諸国や、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、バルト3国など、被害は多国に及んでいます。
また種類もユダヤ人だけでなく、抗ったりかくまった者、知的障害者、精神病患者、同性愛者、黒人、宗教家、反ナチス活動家など様々な人が酷い死を遂げました。
ハリコフにあるホロコースト博物館は、ウクライナ唯一のホロコーストのみを扱った博物館です。
ハリコフは、ホロコーストの被害が多かった場所でした。
被害が多かった場所は他にキエフ(バビ・ヤール渓谷が有名)とかリヴィウとかたくさんありましたが、モニュメントがあるのみ。おそらく「歴史博物館」の中の1フロアに展示されているのかもしれません。
この博物館はユダヤ系ウクライナ人ラリーサ・ヴォロヴィク女史により、1996年に創設されました。6~8畳くらいの小さな展示フロアと、事務エリア(もっと小さい)に分かれています。撮影厳禁。創設者であるヴォロヴィク女史が1時間案内します。
展示フロアには、ホロコーストで亡くなった人民の遺影、ユダヤ人を護り通した「プラベードニク」とよばれる勇敢な人たちの写真などがあります。
住民台帳などもありました。ユダヤ人は黄色の、そうでない人は白色の台帳に記帳させられ、管理されていたようです。黄色の住民台帳がそのまま「デスノート」になろうとは・・・・・・。ほんの1,2年の間に、その台帳から数千人というユダヤ人が抹消され亡くなりました。
ゲットーと呼ばれる収容所もハリコフにありました。
有刺鉄線で張り巡らされた領域内に、厩舎のようなゲットーが整然と建てられていて、領域の片隅には大きな穴が掘られていました。穴の方を向かせ穴淵に立たせ射殺し、焼殺したそうです。そのジオラマは展示室に置かれています。
ゲットーは既に取り壊されて存在しませんが、東方向にпр. Московский(マスコフスキー大通り)を歩いて、オクルジュナヤ自動車道(Окружная дорога)を越えると、すぐ左手にあったようです。そこはドゥロビツキー・ヤールДробицкий Ярと呼ばれています。
※衛星から見た場所
現在そこには惨事を忍び後世に伝えるために、メノーラ(燭台の意)を表すモニュメントなどが建てられています。
ホロコースト博物館
[所在地]ул. Петровского 28, 2 этаж
[電話]700-4990, 714-0959
[営業時間]9:00-16:00(土日祝休)
[交通]地下鉄Пушкiнська(露:Пушкинская)下車徒歩10分
[料金]無料。撮影不可
ドゥロビツキー・ヤール
[交通]地下鉄Пролетарська(露:Пролетарская)から、トロリーバス46番・アフトバス276э番・マルシュルートカ276э番で
「ヴェリカ・キリツェーヴァ通り(Велика Кільцева вл. (露:Большая Кольцевая ул.))」下車5~10分
[料金]無料。撮影可
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ナチが隔離政策をとるまでは商売その他で自由に出入りできたのですが、そこに閉じ込められ、ゲットー外に住んでいた人も連れてこられたので人口が過密状態だったようです。
ビヤイストックもナチがユダヤ人たちを連行したので今はゲットーが形として残っていませんでした。
今回のUKエクスカーションで、そのコースが一番人が集まったのではないでしょうか?
「居住地区」「収容所」両方のことをいうみたいです。以下、wikiより。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC
過密状態だったため、伝染病も蔓延し、更に最悪を極めたようです。
ゲットーはユダヤの人にとって、忌々しい経験をした場所だったと思いますが、私としては、残しておいた方が良かったと思います。人間は善にも悪にもなれる。悪の権化と化した人間がどれだけのことをしてきたか、という確固たる物的証拠として。そして二度と繰り返すなということを後世に生々しく伝えるために。
それに嘗て某雑誌に投稿した似非研究者が「ガス室はなかった」などとホザいていましたが、残っていることによって「論より証拠」でより力強く完全否定出来るのに。