イコン教室で
「イコンを描いたら、金になる」と
先生がよく言っていました。
私は、それをイコン教室でなぜ口に出すのかよくわかりませんでした。
「イコンを金に替えてはならない」と正教会のことを書いた本に書いてあるし、
そう伝えられてきたと聞いていたから。
神父様もそう言われたから。
「心で思っていても、生徒に話さなければいいのに」と、思っていました。
正教会の信徒でない生徒から、
「私たちは絵を描く楽しみで描いているのに、
このイコンは何枚セットだからと、強制的に描かされなければならないのか?」という声が出て、
これは、もう無理だと私も思ったのが昨年の今頃です。
私に「老人介護ばかりしてないで、イコンを描きなさい」と言うので、こりゃこの人からイコンを習うのは到底、無理だと思いました。
私の場合は、介護をしているから、イコンが描けるんじゃないの?と思ったからです。
「イコンを生活の糧にしてはならない、金に替えてはならない」という意味の中に
身体を使った労働で稼いだ金でイコンを描きなさいという意味があるのだと思います。
神父様と男性しか上がってはならないと言われている教会の祭壇にも、
写真を撮る信徒でない人に
「神父が見ていないんだから、上がって撮影していいわよ」と言うし、
これらの発言は
自分が神父の娘だから、特別なんだろうか?
と思いました。
私や母も、教会に問題があるのではなくて、個人に問題がある、と判断し
ならば、その個人の言うことを聞く必要はなく、
つきあいを続ける必要もないのです。
母は聖路加入学時に洗礼を受けていて、正教会に改宗し
また、祖母は仏画家でしたから、
「してはならない」ということだけは守らされてきており、
この画家の言うことは理解できなかったそうです。
私も「仏様や神様がしてはならないということを守らなかったら、罰があたる」ということを
信仰を持っていない大人からも、
よく聞かされて育ったものですが、
個人の判断の宗教になってしまっていることには
非常に奇妙な不可解さを感じます。
私はクリスチャンであることは変わらないけど、
あの画家から離れてよかったと思います。
描く絵だけでなく、着るものから、行動まで、つきあう人まで、
私だけでなく、他の生徒も自分の思い通りにしたいのですから、
それはご家族かご自分でしてくださいと伝えました。
自分たちがすばらしくて、
岡山はバカだと夫婦で罵り続けるおかしさには我慢なりません。
イコンや仏画を描くって、
そういうものではないからです。
人間同士の信頼がなくては、
仏様や神様からの信頼もないと私は思っています。
介護で病院で過ごすことが多くなりましたが、
こちらの方が、すてきな先生方にお会いできたり、
患者さんやご家族から、いろんな人生を教えていただくことが増えました。
また、モリモリと絵を描きたくなってきて、いろんな準備をしています。
城戸真亜子さんの「油絵って楽しい!」がちょうどよい時期に始まって、
城戸さんの介護の本も読みました。
城戸さんの絵に対する考え方は私は大好きです。
私もやはり、絵を見たり描いたりが介護の支えです。
油絵は何度か描いたけど、どうしてもにおいに酔ってだめでしたが
においの少ない絵具も販売されているので、それを使いたいと思います。
母の手術がどうなるでしょうか?
息子も城崎から帰宅し、また一週間が始まります。
「イコンを描いたら、金になる」と
先生がよく言っていました。
私は、それをイコン教室でなぜ口に出すのかよくわかりませんでした。
「イコンを金に替えてはならない」と正教会のことを書いた本に書いてあるし、
そう伝えられてきたと聞いていたから。
神父様もそう言われたから。
「心で思っていても、生徒に話さなければいいのに」と、思っていました。
正教会の信徒でない生徒から、
「私たちは絵を描く楽しみで描いているのに、
このイコンは何枚セットだからと、強制的に描かされなければならないのか?」という声が出て、
これは、もう無理だと私も思ったのが昨年の今頃です。
私に「老人介護ばかりしてないで、イコンを描きなさい」と言うので、こりゃこの人からイコンを習うのは到底、無理だと思いました。
私の場合は、介護をしているから、イコンが描けるんじゃないの?と思ったからです。
「イコンを生活の糧にしてはならない、金に替えてはならない」という意味の中に
身体を使った労働で稼いだ金でイコンを描きなさいという意味があるのだと思います。
神父様と男性しか上がってはならないと言われている教会の祭壇にも、
写真を撮る信徒でない人に
「神父が見ていないんだから、上がって撮影していいわよ」と言うし、
これらの発言は
自分が神父の娘だから、特別なんだろうか?
と思いました。
私や母も、教会に問題があるのではなくて、個人に問題がある、と判断し
ならば、その個人の言うことを聞く必要はなく、
つきあいを続ける必要もないのです。
母は聖路加入学時に洗礼を受けていて、正教会に改宗し
また、祖母は仏画家でしたから、
「してはならない」ということだけは守らされてきており、
この画家の言うことは理解できなかったそうです。
私も「仏様や神様がしてはならないということを守らなかったら、罰があたる」ということを
信仰を持っていない大人からも、
よく聞かされて育ったものですが、
個人の判断の宗教になってしまっていることには
非常に奇妙な不可解さを感じます。
私はクリスチャンであることは変わらないけど、
あの画家から離れてよかったと思います。
描く絵だけでなく、着るものから、行動まで、つきあう人まで、
私だけでなく、他の生徒も自分の思い通りにしたいのですから、
それはご家族かご自分でしてくださいと伝えました。
自分たちがすばらしくて、
岡山はバカだと夫婦で罵り続けるおかしさには我慢なりません。
イコンや仏画を描くって、
そういうものではないからです。
人間同士の信頼がなくては、
仏様や神様からの信頼もないと私は思っています。
介護で病院で過ごすことが多くなりましたが、
こちらの方が、すてきな先生方にお会いできたり、
患者さんやご家族から、いろんな人生を教えていただくことが増えました。
また、モリモリと絵を描きたくなってきて、いろんな準備をしています。
城戸真亜子さんの「油絵って楽しい!」がちょうどよい時期に始まって、
城戸さんの介護の本も読みました。
城戸さんの絵に対する考え方は私は大好きです。
私もやはり、絵を見たり描いたりが介護の支えです。
油絵は何度か描いたけど、どうしてもにおいに酔ってだめでしたが
においの少ない絵具も販売されているので、それを使いたいと思います。
母の手術がどうなるでしょうか?
息子も城崎から帰宅し、また一週間が始まります。