鹿島田真希さんの日曜美術館。
拝見してよかったと思いました。
教会で真希さんの掲載された新聞をみんなで読んだときに
「ご主人はどんな方かな?」と誰もよく知らずに話していました。
真希さんの置かれた現状を知ることができ
作品に書かれた意味をまた深く読みとれると思いました。
芥川賞の授賞式の時の真希さんの顔が
喜びというより
覚悟した顔であったので
きっと何かある方だろうと想像していました。
信仰というのは自分の苦悩を昇華させてくれるだけでなく
他者の苦悩をも自分の身に置き換える考え方を示してくれますが
授賞式の真希さんには
真希さんとご主人のふたりがあの場に立っていたのだなと理解できました。
私も聴覚障がいの子を成人させて
今は痴呆老人をふたり看ていますが
心も身体もヘトヘトになって
「明日、朝には自分は亡くなっていて
起きられないかもしれない」とずっと思っています。
「このまま死ねば楽になる」という気持ちもあります。
「でも、自分が死んだらこの子はどう生きる?両親はどうなる?」という気持ちが
いいやまだ生きねばならないと思わせてくれ
死への誘いを拒絶して
また新しい1日を迎えさせてくれます。
死ぬまでその繰り返しです。
心の負担を抱えての創作は何倍もたいへんです。
それを選ばれ実行されている真希さんは
同じく障がいと生きていく方々の代弁者となる使命があるのだと思いました。
ルオーはもちろんすばらしかった。
でも、真希さんの後ろに見えた普通の日常
鍋やネイルやスーパーの袋
それらが見れてよかったと思いました。
またいつかお会いできるように思います。