イコンのもとに


在宅介護16年が終了後、やっと自分のために生きられる。イコンも描いてます。ブログは書いたり書かなかったり、気分で。

ニコライ堂へ

2016年11月28日 | イコン
先日の聖ミカエルのお祝いの日に、東京にいましたので
少しだけ、ニコライ堂の参祷に伺いました。
(2016年11月21日 天軍首ミハイル及び他の無形軍の会衆祭、正教会暦より)

神田明神から聖橋を渡ります。
母の実家が湯島で、お茶の水までの道は
母や祖父母の散歩コースでした。

本郷通りの美しい並木。



湯島聖堂にも寄りたかったのですが、
朝早くて開いていませんでした。



聖橋は長寿化の工事中でした。









昭和初期にニコライ堂近辺で祖父母が写った写真があります。
母によると、今より、ニコライ堂はもっと身近だったそうです。
久しぶりでしたが、参祷できよかったと思います。

私とニコライ堂とのご縁は、
岡山のイコン画家からもらいましたが、
イコン画家の白石夫婦からの岡山県民や岡山への作家への罵りが10年以上続き
私や両親もうんざりしましたから、
今はおつきあいしていません。
イコン画家は神父の娘だそうですが、
あの我々岡山県民への罵りは、いったい何だろうか?と思います。
高齢による、何かのおかしさなんだろうと思っていますが。
神職者の家族が布教を考えたら
在住地を罵り続けるなんてあり得ません。
岡山を罵るイコン画家が描くイコンもとても信頼できません。
何度も違うと話したのに、母の聖人を全く違う聖人を描いてきました。
聖人を間違えて描いて母に贈ってきたのには驚きました。
私は違うと言っていたのですが。
岡山での布教は、岡山への罵りがある限りはとても無理です。
白石孝子さんからは
「神父の娘の私が描くイコンはすばらしいんだから、私を敬いなさい」とも言われましたが
それがおかしな発言だとわからないというのも奇妙なことです。
人吉のイコノスタスを手伝っていた時も
「年寄りばかりみていないで、イコンを描きなさい」と言われましたが
白石さんの子どもや孫に言ったらどうでしょうか?
私は両親の介護を辞めてイコンを描く気持ちは全くありませんでした。
イコンのすばらしさの教えどころか、へんなことばかり言うただのおかしな人です。
岡山を罵られての布教は一切、あり得ません。
私は個人的には、イコンという絵画に惹かれてはいますが、
宗教の布教には全く関わりません。
仏画を描いていた祖母から
「画家は絵だけ描いていなさい。宗教には口を出すな」と言われています。
画家は絵だけです。
宗教は聖職者にまかせたらいいのです。
イコン画家が人様の生き方の指図をするなんて、とんでもない!
自分を敬えと岡山県民へ要求するわけですから、
まるでナチスのようだと思いました。
日本正教会の考え方とは、全く違うと思います。

11月2日に来たときには、まだ咲き始めでしたが、
11月21日は、百合が満開でした。
ニコライ堂の中庭です。





ニコライ堂の堂内で、ちょこっとスケッチをしました。
お祈りの最中ですから、ちょこっとだけです。
堂内は撮影できません。



時間の都合で、ご聖体はいただきませんでしたが、
聖ミカエルの参祷に伺えただけで満足です。
また、参祷に伺います。


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岡山芸術交流、ダリより高い、格差アートイベントだ

2016年11月16日 | 岡山
岡山芸術交流、当日券がダリより高いなんて。
びーっくりです‼️

横尾忠則さんなら
「現代アートはダリを観てたらいい」って言うだろうなぁ〜と思いました。

当日券 ダリ展 1600円
当日券 岡山芸術交流 2016 1800円

国立新美術館でさえ1600円なのに、
岡山の田舎で1800円ってなに⁉️

高すぎて、岡山県民、当日券は買わない。
私は前売りさえ買ってない。
つまり、いかない。
観る気は全くない。
ダリ展を観る方がいい時間が持てます。

まさか、岡山芸術交流2017とか、あるわけではないでしょうね⁉️

英語ばかりのポスターで、岡山県民はほとんどわからない。
わからないのに、何が国際交流なんだろう⁉️
金ばかりかけて、岡山県民に何が残る?
ごく一部の人にしか、よいことはない。

格差アートイベントって、言ったらいいと思う。
結局、言い出したアパレル会社の宣伝に利用された感じがします。
岡山県民はほとんど国際交流はなく、終了だと思う。
アパレル会社が自社で開催して国際交流すればいいのに。
県民を巻き込む必要があったわけなのか?
まーったくわかりません。
国際交流より、岡山の若い作家を育てるとか
爺さん婆さんやチビたちに必要なイベントにしてほしかったです。

リョービタクシーの座席についてました。↓
岡山は「開発 」ではなくて、「再認識」なんだよ。
岡山のすばらしさを「再認識」‼️ANEW‼️
岡山のことを全く知らない外国人作家に「開発」は
できませんね。

なんで、外国人に「開発」されなきゃいけないの?
「侵略」の間違いでは⁉️
テーマの「開発」からして、
今の自然保護、自然思考に向かっている時代に
「開発」なんて高度経済成長時代の言葉を使うなんて
一般庶民には、抵抗がある言葉だと
全く気づいていないところに
美意識がないなぁ〜と思いましたね。
岡山のアートイベントは、いったいいつの時代のアートイベントなんだろう⁉️
ホントに格差ありのアートイベントだ。
県民を無視して開催したアパレル社長の名声のために金は出さないよ。

大赤字で終了は、私でもわかります。
みんな、1800円払わないから。







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アートビジネスの失敗

2016年11月11日 | 岡山
岡山芸術交流というアートイベントの予告をテレビで見た時に
「作品のセレクトを失敗したな」と思いました。
そして、このアートイベントは美術の素人には受けずに成功しないだろうと確信しました。
その理由を書きますと、実に簡単なことです。

「蜂の巣の頭をした裸の女」の彫刻がテレビに映った時、
この作品を選んだ人は「なぜ裸の女の像が公共の場にないといけないのか?」
という活動があることを知らないのだろうなと思いました。

私がその活動を知ったのは、
岡山市の男女さんかく岡山の講習会で
「西洋美術史の中で置かれてきた女性の立場」を勉強してレポート提出をした時です。

裸の女が彫刻として、公共の場に現れたのは、
日本美術からではなく、西洋から来た美術によってです。
多くの女性は同じ裸の女の像が公共の目にさらされ、
胸や性器には落書きやチューインガムが貼りつけられることに不快感を感じました。
なぜ、裸の女の像が美術館の中ではなく、公共の場に出ていかねばならなかったのか?
その根源を調べて、同じ裸の女の像の扱いをどうしていくのか?
と考えて活動している方々がいます、と、
岡山市の男女さんかく岡山の講習会で習いました。

これは10年近く前の事であり、
岡山芸術交流の作品セレクトをした人は美術の素人さんかな?と思いました。
蜂の巣をかぶるのは、
別に裸の女でなくてもよかったのではないのか?男でもよかったのでは?と思いますが、
まあこれは作家さんの考えがありますから、
何を作るのも作家さんの自由がありますから。

でも、裸の女の作品を芸術交流の場に選んでくる、しかも蜂の巣をかぶって。
岡山での美術の歴史や県民感情を無視した作品セレクトには間違いありませんね。
不快感を感じる女性たちがいる作品を展示して、
どこが岡山芸術交流なんだろうか?と、元々のコンセプトまで疑いました。
言い出しっぺが女性服を扱う会社の方です。
「美術の中の女性の立場」を、お勉強しなかったんだなぁ〜と思いました。
私は裸で蜂の巣はかぶりたくないなぁ〜。(^^)


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考えさせられた

2016年11月06日 | 岡山
燃えたらたいへんなことになる現代アートは
岡山にもあるし、
アートの突然の危機に、
企画者、主催者、作者は
どんな対応をとっているんだろう?



現代アートイベントの問題点は多数あり。


追記 11月7日(月)
私はキルト作品の展示をした時には、
作品に対しての保険
(1日数百円だったから、5、6日の展示期間中ならたいしたことはない金額)
は必ずかけていたし、
ギャラリーによっては
オーナーさんがその都度、
作家と相談して保険をかけていたところもあり、
けれど、それは作品に損害があった場合のみの保険であって、
鑑賞者や私に対しての保険ではないので、
そういうところ、どうなっているんだろうか?と考えていました。
保険屋さんに聞いてみよう。


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ピンとこない岡山芸術交流

2016年11月05日 | 岡山
東京で、岡山芸術交流を観に行った何人かの人にお会いしましたが、
みな「最初から前衛過ぎて、岡山の場所や人になじんでないのではないか?」という感想でした。
突然、異次元の物が現れるおもしろさはあるのですが、
海外の作家が岡山の現場に来て初めて
どんな場所に自分の作品が展示されるのかわかったという人や、
組み立てには一切関わってなく、
完成してから作家登場とか、
芸術交流の企画者の意気込みとは、
えらく温度差があるのてした。

私個人の感想としては、
世界的な作家に高額な金を払うくらいなら、
岡山、近県の作家に製作費や滞在費を払って
制作させた方がよかったのではないかと思いました。「国際」にこだわり過ぎで拍子抜けのような感じがします。
別にあれらの作品を、
別に岡山で展示しなくてもよかったんじゃないか?という気持ちがあります。
バブル世代のブランド思考が美術展企画にもまだ残存しているのかね?
瀬戸内国際芸術祭をまねてみても、
作品まわりの環境と合っていないと、
ちっともつまらない。

岡山には、ほどよい田舎のよさがありますから、
それを理解していない作家の作品を展示してもね、
異質なだけだよ、という気持ちはあります。

岡山に「世界的な」はいらない。
ほとんどの岡山県民は「世界的な作家」は知らない。
岡山を理解してくれて
岡山県民に寄り添って制作された作品ならウェルカムだけど。
つまり、交流はほど遠い感じがあります。

岡山は田舎ですが、羽田から飛行機に乗って2時間で我が家に帰宅できます。
岡山駅から、ふたつめの駅あたりに我が家があるので
東京は気楽に出かけられるのです。
岡山に移住される方が多いのも、
関東の方が岡山市内のマンションを購入される方が多いのも
東京へ日帰りできるからです。
東京へ気楽に行けるということは、
海外へも気楽に出かけている方が岡山には多いのです。
我が家のご近所のじいちゃんばあちゃんグループは
先日、ニューヨークへ行ってきました。

以前、国吉康雄の生家のある出石町に17年住んでいましたが、
町内から海外へ出て暮らしている人はたくさんいましたよ。
フランス、アメリカ、イタリア、上海、香港など。
狭い町内でしたが、国際的な雰囲気がありました。
国吉康雄が生まれた町だもの。

高額な公費をかけて、
岡山にあまり興味のない作家を
アパレル社長の趣味で呼んできて
では、岡山の若い作家や美術家を志す若い人に
何が残るのか?
「やっぱり、美術って金かかるんだなぁ〜」という思いが残るだけかな?

私としては、岡山の近県の若い作家たちやベテラン作家たちに
制作、発表の場を作る方が、はるかに交流できたのに、
と思いました。
瀬戸内国際芸術祭をまねても、全くだめですよ。
岡山には、岡山のよさがあるんだから、
そのよさを引き出してくれる作家たちの作品でないと
岡山にはそぐわない。




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花時計