イコンのもとに


在宅介護16年が終了後、やっと自分のために生きられる。イコンも描いてます。ブログは書いたり書かなかったり、気分で。

現実

2024年02月28日 | チャリティイコン
宗教画を描いていると、
時々、何を勘違いしたのか?
奇妙な考えを持った人が現れるので、私は非常に警戒をしているんです。

私が仏画を描いている時や
プロの仏画師、彫刻の仏師の方々に聞いたら
奇妙な人が現れることは滅多にない、と言われるので、
イコンみたいなキリスト教の宗教画は
日本では一種のキャラクター物といいますが、アニメ的というか、
日本文化にはない憧れの対象みたいな感じがあって、
追っかけみたいな物になるのかもしれません。

私は、そうなるのをすごく警戒しており、
イコンは画家にとってはただの絵であり、
絵を正しく描けばいいだけで、
描く画家を崇めるものでもないし、
スピリチュアル云々とは一切関係ないと常々言っています。

私がオリエント美術館に紹介した札幌ハリストス正教会神父の娘だというイコン画家は
「私たち家族は選ばれた家族で特別なんだから、
岡山の人間が私たちを崇め奉らないのかおかしいんだ」といたるところで発言しており、
非現実でおかしいのは、岡山県民ではなく、
自分たちはまるで聖家族だと言うわけですから、妄想が激し過ぎます。
そんなことを言って歩くので、
さっさと離れないと私が振り回されて絵も描けなくなると思い離れました。
イコン学者も離れており、それはよかったと思いました。

札幌ハリストス正教会の神父の娘だから、自分が描くイコンはよく効いて高価だ、と言うのですが、
神父の娘だからイコンが効いて高いなんて、全く宗教詐欺そのもの。
「寺の住職の娘だから、自分が描いた仏画は効いて高い」という仏画家に会ったことなど1度もありませんし、
イコン画家が自分を敬えと岡山県民、作家やギャラリーに強要するわけですから
もう、とんでもなかったです。

今のイコン教室では、イコン画家を教祖扱いしてオウム真理教みたいになっているのでは?と考えたら、
信仰の対象を取り違えると恐ろしいと思いました。
ですので、私はあのイコン画家とは全く関係ありません。
今後も一切、関わらない。
一般常識がないんですから。

イコンを描く画家はただの絵描きであって、
神学を学んだ者でも、聖職者でもないんです。
ただの普通の人間であり、
絵、イコンが描けるから描いているだけです。

メルカリにチャリティイコンを出していたのですが
前にも書きましたが、
聖ルカとカザンの聖母を記事にしたいという方がいたのですが、
私はその人が自分で記事を書くのかと思ったので、
写真を使うことを許したのですが、
なんと、自分では教会のチェックが入るなら記事は書けないから
学術研究者に記事を書くように頼むから、教授にカザンの聖母の写真を見せてもいいか?
とコメントがきました。

⁉️⁉️⁉️ ですよね。 
イコンについての学術研究者は私が知っている数人しかおらず、
また、イコン専門でなくても、
どこに、そんな暇がある教授がいるんだろう⁉️ということです。
無料でわざわざ記事を書く教授など、どこにもいませんよ。
しかもメルカリの写真だけで私にも会わずに記事にする教授など全く信用ならん。
何をバカやろうなアホ事を言ってくるのか⁉️
記事を頼める教授など、この世にはいません。

その方は、私が描いた聖ルカやカザンの聖母に取り憑かれたみたいですが、
あまりにも現実を知らなさすぎる。
おそらく、ただ頭で考えているだけの妄想で、
正教会やイコンを勉強して、事実を取材した記事も書けないんだと思います。
これは、話にならない、
ダメだと思い、
また、
もう関わっていたら面倒くさいので、ブロックしました。
ブロックしたらコメントできません。
こういう人は、いつまでも同じことを言ってきます。
延々と妄想を繰り返しているだけです。

神父様や牧師様、またご住職や神官の方々は、
いろいろな人を相手に話をされるわけで
もう大変なお仕事だと思います。
神学校へ行く若い人たちが減っていると何年も前に聞きましたが、
そうだろうなぁ、
大変な仕事だなぁ、と思いました。

チャリティイコンは3月にはウクライナの方々にお渡ししたいと考えていましたので、
メルカリの出品も削除、
こちらでのチャリティイコンも非公開にしてあります。

現実をしっかり見てないと、宗教画は描けないです。
イコンは描いていきたいと思いますので、
チャリティイコンはマイペースで続けていきますね。

宗教画こそ、現実、事実をしっかり知ってないと描けないんですよ。
人間が生きてきた歴史の結果が宗教画になってるんですから。




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私の花粉症対策

2024年02月25日 | その他
今年は1月から花粉症を警戒して準備していました。

私はスギ花粉症で一応スギだけなので、今の時期から5月半ばまでを
なんとか過ごせばいいのです。

私の症状は目のかゆみと顔や手の甲のかゆみです。
鼻詰まりは全くなくて、鼻の乾燥が強くなるくらい。
マスクをしていると目の下のマスクの縁がものすごくかゆくなります。
アレルギー薬も最低容量で市販薬で乗り越えたい。
かゆみの症状を抑えるものを考えてみました。

じゃばらって柑橘🍊がいいとは聞いていますが、
サプリはどれがいいかわからないし、じゃばらの果汁は高すぎる。
そこで、昨年末に柚子ジャムを作った時の種を
甲類20度の焼酎に漬けていたのですが、
その柚子水を洗った顔につけてみたところ、かゆみが治まりました。
外から帰宅したら、顔を洗って柚子水をコットンでつけて、
それだけじゃ保湿が足りないから、オールインワンジェルとかエイジングクリームとかを塗るといいです。

12月の柚子ジャムが素晴らしくおいしかったのですが、
昨日、スーパーで最後くらいの柚子をみつけて、ジャムと柚子水をまた作りました。

柚子は果汁が少なかったので、白ワインを加えて作りました。

小さな柚子でも大量の種があります。


種を取り、果汁を絞って、
左上の残りかすはネットに入れてお風呂に使います。
皮の内側の白いところが苦いので、スプーンで取ります。
これが面倒くさいです。


白いところを取った皮を細切りして
果汁と皮の重さの3割の甜菜糖と水分が足りない分の白ワインを入れて煮ます。


柚子ジャムの完成。
12月の柚子より劣るけど、充分おいしいですね。



こちらは絞りかす。
ネットに入れてお風呂で使います。



種は洗って乾かして、
甲類焼酎20度に1ヶ月漬けたら柚子水の完成です。
私は20度がヒリヒリしなくてちょうどいいです。
次は夏に備えて、ですね。


何が起こるかわからない気候になってますから、
体調維持するように
先の季節を考えながら
暮らしの用意をしなきゃならないですね。
もちろん、
金、かけない。
高いものが私に合うとは限らない。
自分に合うもの、作れるもので考えていきます。

負けないゾッ‼️
花粉症‼️




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60代のごっちゃな暮らし

2024年02月22日 | その他
60代のごっちゃな暮らし
丁寧でない暮らし
いい加減な暮らし
をしています。

60代になってまで
丁寧な暮らしをしなきゃいけないのか⁉️

好きなように生きたら
あかんのか⁉️

だらしなく暮らしたら叱られるんか⁉️

め〜んどくせぇ‼️
と思っているので、
雑誌やVlogで大ブームの
丁寧な暮らっすぃ〜は
見て見ぬふりをしています。

だって、
体力なくなっているのは
ハッキリ‼️自覚しているし、
自分の暮らしを人様に見せるほど
恥ずかしいことはないのよ。

ダッチオーブンになるホーロー引きの鍋釜が、もう重すぎて
北欧の素敵な食器も分厚過ぎて
重くてたまらんから、
もう処分処分、
少しでも身体に負担ないものを使う。

70、80代の素敵な一人暮らしなんて
ブームになっちゃって
全く、年寄りの部屋の、
いいところしか写真撮ってないぢゃん、
年寄りってのは
あったかくして、
手の届くところに物があって
年寄りが生きやすい空間になっているはずなのに、
30、40代と全く同じ空間、
インテリアになっていることに驚くばかり。
きっと、クロワッサン世代が80代になってきたからだろうね。
見栄えのいい美しい暮らし大ブームなんですよ。
人と同じブーム大好き世代なんだから‼️

私は、朝のブギウギで見る福来さんちの居間のようなのが落ちつく。
今朝の福来さんは、
畳んでない洗濯物をかき集めていたけれど、私はあれがいい。
あれが生活。

美しい素敵な暮らしより
床でつまづかない、
階段で転ばない、
風呂で溺れない
倒れても発見が早い、
安全な暮らしがいい。

私の大好きなアニメ
ナミミコ。
すんごい名作揃いなんですよ。
動かないアニメの、たねちゃんとカシューもアダルトにはおすすめします❣️
モモウメも名作だわねー。
古いのから見返しています。












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時を経て②

2024年02月20日 | 岡山
時を経て①の、記事の続きです。

磯田くんのラジオを聴いて
30年ぶりに解けたのは、
約30年前に明治生まれのある女性が発した一言なんです。

それは、
「あなたは子どもたちを、
下級武士の住む地に遊びに行かせるのか⁉️」という言葉です。
これだけ聞いたら、今ならすごい差別発言でしょ?
私も当時、そう思いました。

私たちの住んでいた岡山後楽園前の出石町から、
すぐ北の広瀬町へ子どもたちが遊びに行くだけなのに
下級武士の住む地に行かせるのか?と怒るわけです。
高齢者の認知の衰えとかあるにしても、若い頃の記憶からの発言でしょうから、
これはいったい何があったんだろう?
ただの差別発言ではないんじゃないか?とずっと思っていたんです。

この発言をした明治生まれのおばあちゃんは
当時、岡山後楽園門前でお菓子屋さんをしていたんです。
今はコンビニになっている場所です。
この時、
もうすぐ90歳と言ってましたから、生きていたら120歳くらい。
つまり、1900年くらいに生まれた人なんです。

1900年初めの出来事、コピペです。
義和団の乱(1900年6月)
マッキンリー大統領暗殺事件(1901年9月)
ライト兄弟初の動力飛行(1903年12月)
パナマ運河建設(1904年)
ロシア第一革命(1905年)
サンフランシスコ大地震(1906年)
こんな時代に生まれたおばあちゃんですから、
おばあちゃんの親の代は幕末〜明治初期です。

おばあちゃんの下級武士の話、
磯田くんがラジオで話した岡山藩(備前藩)が深く関わりのある
神戸事件(備前事件)を聞いて、この事件があったから、
下級武士が‼️という罵りとなったんだなと初めて理解しました。

神戸事件をネットからコピーしますと、
神戸事件は、慶応4年(1868年)1月11日に神戸三宮神社前において備前藩兵が隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させ、銃撃戦に発展し、居留地予定地を検分中の欧米諸国公使らに水平射撃を加えた事件である。備前事件とも呼ばれる。明治政府初の外交問題となった。

磯田くんの話によりますと、
1868年は明治元年で
岡山藩は西郷隆盛の招集により、江戸へ向かう途中、フランス軍に出会い、彼らが鉄砲を持っていて、
岡山藩の武士が「鉄砲だ、鉄砲だ」と言ったのを、
他の武士が勘違いして「発砲だ、発砲だ」と聞き間違えて、フランス軍に向けて発砲してしまい、戦争になってしまったというのです。
岡山藩は日本で初めて外国と戦った藩ということになるそうです。
聞き間違えて銃撃戦ですよ。
なんたることでしょう‼️
詳しくはYouTubeで検索すると、安住さんのラジオで磯田くんが話しています。

この事件の中心の武士たちが住んでいたのが、今の広瀬町あたりだったんです。
広瀬町は出石町からは、すぐそこで、大きな車道を挟んだ隣町なんです。
お菓子屋のおばあちゃんは、親たちから下級武士がしでかした事件を聞いて育ったに違いないんです。

今の私たちは、何にも知らなくて、
もちろん差別はダメだと聞いて育ってますから、
おばあちゃんの下級武士を憎む気持ちは全くわかりませんでした。

昔の人は自分の住む世界がすごく狭くて、すぐ近くに地獄があったり、天国がある感覚ですから、
隣の町内でさえ、別世界の人間が住む町だから、
そこへ子どもを遊びに行かせるとは、なんたる母親だと
おばあちゃんは怒ったんでしょうね。
磯田くんの神戸事件の話から、長年の疑問が解けたのでした。
昔の話は、今の感覚で考えたらいけませんね。
今の感覚では理解できません。
ラジオでは、この事件に絡んだ磯田くんのご親戚の話も聞けます。
歴史好きな方はぜひ聞いてみてください。

宇多田ヒカルちゃんのご先祖様も備中高松城水攻めで
泳いで行ったり来たりして大活躍されたそうです。
これも磯田くん情報です。
子孫が有名になると、こんなことまでバレるんですね〜。

磯田くんプロデュースで岡山城が新しくなり、
前は改装するまでの長年で4万人の観光客だったのが
改装後1年で4万人を超えたそうです。
新しくなったのもあるけれど、磯田パワーはすごいですね。
磯田くんも言ってましたが、
ぜひ宇喜田秀家を大河でしてほしいです。
おもしろいんだけどな、備前藩や津山藩の歴史。
大河になるには、地味かなぁ?
我々、遠い先祖の森蘭丸なんかもいるんだけどなぁ。
BL推し、がんばってくれないかなぁ。


追記 2024年5月7日
RSKのイブニングニュースで拝見しました。

神戸事件の責任をとって、
備前藩の長の瀧善三郎は切腹をしました。
満30歳でした。
神戸事件の唯一の死者であり、日本を救った人です。
曽孫さんが神戸の瀧善三郎の切腹した近くの記念碑を訪ねられていました。

瀧善三郎という人がいたことを私は今まで知りませんでした。
(明治政府が汚点として隠そうとしたため)
今、岡山では瀧善三郎のことを伝えていこうという活動が始まっています。

歴史は一方から見るだけでは理解できなくて、
いろんな方向から見なきゃ本当の理解はできないと思いました。
岡山市民としては、
瀧善三郎と神戸事件のことは伝えていかなきゃならないですね。




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納戸神

2024年02月19日 | チャリティイコン
今、同時進行で3枚のイコンを描いています。

前に載せたキリスト像の続きと、
荒野の声と、
あと1枚はキリシタンの納戸神です。

チャリティイコンを思いついた2013年頃から、
いつか描かせていただきたいと思っていました。
ですから、私は、イコンは描くけれども、イコン画家ではないんです。

時々、書いていますが、
私の父方の先祖には
津山藩の森家と関わりのある先祖がいて、
祖母や父からはキリシタンをかくまった様々な話を聞いています。
ただ、やはりかくまったので、
大っぴらに話はできなかったみたいです。
祖母はかなり晩年になってから話してくれました。
祖父は戦前は帽子屋で津山のキリスト教会の牧師や神父の帽子を作っていました。
津山の正教会の神父の帽子も作っていました。

江戸の津山藩の屋敷で何があったか?
キリシタンをご存知の方なら知っておられるでしょう。
岡山は備前宰相の宇喜田秀家がおり、その妻は前田利家の娘、
豪姫、豪マリアがいましたから。
黙っていても、キリシタンとご縁のあった岡山県民はいるんです。

磯田くんはキリシタンの話はほとんどしないです。
意識して触れないんだと思う。
彼は忍者の方ですから。

少しずつキリシタンの資料を調べてきてはいたのですが
あまりの悲惨さを知るのが嫌になったのと、両親の介護もあって数年は離れていました。
でも、介護が完全に終わった今なら、描けると思っています。

完成しますまで、しばらく、お待ちください。



私がオリエント美術館に紹介したイコン画家からは、
度々、「カトリックはろくでもない」と言われました。

イコン画家は札幌のハリストス正教会の神父の娘ですから、
神父からそう聞いて育ったんでしょう。
イコン画家の陶芸家の夫の家は、私の父の津山京町の家のすぐ側なのに、
津山と関わりのある人間が、
よくカトリックの悪口が言えるものだと思いました。
近くにいたら、それこそ、ろくなイコンは描けないと思い、
2012年の8月にはイコン画家からは離れました。
離れてよかったとつくづく思います。
オリエント美術館に紹介してしまい、大失敗でした。
申し訳ありません。

イコン学者も岡山から東北の大学へ行きましたから、
イコン画家夫婦から利用されなくなりました。
これには、安心しました。

他宗派、他宗教の悪口を平気で口にする宗教画家など、
私は画家としては認めていないです。
ロシアの総主教も、とんでもなかったけれど、
似たような正教会の人間がいるもんだと思いましたが、
日本正教会の神父の中にも、
キリシタンの勉強をされている方がいるので、
それはよかったと思います。

他宗派、他宗教は、お互い理解をしないと、必ず争いが起こります。
私みたいなイコンも描く画家は、
この意識を常に持ってないと
宗教を利用した傲慢極まりない高飛車な画家になりかねない。
気をつけています。
「絵描きの婆さん」で充分満足なんですよ。



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花時計