イコンのもとに


在宅介護16年が終了後、やっと自分のために生きられる。イコンも描いてます。ブログは書いたり書かなかったり、気分で。

TAPAS

2013年08月15日 | 岡山
すてきなインテリアのイタリアンのお店に来ましたよ。

ランチをいただきます。



壁に額を並べるのは、アメリカのダイナーにも見られて
私は好きな飾り方です。





娘と久しぶりに、TAPAS タパスに行きました。
タパスは娘のお友達のパパのお店です。

城下( 石関?)から、幸町に移転して
初めて行きました。

Aランチは、ズッキーニときのことベーコンのスパゲティ
Bランチは、薩摩地鶏のローストとサーモンのカツレツ
ともに1200円
Cランチは、A+B です。
こちらは1500円です。
私たちは、Cランチをお願いしました。
ランチには、前菜とパン、デザートがついています。

ランチの前菜です。



この味!
大好きな味です!

薩摩地鶏のローストとサーモンカツレツです。



ズッキーニときのことベーコンのスパゲティです。



デザートです。



ドリンクは200円プラスで
娘はアイスティー、私はエスプレッソをいただきました。
タパスのエスプレッソは、あまり苦くなくて飲みやすいです。
私は濃くて苦いエスプレッソが好きですが、
タパスのエスプレッソもまろやかで好きです。

ちょっとしたランチタイムでも、
介護で忙しい日々ですと
ホッとしますね!

また、来たいお店が
アリちゃんのお店です。

アリちゃん、とってもおいしかったよ!
パパ様にどうぞよろしくね!


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禁煙ファシズム

2013年08月15日 | イコン
夜が明けて、
風立ちぬ の喫煙問題。

今朝のYahooニュースを見たら
茂木健一郎さんが「禁煙ファシズム」だと言われたそうです。

まさしく、同意見。

他人の思考や表現を
自分の意のままにしたいファシズムと全く同じです。

自分の好き、嫌いを他人に押しつけるものではない。
何もわからない子どものわがままに見える。

昔のドリフターズやルパン3世が
少しだけ大人の世界を見せたのを
まるで彼らが「悪の世界の住人」
と考えられていたのと
同じようなものだ。

喫煙シーンが気になるのであれば、
親は子どもに観せなくていい。

結核というものが、どういう病気だったか、
子どもに教えるにはいい機会だ。

ジブリの映画を観る観ないは、全く自由だ。

禁煙を要求するなら、
タバコの販売元に要求するべきであって
風立ちぬ に言うべきではない。

思考や表現の規制を要求するあの文章は
戦争直前の雰囲気を持った
恐ろしい要望書に見えました。

茂木さんの「禁煙ファシズム」は
ぴったりの表現だ。




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表現の自由

2013年08月14日 | イコン
風立ちぬ を、まだ観ていないので
どんな喫煙シーンがあるのか
よくわかりません。

けれども、日本禁煙学会の苦言をYahooニュースで見る限りでは
まさに、宮崎監督が描こうとしていた
夢見る自由さえも奪っていく
戦争中の特高みたいだと思いました。

個人的には、
私たちの自由に描いた絵を見て
「これがバラぁ⁈」と
「これがイコン⁈」と
自分の好き嫌いを生徒に押しつける画家にうんざりしたばかり。
あの画家の教え方も
自分の好きなようにしたい特高みたいだと
戦争を経験した両親が言っていました。
自分の思い通りにしたければ、
自分だけがすればいい。

風立ちぬ の当時も
私の生まれた50年前も
タバコを吸わない大人に会う方が
珍しかったのです。
いいタバコが吸えることが、
大人のステイタスでした。

妻が結核でも、夫は吸っていた。
私の祖父母がそうでした。

宮崎監督は、風立ちぬ で歴史の事実と夢を描いたと言っていました。
事実では、喫煙は当たり前の時代でした。
それを、今の時代に当てはめるのは奇妙なことだと思います。


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してはならぬこと

2013年08月06日 | イコン
イコン教室の人が
柳井原教会のイコノスタスに貼ってある石版画の印刷物を描くというので
写真を撮りにきていました。
みんなでのお祈りの後、その人が撮影することになりました。

イコン画家は「至聖所にあがっていいわよ。
神父がいないんだから」と言いました。
神父は信徒館に行き、いませんでした。
イコン教室の人は信徒ではありません。
私は小さな声で「絶対にあがってはダメよ。
してはいけないと言われてるから」と彼女に言いました。
彼女は常識ある人でしたから、
もちろん、至聖所にはあがりませんでした。

私は「至聖所にあがってもいい」と言いきる人が
自分で、イコン画家だと世の中に言っていることに驚きました。
画家は「自分は神父の娘で、伝統を継承するイコン画家である」と新聞にも記事が出ており、
新聞記者たちも画家の言うことを信じて記事にしていたからです。

柳井原教会のイコノスタスの前で
「神父がいないんだから、あがって撮影したらいいわよ」という画家の言葉を聞いたとき、
「この人からイコンは学べないな」と思いました。

私は会津の八重さんたちと同様、
「ならぬことはならぬ」と聞いて育てられましたし、
学生時代に勉強していた仏画の先生たちから
「仏教の決まりを守る中での仏画家や仏師だ。
画家はよけいな口を出してはならない」と言われ、
仏画家だった祖母も「仏画家は絵のことだけしていればいい」と言われていました。
私は画家は聖職者でなく、一般のひとりの人間の仕事であり
特別な仕事でもない、と考えています。

「このイコン画家は、どうも自分が聖職者と同じ立場であると、
自分は特別な存在であると勘違いしているようだ」と思いました。

「私はイコンを描いているんだから、私を助けなさい。
そうしたら、いいことあるわよ」は口癖でしたし、
イコンの研究者がニコライ堂で講演をしたときも
「この私を差し置いてニコライ堂で講演したのよ」と言いましたので
日本正教会の認めたすごいイコン画家なんだと思っていました。

けれども、イコノスタスの前で、
女はあがってはならぬと言われている至聖所に
神父がいないんだからあがっていいと自分で判断するのですから、
イコン画家と言っているけど、それは全く違うなと思いました。
正教会での決まりは、
女は至聖所にはあがってはいけないとなっているからです。
母にこのことを話すと
「いつか聖所にも、神父がいないんだから入っていいわよ、と言いだすよ」と言いました。

小さなことかもしれないけれど、
してはならないと言われていることを簡単に破る人は信用なりません。
母はこれらを柳井原教会の執事長に手紙を書きました。
娘を学ばせる画家ではないと書いたそうです。
私は「あなたからはイコンを学べない。
あなたからでなくても、イコンは学べる」と手紙を書きました。

私はそれからイコン画家からは離れましたが、
画家のこのような姿勢が続くのであれば、
イコン教室でも何か問題が必ず起こるだろうと考えていましたら
金銭の問題が起こりました。

私が喫茶を手伝った展示でも、
画家が勝手に菓子やコーヒーを自分の客に出していましたが、
「支払いの金額はいくらだかわからない」と言います。
これは、おかしいと思って請求はしませんでした。
認知症のような記憶の欠如があるかもしれないので
病気の可能性もあるだろうと、画家の家族にも知らせました。
毎日新聞社や山陽新聞社にも起こった事実を知らせました。
金銭問題が起こるカルチャー教室などおかしいし、
「ニコライ堂に正確なことを聞いてから取材して欲しい」と頼みました。

私は「この画家は、こういう姿勢でイコンを描いている画家なんだから、
それでいいんだ」と思うようにしました。
こういうやり方の画家である訳です。
でも、私はこの画家のやり方にはとてもついてはいけませんでした。
もし、病気ならなおさらです。
「してはならない」と言われていることを破ってまで
イコンを描くことはないと思っています。

家庭で空いた時間に、ちょっとずつ描くイコンでも、
誰かのお役に立つイコンになるかもしれない。
それで充分だと思います。

画家はただの画家ですから。
決して特別な人間ではない。
それを見失うと「頭のおかしい人」になるだけです。
私は「頭のおかしい人」になりたくありません。
絵の好きな普通のおばさん、、、おばあちゃん予備軍でいたいと思います。











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イコンの賞

2013年08月04日 | イコン
私はギャラリーの方から聞きました。

イコン画家が「私にイコンの賞をくれるってIさんが言っていたけど
いつくれるのだろうか?」と言うのです。
私も直接、画家から聞きました。

その賞は岡山の芸術や文化に貢献した人にあげる賞でした。

仏画家が個人的な賞をもらったというのは聞いたことがなかったので、
イコン画家に「イコンの世界というものは、
個人の画家が賞をもらってもいいのですか?」と聞きましたら
「私はあれだけの仕事をしてきたのよ。
賞ぐらいもらってもいいでしょ?」と言いました。

私はイコン画家の世界と仏画家の世界は違うのだなと思いました。

でも、当時、イコン画家には賞はありませんでした。
岡山にはイコンの研究者がいるので、
賞を決める方にアドバイスされたのだと思いました。

「イコン画家というのは、あの画家のような考えをするのか?」と何回かいろんな方から質問がありました。
私はその度に「ニコライ堂に、日本正教会に聞いた方が正しい返事がもらえると思います」と答えています。

母や私個人の考えとしては、
イコンでイコン画家に賞が与えられるなんて
とんでもないと思っています。

いろんな人に「なぜ私に賞が与えられないのかしら?
なぜ私を称えないのかしら?」とイコン画家は言っていますから、
真剣に、
私に賞がないなんておかしい、と考えているのだと思います。
そして、イコン画家に賞をあげたい人はあげたらいいのではないかと思います。

けれども、宗教画家個人に賞をあげて称えるなど、
母や私は聞いたこともないので、
たいへん奇妙だと考えました。

賞が欲しいのであれば、もらえばいい。
だけど、それは私の思うイコンの世界ではない
ということです。
ですので、そのイコン画家から学ぶのは難しいと判断しました。

イコンの世界は荘厳でスケールの大きなものですが、
各々、個人の中では
小さな灯りが心に灯るようなものだと
私は解釈しています。
日本のイコンって、そういう小さな灯りから始まったと考えます。

小さな灯りに賞などいらない。
賞など、あんな人間世界の作った薄っぺらなものは
イコンに必要ありません。
相応しくないとは、このことです。

心にしっかり灯って
心の支えとなればいいだけです。

母や私は、そう考えています。

被災地にイコンを!と切に思います。
私は現在、母の手術で描けない状態です。
イコンを描ける人は描いてあげて欲しいと思います。
信仰の有無に関わらず
イコンを必要とされる人はたくさんいらっしゃると思います。










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花時計