
痛かろと 折らずに眺む よめなかな 夢詩香
*相変わらず季節を無視していますね。まあわたしの心は、一年中あちこちを飛び回っているのです。ひとところにゆっくりと居れない。秋を見たいと思えば秋に行く。春を見たいと思えば春に行く。
ヨメナは、秋ごろに咲く、薄紫色のかわいらしい野菊です。写真の花がヨメナであるかどうかはわからないのですが、似ていると思って採用しました。だが図鑑と比べると、違うようだ。
かのじょが小さい頃に住んでいた村では、田んぼのあぜ道の隅などに、よく咲いていました。名前は、嫁が作る菜だという意味らしい。カントウヨメナは食用にできないそうですが、西日本のヨメナは若菜を刻んで菜飯にして食べることもあるそうです。
だが、なぜヨメナなどという名前がついたのでしょうね。なんとなく、嫁にできることなど、ヨメナを摘むことくらいだという、かすかなあざけりを感じる。
人間が、小さいほうのものだとか、あまり役に立たないものだという意味で、花などに名前をつけるときは、イヌとか、メとか、そういう言葉をつけるものですね。イヌフグリ、イヌホオズキ、メヒシバ、メダケ、オミナエシ。ヨメナもたぶんそんな感じでつけられたのでしょう。きれいだが、あまりよいものではないと、そんな気持ちが込められていないとは、言いきれない。
だが、人間というものは、犬や、嫁というものに、大きく頼っていたりするものだ。その証拠に、愛犬が死んだだけで、生きる力をなくしてしまう人がいる。ペットロスなんてことを言いますがね、誰に裏切られても、犬だけは真剣に自分を愛してくれる。その愛がなくなると、人は心が寒くなる。生きるのがひどくつらくなる。
嫁だとて同じですよ。男の人は、自分の妻が生きているときは馬鹿にするが、死なれてしまうと、とたんにしょぼんとしてしまうのです。気力がなくなってくる。生き生きとしていた何かがなくなって、暗くて不潔な感じになってきて、人に嫌われ始めて、周囲が寂しくなってくる。
自分を愛してくれている嫁がいなくなっただけで、男は何か大きなものを失うのです。それが何かは、たぶんもう少しすればわかってくる。
あの人は、花を折るというのが苦手な人だった。踏んで歩くことにさえ、痛みを感じないわけにはいかないという人だった。そんなことを考えていては疲れ切ってしまうよというのに、自分の心を、踏んで苦しめてしまった花や草のために使う。
道の隅に小さなヨメナを見つけても、折らずに黙って見ているだけだ。そんなことをすれば痛いだろうから、絶対にわたしはやらないよ。きれいなあなたのために、よいことをしてあげよう。そういうことが、素直に思える人だった。
嫁はいいことをたくさんしなければならないのに、誰もそれをいいことにしてくれない。そんな嫁を幸せにするために、できることは何でもしてあげよう。
これを偽善だと思う人は馬鹿です。あの人は、こういう心が、まことなのです。