月読の うれひきよめよ 忘れ草 夢詩香
*「月読(つくよみ)」は月の神のことを言いますが、月そのものを表すこともあります。
月にたとえられるあの人の思い出を消し、憂いを清めてくれたまえ、忘れ草よ。
忘れ草とは、忘るる草とも言い、持っていると憂いを忘れる草だそうです。具体的にはカンゾウのことらしいです。カンゾウは「甘草」で、甘味料や咳止めなどとして使われるそうですが、物事を忘れられるような薬効があるとは聞いたことはありません。
ちなみにカンゾウの花はなかったので、ちょうちょの写真で代用しました。いつものことですが、一応断りを入れるのがわたしです。
あの人はもう、たくさんのことを忘れています。その魂から、あなたがたに関する記憶を消されてしまったのです。
自己存在が生きていく中では、そういうことも時々必要なのです。あまりに苦しいことを経験してしまったとき、そのものが苦しみすぎないように、周りのものが忘れさせた方がいいと判断した場合は、忘れさせることが、わたしたちにはできるのです。
霊魂の記憶というものは、ある場所に蓄えられているのです。それが、そのもののためであるという清らかな目的であれば、そこに触れてある種の思い出を消すことを、神は許して下さるのです。
薬などは必要ないんですよ。そこがどこかを知っていればいい。あなたがたも、勉強が深くできてくれば、人の中のどこにそれがあるかを、教えてもらうことができます。だがそれは遠い遠い未来のことだ。それを知ればみな、すべての自分というものが愛おしくなってくるでしょう。
わたしたちはかのじょを深く愛している。だから忘れさせたのです。もはやかのじょには耐えられないほど、あなたがたのしたことが痛かったからです。
だが、あなたがたは、あの人のことを忘れられない。忘れたくても忘れられないでしょう。なぜならあなたがたには責任がある。永遠の時を賭してでも、なしていかねばならない課題が、あの人のために生じている。逃げることはできません。
記憶は時を経るにつれ鮮明になってくるでしょう。失ってしまった愛の真価を知るために、神が許して下さるまで、あらゆることをなしていかねばならない。
永遠を、三つ重ねたほど、遠い未来に、あなたがたは再びかのじょと会える時があるかもしれない。だがそのときは、お互いにもうそれとはわからないでしょう。もう、全く違うものになっているからです。
そのとき、かのじょの記憶は、あなたがたの中で、一つの内臓のように進化しているでしょう。もはやそれがなくては生きていけないほど、深く自分の中に潜み、自分の一部となっていることでしょう。
とこしへを 五つ重ねて 月を掘る 夢詩香