信州上田の・・・六文銭の写真帳
初冬の中山道・・・「是より南 木曽路」の碑から贄川宿・・・平沢間の宿・・・奈良井宿・・・福島宿、さらに南へと進んできました。
長野県木曽郡南木曽町三留野字妻籠・・・旧中山道42番「妻籠宿」です。。
1843年の「中山道宿村大概帳」によれば、家数は83軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠31軒、人口は418人。
いま・・・この街に一歩足を踏みいれると・・・眼前にひろがるのは近世の世界・・・ 心は江戸時代の旅人・・・
妻籠宿の中心・・・寺下から枡形へ・・・枡形はカタカナのコの字になって石段で下りるようになっています。
城郭、城下町、街道でよく見る軍勢が通り抜けしにくいように設計した道路です。

枡形に下りる狭い道幅の石段です。

枡形からふたたび本道に戻る石段です。山側は石垣になっています。

普通の家で縁側に座り世間話をする。



城郭、城下町、街道でよく見る軍勢が通り抜けしにくいように設計した道路です。

枡形に下りる狭い道幅の石段です。

枡形からふたたび本道に戻る石段です。山側は石垣になっています。

普通の家で縁側に座り世間話をする。


☆町並み保存運動・・・江戸時代の幕府の五街道として栄えた中山道の宿場町、ここ妻籠宿は明治の廃宿、鉄道、国道からも切り離され寒村として衰退していきました。やがて昭和の経済成長期、全国的に町興しの運動が起り、江戸時代そのままに街並みが残っていた妻籠で保存運動が1968年からはじまります。1976年国指定の重要伝統的建築物保存地区に(選定地第1号)。妻籠の人たちは「売らない、貸さない、壊さない」を3原則に、店構え、看板などは環境に溶け込んだものに規制、貴重な財産を後世に伝えようとしています。

※撮影日は11月27日、
☆妻籠の地名由来・・・「妻」は「端」を表す(着物の褄)、「籠」は「こもる」・・・奥まった集落・・・という説がある。
※コメント欄オープン。