比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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千曲川源流の里・・・高原野菜レタス生産量日本一の・・・川上村の風景

2018-11-15 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
信州上田の・・・六文銭の写真帳

千曲川源流の里・・・高原野菜レタス生産日本一・・・信州南佐久・・・川上村(人口4727人)・・・です。
1889年千曲川源流の6ヶ村が合併して川上村に。千曲川のいちばん上流の村だから川上村・・・ワカリがイイ。
甲武信岳に発する信濃川(千曲川)源流の地、村は千曲川に沿った小さな谷の沖積地、村役場の標高1185m、耕作地は1000~1300mに広がる、年間平均気温7.7℃の冷涼地、年間降雨量929㎜の寡雨地帯、火山灰土の堆積した痩せ地で普通の農業に向かない土壌。カラマツ苗の生産地でした。1950年朝鮮戦争勃発により米軍に新鮮野菜を供給する基地に。やがてレタスが一般家庭の食卓に普及、中央高速道の開通で流通が容易になりレタス生産日本一に。

高原野菜発祥の地・・・という看板が・・・正しくは高原レタス・・・です。

村の北に聳える・・・男山(1851m)・・・






※撮影日は9月19日。


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5 コメント

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川か木村のレポート&調べ (縄文人)
2018-11-15 06:13:16

お早うございます。
きっと広々見渡す限りレタス畑、比企野さんも圧巻と目を見張ったことでしょう。

この村には金峰山の登山基地、
それから埼玉秩父から三国峠を越えると川上村、
何回かお邪魔した。
レタス苗を植えたての頃は、ビニールが真っ白でそれは見事でした。
此の地を開拓した人たちの入植当時は、苦労したのでしょう。満豪開拓の人達が帰還、そして入植されたと聞きました。

川上村にて縄文人のレポートです。
①とにかく先祖のお墓がゴウジャスでした。御殿のような、全体的に。
②農家の家家が立派な建物が多い。収入が多いのでしょう。
③若いアジア系の方々が、研修生という形で入っていた。

これは散策して現象面として観察しただけですが、後で調べたら色々な事が分かりました。
④平均年収が2,500万~3,000万。
⑤赤ちゃんの出生率が1,9%(全国平均1,5%)
⑥近くに清里、野辺山などの観光地があり、これに近いお誘いがあったとの事ですが、村長のりダーシップで振り払い、レタス村誕生。
⑦、村人が生き生きしている。活性化。
⑧村人に聴きました。畑の入手方法。
ここの山は、3分の1が村有林、3分の1が民有林、あと国のもの。
これが功を奏したといっていた。
自分の林は自分で切り拓く、村有林の欲しい人はむらにお金を払いそれから開拓、
作れば売れる、そんな野菜ですからいまでも山を切り開いているようです。
《敵地適産レタスなり》
⑨山奥とても、活性化されていますから、休耕田など一つも見渡らなかった。
⑩あちこちに立派な集荷所が有りました。東京直送。中央高速道路が、大きな大きな役目を果たしていると感じた。

つたないレポートですが、川上村を観察した状況です。

印象的だったのが(金峰山に登った時)、
朝方の暗い内にバスで通りました。すると農家の人達は車のライトで収穫真っ最中でした。
レタスは鮮度が一番、すぐ東京へ出荷されるのでしょう。

https://blog.goo.ne.jp/tsyouji5243_001/e/8cad1b039e126d630a175d8aa9b63183

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追加 (縄文人)
2018-11-15 06:29:04

私たちの歩いた奥地の山間にダムがあるそうです。
見た限り畑に水道が引き込んであり、スプリンクラーが回って野菜に散水していた。
この山間のダムから農業用水として、利用。

見て歩いてここまで近代化驚き。

またレタス苗は、一括共同で育苗していた場所を見せて貰いました。
此処山間に開けた、西洋野菜、
村の指導者と、中央高速➡消費地東京との流通、とが見事にタイアップされたものと、感心して散策しました。


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コメントありがとうございます。 (縄文人さんへ・・・)
2018-11-16 11:32:11
島崎藤村「千曲川のスケッチ」にその極貧ぶりがかかれているそうです。戦前まではカラマツの苗木を育苗する寒村でした。朝鮮戦争でレタスの栽培がはじまり、たぶん国、県の農業技術指導、県の農協経済連の販路拡大指導で、発展したのだと思います。生産高は茨城県が2位、生産県の間で調整して、中京、関西方面に出荷とかコンピュータを駆使してきたそうです。今や1戸当たり年間収入は8桁、人口は増える、お嫁さんの来てが多い、結構づくめのようです。
この村には観光用レジャー設備がない。テーマパークもホテルもペンションもゴルフ場もありません。あるのは村民優先の公衆浴場だけです。
村の哲学ですね。
何回か行きました。瑞牆山、金峰山にも登りました。信州峠、大弛峠、三国峠を越えました。廻り目平でキャンプもしました。懐かしいところです。
ダム・・・信州と秩父の境の峠、信州側には必ずダムがあります。佐久の高原を潤す水利事業のようです。

コメントありがとうございました。
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10月の今頃 (自然を尋ねる人)
2018-11-17 14:00:45
信濃川の源流域の暴れ川、牛臥川の砂防に関するシンポへ参加してきました。
よく紹介されている風景をこの目で確認しました。
また名古屋から中央線で松本へ
山の形が違って見え。川には発電所が沢山ありました。
多分今頃は雪が降っているのではと想像しています。
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コメントありがとうございます。 (自然を尋ねる人さんへ・・・)
2018-11-17 16:04:52
信濃川の源流は山梨、埼玉との国境、甲武信岳の直下です。かなり場所が違います。まあ信濃川水系であることには違いありませんが。
牛臥川ではなく牛伏川です地元の人はゴフクガワというそうです。牛伏川は田川に合流し、田川は奈良井川に、奈良井川は梓川に、梓川は犀川に、犀川は長野市で千曲川に、千曲川は新潟県に入って信濃川に、ややこしいですね。
暴れ川の原因は日本を二分するフォッサマグマの牛伏寺断層の線上にあって火山系の山が急峻で脆弱な地質のせいだそうです。
階段状の砂留は長野県ではあちこちで見られます。私の生れた村の天竜川の支流でも見ました。
機会があったら富山県の立山から富山平野に流れ落ちる常願寺川の砂防工事を見てください。950基あるそうで主なものは国の重要文化財に指定されているそうです。

JR中央西線の木曽川川沿いに見られる水力発電所、長野県に入って線路沿いに九か所見られます。主なものは福澤諭吉の娘婿福澤桃介が大正年間に建設したものです。

コメントありがとうございました。
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