比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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2018中欧の旅・・・ポーランド紀行・・・世界遺産「ワルシャワの歴史地区」を歩く

2018-10-01 | 道を行く 海外 中欧・東欧
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

東欧の国ベラルーシの首都ミンスクから中欧の国ポーランドの首都ワルシャワへ。
ポーランド共和国・・・9~10世紀のはじめゲルマン民族の度重なる侵略に対抗するため平原の民スラヴ系のポラーニエ族が中心になり群拠するスラヴ系部族をまとめて国家にしたのが始まり。強力な周辺の国に挟まれプロイセン、ハプスブルグ王朝、ロシア帝国の狭間の中で漂流、第一次世界大戦後に独立、第二次世界大戦ではナチスドイツとソビエト連邦の戦場となり、530万人が犠牲になりほとんどの都市が焦土に。大戦後はソ連の衛星国家になり共産党支配の独裁国家に、1989年の自由選挙でワレサ議長の率いる「連帯」が勝利してから民主化の波に。
首都ワルシャワ・・・小さな漁村が1596年クラクフより王宮を移転してしたことからはじまった街。ワルシャワの地名由来はワルとサワという親切な漁師夫妻の故事から。人口172万人。「北のパリ」といわれる美しい街。第二次世界大戦でナチスドイツに徹底的に破壊された中世以来の街はヒビ割れ一本に至るまで忠実に再現復旧され1980年ユネスコの世界文化遺産に登録。

旧王宮です。16世紀末にポーランド王の居城として建造。1988年完全復元で再建完了。現在は歴史博物館に。

旧王宮前の王宮広場。






※撮影日は7月27日。

ワルシャワ・・・生れの有名人・・・
※ピアノの詩人フレデリック・ショパン(1810~1849年)・・・ワルシャワに生れ21歳のときフランスへ。生涯ポーランドを愛した音楽家。私の好きな曲「ノクターン」「幻想即興曲」「歩ポロネーズ」。
マリー・キュリー(1867~1934年)・・・物理学者、化学者。放射能という用語はキューリー夫人の発案。ワルシャワに生れ24歳のときフランスへ。1903年ノーベル物理学賞、1911年ノーベル化学賞受賞。

負の世界遺産アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所跡(1940~1945年)1979年登録・・・公式ではないが「負の世界遺産」と呼ばれる・・・ナチスドイツがユダヤ人絶滅計画(ホロコースト)のために作った収容施設。死亡者数は1945年当時、ここを解放したソ連軍の調査により」400万人といわれたがソ連解体後の1999年の研究により150万人と改められ公式記録になっています。数字に謎が多く諸説あり。ポーランド南部、スロバキア国境近くのオシフィエンチム市。


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