比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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2018東欧ベラルーシ紀行・・・首都ミンスクの町並み・・・ミンスクゲートから

2018-09-23 | 道を行く 海外 中欧・東欧
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

東欧の国ベラルーシ・・・スラヴ人の国。ベラルーシの由来は「白い大地」・・・「白」はモンゴル人のいう「西」を指すといわれています。ポーランド、リトアニア、ロシア帝国の領有を経て1917年のロシア革命後の1918年独立、1922年ソ連邦に加盟、1991年ソ連邦の崩壊により独立。最高標高345mの平原の国、農業、森林、鉱業。
第二次世界大戦ではナチスドイツとソビエトの戦争の通り道、300万人が犠牲になったと伝えられています。

首都ミンスク・・・バルト海と黒海、ワルシャワとモスクワを繋ぐ交通の要衝、戦いのたびに通り道として戦場に。第二次世界大戦でロシア軍とドイツ軍の交戦場になり徹底的に破壊され焦土に。終戦後の1950年代、スターリン建築様式という、よく言えば重厚な、悪くいえば画一的な無機質な街並みに変貌していきました。人口は終戦のとき5万人、そのご急速に人口が増え現在は190万人。ウクライナ北部チェルノブイリ原発の影響を受けたベラルーシ南部の住民が都会地に流入。

駅を出ると真正面にスターリン建築様式の左右対称の二つのビル・・・通称ミンスクゲート・・・

スターリン建築様式の町並み。

スターリン建築様式・・・1933年から1955年までソビエトのスターリン政権下で多く建てられた建築様式。
第二次大戦以後の復興計画でロシアだけでなくベルリン、ワルシャワ、キエフ、北京、平壌、ウランバートルでも多く見られる。


メインストリートから少し離れ、戦禍を免れた建造物。
精霊大聖堂・・・1633年リトアニア公国支配下の時代に建てられたカソリックの修道院。
ロシア帝国の支配下になり1852年にロシア正教の教会に。現在はベラルーシ正教会。

旧市庁舎・・・自治都市の権利を得た時代の15091~1601年に建てられた市庁舎。
帝政ロシアの時代の1847年自治都市時代の象徴的な建物を嫌ったロシアによって解体、2004年完全復旧、現博物館。
※自治都市・・・中世ヨーロッパ各地に出現した商工業者を中心とする市民が封建領主の支配から脱し自治権を獲得した都市。
自治都市は相互の経済活動を円滑にするため同盟を結んだ。
※撮影日は7月25日。

※ミンスクの地名由来・・・「川」を意味するスラブ語、「交換取引」を意味するともいわれ諸説あり定かでない。


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