1945年3月10日深夜0時07分、325機のアメリカ空軍戦略爆撃機、艦載戦闘機が東京都江東区、墨田区、台東区、中央区を中心に焼夷弾(木造住宅焼き払い用の油脂爆弾)を雨のように降らせ火の海にしました。機銃による民間人、非戦闘員に対する掃射も行われています。
※当時の東京警視庁の調査によれば損害は
死者・83793人 負傷者・40918人 被災者・1008005人 家屋・26835人棟・・・
※新聞社や民間団体の調査・推定では
死者10万人を超すといわれ死者10万人が定説となっています。
※数字はWikipediaより。
↑の写真は東京大空襲の夜から焦土と化した東京の地上の光景を東京警視庁鑑識課写真班石川武雄(光陽)がカメラに収めた33枚の写真のうちの1枚です。
間違いなく真実です。残酷な写真で直視に耐えられませんが貴重な「歴史の証明」です。
わたし自身は田舎者で、幼少のころの話ですから、東京大空襲のリアルなことは何一つ知りません。新聞、テレビの特集、早乙女勝元さんの著書などで知ったことを3月10日が来るたびに追悼の祈りをこめてブログに書き起してきました・・・カテゴリー「語り継ぐ責任 東京大空襲」・・・
いまでも毎日のように、古いバックナンバーのブログを閲覧してくださる方がいらっしゃいます。ありがとうございます。
2008年3月15日のブログ→3月10日・東京大空襲・・・東京警視庁写真班員石川光陽の遺した「語られなかった33枚の真実」
2009年8月15日のブログ→8月15日・・・古い日本が亡くなった日・・・「ガラスのうさぎ」の高木敏子さんの「ラストメッセージ」
2010年4月17日のブログ→海老名香葉子さんの本「半分のサツマイモ」を読んだ
いまから73年前の「東京大空襲」、「あの戦争」で亡くなられたかたのご冥福を祈るとともに、「あの戦争」はなんだったのかを考え、ふたたび「あの戦争」をくりかえすことのないようすることを「死んでいったかたがた」に誓いたいと思います。
※当時の東京警視庁の調査によれば損害は
死者・83793人 負傷者・40918人 被災者・1008005人 家屋・26835人棟・・・
※新聞社や民間団体の調査・推定では
死者10万人を超すといわれ死者10万人が定説となっています。
※数字はWikipediaより。
↑の写真は東京大空襲の夜から焦土と化した東京の地上の光景を東京警視庁鑑識課写真班石川武雄(光陽)がカメラに収めた33枚の写真のうちの1枚です。
間違いなく真実です。残酷な写真で直視に耐えられませんが貴重な「歴史の証明」です。
原子爆弾を除けば史上最大のアメリカ軍による大量虐殺です。
わたし自身は田舎者で、幼少のころの話ですから、東京大空襲のリアルなことは何一つ知りません。新聞、テレビの特集、早乙女勝元さんの著書などで知ったことを3月10日が来るたびに追悼の祈りをこめてブログに書き起してきました・・・カテゴリー「語り継ぐ責任 東京大空襲」・・・
いまでも毎日のように、古いバックナンバーのブログを閲覧してくださる方がいらっしゃいます。ありがとうございます。
2008年3月15日のブログ→3月10日・東京大空襲・・・東京警視庁写真班員石川光陽の遺した「語られなかった33枚の真実」
2009年8月15日のブログ→8月15日・・・古い日本が亡くなった日・・・「ガラスのうさぎ」の高木敏子さんの「ラストメッセージ」
2010年4月17日のブログ→海老名香葉子さんの本「半分のサツマイモ」を読んだ
いまから73年前の「東京大空襲」、「あの戦争」で亡くなられたかたのご冥福を祈るとともに、「あの戦争」はなんだったのかを考え、ふたたび「あの戦争」をくりかえすことのないようすることを「死んでいったかたがた」に誓いたいと思います。
※コメント欄開いています。
戦時中の我が家は西の山の手で三鷹には軍事工場があり昼間の空襲もあった。見上げると物体は判りませんが防空壕の出入口からキラキラ光る光景を微かに見た記憶があります。
山の手の夜間空襲は3月20日と親から聞いています。それ以後かも知れません。焼夷弾の炎症で焼けました。
灯火管制下の話で、ラッキョを食べると爆弾に当たらないと言われた事もあり、親が嫌いなものを無理に食べさせたと思っていましたが、大人になってラッキョの話は何かの記事にも出てきましたので、我が家だけの事でなく迷信のような気がします。 幼い時の微かな記憶です。
戦争は殺し合いで残虐そのもの・・・。
私は東京空襲のときは旧満州にいましたので、知りませんが大人たちが「内地は空襲でやられたり、食料がなくて大変だそうだ」と話していたのを覚えています。
戦争はこの世で最大の犯罪です。良いことなんて何もありません。人間が動物以下になるのが戦争です。
戦争体験者として、声を挙げ続けます。
戦争を知るものは少なくなりました。
リニア新幹線、巨大なシェルターになりますが、いつまでもシェルターに入ってるわけにはいかないので、核戦争の時代には・・・有効かどうか。
コメントありがとうございました。
東京大空襲、絨毯爆撃といわれますが、フライパンのまわりをまず爆撃、逃げ場を奪ってから中心部を爆撃。
木造家屋用に火薬爆薬ではなく油脂弾をばらまいたのです。
語り部の話しでは、まるでグリル」のなかのように焼かれていったといいます。
戦争犯罪ですが、アメリカ軍ばかり責めるわけではありません。国民をそういう戦争に巻き込んだ日本のリーダーたちが犯罪人です。
調べていくうちに日本中が空襲されていることがわかってきました。
「語り継ぐ責任」・・・続けたい。