比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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野尻湖ではなく・・・野反湖で・・・キスゲに逢った

2010-07-07 | 道をゆく 関東
7月5日群馬県の野反湖(ノゾリコ)に行きました。信州の野尻湖と間違えられる、群馬県の人もあまり知らないマイナーなところですが、環境、景観はメジャーな桃源郷のようなところです。長野原草津口から白砂川に沿って遡り分水嶺の野反峠を越えればそこは海抜1561m。ここからは信濃川水系に。北の方向、正面の湖尻の堰堤の先は長野県秋山郷栄村。峠の茶屋と湖尻の茶屋、キャンプ場のロッジ以外に土産物屋さん、ホテル、ペンション、民宿、別荘などの建造物がありません。
周囲12km、広い。1956年東京電力が開発したロックヒル式ダム湖。元は野反池と呼ばれる池が点在する高層湿原。

ノゾリキスゲ(ゼンティカの地域名)。ユリ科ワスレグサ属ゼンティカ種・・・ニッコウキスゲのこと、エゾカンゾウも同じ。キスゲは黄萱と書くが菅笠の材料のスゲ(カヤツリグサ科)とはぜんぜん関係ないユリ科の植物。ノカンゾウ、ヤブカンゾウ、へメロカリスは同属、異種。

キスゲをアップに。

群馬県吾妻郡中之条町入山・・・2010年3月28日までは六合村入山。
六合村と書いてクニムラ。1902年明治の大合併のあと草津村から分村した六つの村が再合併した。天地、東西南北の六方体。すなわち国(クニ)である・・・ということが古事記や日本書紀に書いてあるそうだ???。1956年冬季オリンピック銀メダリスト猪谷千春さんの父の六合男(クニオ・・・群馬県富士見村出身)は六合村とはどういう関係だろう。
長野原から国道292号線、途中で405号線になり、国道は湖尻で途切れる。不思議なことに国道は栄村切明(信州秋山郷)で再び405号線となり上越方面に向かう。中抜き国道?・・・間は峠を越え山の中腹や尾根道をゆく人道です。ナントカ街道とかいう名前はありませんが車も鉄道もない時代には越後十日町地方の人にとっては江戸に抜ける最短の道であったでしょう。むかしの人は足が強かったのです。江戸時代末期に日本で一番有能な指導者といわれた幕閣の小栗上野介は隠遁していた上州倉渕村で官軍に捕らえられ隊長の薩摩の若物に取り調べも受けず死刑執行命令書もなく高崎郊外烏川の川原で斬首されますがその夫人は身重の体で村人に守られながらこの道を越後から会津にに落ちのびていったと伝えられています。この無法極まりない斬首は若者が勝手にしたものか薩摩の西郷、大久保らの命令によるものかは謎です。
とにかく遠い。家から3時間余かかった。ついたときは強風・小雨。長袖を用意したが寒い。山道を散歩しようと思ったが峠の茶屋近辺を少し散歩、久しぶりに山の草花に逢ったあと帰ることにした。ここは山野草の宝庫です。花の写真は、次回以降に



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