信州上田の・・・六文銭の写真帳
12月10日・・・上田市から鳥居峠を超えて群馬県長野原町川原湯の八ツ場ダムまでプチドライブ・・・きょう来た道を逆戻りです。
ふたたびのつまごい浅間パノラマライン南ルート・・・嬬恋村大前あたり・・・
ヤマトタケル伝説から生まれたロマンの村・・・嬬恋・・・
日本書紀によれば・・・古代第12代景行天皇の皇子ヤマトタケルが東国遠征の帰り、碓日嶺(古事記では足柄嶺)のあたりで東国をかえりみて、かつて海に身を投じて嵐を鎮めた妻のオトタチバナのことを思い「あゝわが嬬よ」と三度嘆いたという。碓日嶺はここからほど近い鳥居峠という(軽井沢の碓氷峠、古事記の足柄山と合わせる3つの説があり定説がない)。
現在の このあたりの地名、吾妻郡、東吾妻町、嬬恋村はこの伝説から生まれたソウダ・・・ロマンだなあ~・・・
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/54/e589d13762ded6e74b7e39f375a68a78.jpg)
噴煙が微かに・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/a6/f7e8bae0be527e4676a47be1e09428c9.jpg)
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噴煙が微かに・・・
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※撮影日は2020年12月10日。
★ヤマトタケルの伝説・・を伝える古事記、日本書紀・・・いまでは藤原一族の歴史の捏造というのが定説であるから・・・真実は謎である。★アズマ・・・東の方角、接頭語「あ」に「ツマ・・・端」をつけて、ドンヅマリというという説もあるがそれをいっちゃ~ロマンがない。
★鳥居峠への道…上信国境、湯の丸山と四阿山の間、標高約1360m、信州からは上州街道、上州からは信州街道、上田街道、仁礼街道、中間点に大笹関所があることから大笹街道とも呼ばれた。関東から善光寺への道は中山道、北國街道がメインであるが群馬八幡から大戸関、大前、大笹、鳥居峠、菅平口から須坂へ、上田へと別れる道がバイパスであり近道であった。
※コメント欄オープン。
噴煙をあげつつ雄大な姿をみせているが、ときには激しい噴火をし・・・。
大きいです、デカイです、スケールが違います。
・北風や浅間の山に三筋立つ (縄)
夏キャベツ生産日本一の村、、いまは静かです。