・・・彩風人の写真帳・・・
コロナ禍、緊急事態宣言の前の12月、久しぶりの駅鉄とウォーキング・・・マイカーで群馬県横川駅まで。
そこから旧信越本線(碓氷線)のアプトの道・・・
旧熊ノ平駅までの6.3㎞、再び横川駅まで戻ってきました。
横川駅に続く旧操車場あとの「碓氷鉄道文化むら」(愛称POPPO TOWN)です・・・1999年開場。
旧信越本線で走ったL特急「あさま号」(189系)がお出迎えです。
レールの真ん中にアプト式ラックレールが敷かれています。
アプト式ラックレール・・・
アプト式機関車ED42形の台車の下に・・・アプト式ピニオンギア・・・
1934年から稼働開始のED42形・・・日本製のアプト式機関車・・・スイスから輸入のED41からのコピーといわれる。
1963年新線を敷設・・・アプト式廃止、EF63形電気機関車導入、粘着運行開始。
D51 96蒸気機関車・・・1912年横川=軽井沢間(碓氷線)は電化されたが、その前後の電化は1960年代に入って。
1962年高崎~横川間、1963年軽井沢~長野間、1966年長野~直江津間が電化。それ以前はSL D51の時代でした。
※撮影日は2020年12月7日。
《日本の鉄道・・・信越本線を中心にアバウトに歴史を追ってみた》
明治維新の5年後、新橋~横浜の間にイギリスから輸入した蒸気機関車を使った日本最初の鉄道がはじまった。日本の鉄道の夜明けです。あれから149年、鉄道は今やリニアモーターカーの時代に入りつつあり、新幹線技術の輸出など・・・発展を重ねた。幹線に手を付けたのは上野、熊谷間で1883年に1884年高崎、前橋まで。東海道の整備は1887年から1889年全線開通。高崎線の方が先行してるのは、そこが「絹の道」であったから。
鉄道幹線の電化、信越本線は1912年碓氷峠越えの横川駅~軽井沢駅間が電化されたが、高崎駅~横川駅間が電化したのは1962年、軽井沢~長野駅間が電化したのは1963年、50年後のことです。50年くらい前までは全国でSLが走っていたのです。そして電化が徐々に進み1964年10月1日東海道新幹線が開業、10月10日東京オリンピックの開会式、高度経済発展へと進んでいきます。
碓氷鉄道文化むらはそんな鉄道の変遷を見ることができます。
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