上野の森を歩いて「上野の森美術館」(日本美術協会)にやってきました。
枯葉散る公園の道は行き交う人も絵になってます。
「フェルメール展」にやってきて看板を見てふと急に思い立ちました。
絵葉書より「裸婦と猫」(1923年)
絵葉書より「座る女性と猫」(1923年)
2点とも同じ年、モデルは違うようですが、猫は同じか。37歳くらいの作品、パリでその名が認められたころです。
藤田の絵の二つの特色、「乳白の肌」と「細い輪郭」。
「乳白色の肌」は後の分析で汗取りに使うタルカンパウダーと同じタルクではないかといわれますが謎です。
藤田独特の輪郭(浮世絵の技法)は面相筆(日本画で使う極細筆)に細い針金状のものを芯にしのばせたものを使ってるようです。眼鏡をかけて絵に近づいて見ましたがカラスグチで書いたような均一な線でした。
藤田嗣治(1886~1968年)東京生まれ、父は陸軍軍医総監。1914年パリに、モディリアーニ、ピカソ、ルソーらと親交。1938年から従軍画家として戦意高揚画を描き、戦後これを日本美術会から厳しく糾弾されます。
1949年日本を去り1955年フランス国籍を取得、のち日本国籍を抹消。
会場の年譜にはこの辺の事情(戦争協力画のこと)がありません。フジタの晩年は宗教画が多いようです。戦争はこの天才画家に深い傷を残しました。
国立近代美術館に藤田嗣治らの戦争プロパガンダの絵が所蔵されています。それについて考えて見ました。
枯葉散る公園の道は行き交う人も絵になってます。
「レオナール・フジタ展」です。
レオナール・フジタ・・・藤田嗣治ではありません。フランス国籍の日本人。日本国籍を自ら抹消。
レオナール・フジタ・・・藤田嗣治ではありません。フランス国籍の日本人。日本国籍を自ら抹消。
「フェルメール展」にやってきて看板を見てふと急に思い立ちました。
絵葉書より「裸婦と猫」(1923年)
絵葉書より「座る女性と猫」(1923年)
2点とも同じ年、モデルは違うようですが、猫は同じか。37歳くらいの作品、パリでその名が認められたころです。
藤田の絵の二つの特色、「乳白の肌」と「細い輪郭」。
「乳白色の肌」は後の分析で汗取りに使うタルカンパウダーと同じタルクではないかといわれますが謎です。
藤田独特の輪郭(浮世絵の技法)は面相筆(日本画で使う極細筆)に細い針金状のものを芯にしのばせたものを使ってるようです。眼鏡をかけて絵に近づいて見ましたがカラスグチで書いたような均一な線でした。
藤田嗣治(1886~1968年)東京生まれ、父は陸軍軍医総監。1914年パリに、モディリアーニ、ピカソ、ルソーらと親交。1938年から従軍画家として戦意高揚画を描き、戦後これを日本美術会から厳しく糾弾されます。
1949年日本を去り1955年フランス国籍を取得、のち日本国籍を抹消。
会場の年譜にはこの辺の事情(戦争協力画のこと)がありません。フジタの晩年は宗教画が多いようです。戦争はこの天才画家に深い傷を残しました。
国立近代美術館に藤田嗣治らの戦争プロパガンダの絵が所蔵されています。それについて考えて見ました。
★ 秋深し 比企さん館内 絵を磨く
ヒキノさんこれでまた、ランクが上の↑絵を描くことでしょう。
お風邪と思ってましたら上野の森にフェルメール展
レオナール・フジタ展を見に行かれたんですね。
お元気そうで良かったです。
銀杏が見頃で、上野の森の景色も良いものですね。
「地獄の門」学生の頃感動して見上げていた彫刻です。懐かしいです。
↓浅間山の夕映え堂々としてお見事です!
しばらくご無沙汰しており、今頃浅間山の夕映えを眺めております。
自然人にとってはただただ見とれるばかりでした。
ただと言うところも魅力です。
★秋空に ウツラウツラの 考える男
★舞うがごとく 銀杏黄葉 上野の空に
上野の森も久しぶりです。考えてみれば櫻の上野は有名ですが黄葉の上野はいいですね。
何か暑苦しくて早々と帰りました。でも堪能しましたよ。
オノボリさんしました。
浅間山はたまたま休憩場所が浅間がよく見える夕焼け時でした。
こちらは「夕飯」の前に食べるおやつの「おやき」が気に入って。田舎饅頭に野菜の具が入ったのが「おやき」です。「はんだま」キンジソウのおやきは美味かったですよ。
その秘書の方と懇意にしていただき、彼が日本を出たいきさつなどをお聞きしました。
いまから思うと、どうしても日本人は。一億総懺悔しなくてはいけない時代だったのですね、
いつの時代も心優しい人や要領の悪い人は弱い立場ですね。弱いものいじめしてどうするのでしょう!
高村光太郎は花巻郊外のバラック小屋にに引きこもってしまいました。十和田湖の裸婦像を手がけたのは7年後です。
心ある人は心痛めたようです。