比企の丘

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戦時下の沖縄疎開児童を乗せて沈没した・・・対馬丸…のこと

2012-12-04 | 語り継ぐ責任 沖縄のこと
2009年9月20日、「白旗の少女」…という本のことをブログを載せました。
2012年11月10日、「かんからさんしん物語」という本のことをブログに載せました。
いずれも1945年(昭和20年)、大和世(やまとゆ)の時代、太平洋戦争、日本で唯一、住民を巻き込んだ地上戦のあった島で、戦場の中に放り出された子どもたちの話です。

今回は沖縄が戦火に巻き込まれる1年前、1944年8月22日夜10時12分、沖縄から九州に向けて疎開する学童・一般人合わせて1661名(うち学童は800余名)を乗せて那覇港を出港した日本郵船所有の大型貨物船「対馬丸」が奄美群島の北、トカラ列島の悪石島の西北で米軍の潜水艦魚雷攻撃により沈没した話です。
沈没による犠牲者1476名。生存者は兵・乗組員28名、一般人98名、学童59名。

この話は本土の人にほとんど知られていません。戦中のことであり厳重な箝口令で報道されることがなかったこと、敗戦後27年間、沖縄がアメリカの統治下におかれ日本ではなかったことがそうさせたかもしれません。また沖縄を訪れる内地の人で戦跡に詣でる人は「ひめゆりの塔」「摩文仁の丘」を訪ねても、那覇市波之上の護国寺にある「対馬丸」犠牲学童の記念碑「小桜の塔」を訪ねる人はほとんどいないようです。

対馬丸」のことを書いた本を3冊読みました。いずれも児童書です。

大城立裕・嘉陽安男・船越義彰 共著「対馬丸」(理論社 1982年刊)
大城立裕原作 構成・文 理論社編集部 アニメ絵本「対馬丸 さようなら沖縄」(理論社 1982年刊)
金沢嘉市 編著「つしま丸のそうなん」(あすなろ書房 1987年刊

最初の1冊、「対馬丸」は聞き取りを重ねて1961年文林書房、1975年おりじん書房から出版、いずれも小部数の販売にとどまったようです。初版は沖縄復帰前であり、2版目は復帰直後、注目されなかったのでしょうか。児童書といっても小学校高学年から中学生ぐらいが対象です。大人の方にもぜひ読んでもらいたい。


1944年7月、サイパン島陥落により事実上、太平洋戦争の決着がついたのですが戦争は続きます。国は沖縄が戦場になることを予測、児童・生徒に疎開令を出します。生まれた島を離れるのですからかなり抵抗があったようで、上意下達で説得に努めたようです。
本はこの辺のいきさつから、乗船して攻撃を受けてから救助されるまで、数人からの聞き書きによるものです。子どもたちですから記憶が断片的で正確なものではないかもしれません。
救命ボートもあったようですが竹で作った筏が大量に用意されてたようです。海の中で筏をめぐる話もあります。
この話は秘密裡にされたようですが、人々の口は閉ざされません。

わずかに生き残った者だけが語ることができた記録です。海の中に沈んでいった1476人の人々は何も語りことができませんでした。

1944年10月、沖縄に本格的な空爆が行われるようになり対馬丸事件により及び腰になっていた人々も疎開するようになります。
その数、1945年3月、米軍の沖縄上陸前まで、187隻、8万人に及ぶといいます。
不思議なことそのごの疎開船は潜水艦攻撃を受けたという記録がありません。米軍側は撃沈した日本の輸送船が幼い子供たちを乗せた船と知ったのでしょうか。「対馬丸」を撃沈した「ボーフィン」は真珠湾にボーフィン・サブマリンミュージアム&パークとして展示されているそうです。

非戦を訴える内容ではありません。沖縄からの児童疎開船「対馬丸」で起きたことを書いてあるだけです。
左翼でも右翼でもなく共産思想でもなく軍国思想でもなく、今度の戦争を肯定するものでもなく否定するものでなく、ただ人間による人間に対する加虐の状況が書かれています。

戦場だった沖縄が1945年6月23日陥落して米軍の統治下になって27年目の1972年日本復帰して…2012年のいま何も変わっていません。戦場のままです。普天間も、地位協定のことも言う人はいません。

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4 コメント

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対馬丸 (こきおばさん)
2012-12-04 09:52:32
対馬丸のことは、以前映画で知りました。確か親子映画でだったと思います。
沖縄はずっと日本の盾になっているとしか思えません。
ヒキノ様の沖縄に対する想いは、大きく重いと感じています。
8日はあの戦争の開戦の日ですね。もう覚えている人のほうが少なくて、やりきれない思いがします。
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Unknown (あざみ)
2012-12-04 15:49:05
戦争は 絶対だめですね
どんな 理由を並べても 絶対反対!

過去の戦争で亡くなった 方々のためにも
絶対 NOですね
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対馬丸のことは (こきおばさんへ…)
2012-12-08 17:16:18
日本の人は知りませんね。
たった800人弱の子供が死んだだけで、東京大空襲や広島・長崎の死者とは数の比較はできませんが。
当時の沖縄の人たちはまさか自分の住んでいるところが戦場になるなんて夢にも思わなかったでしょうね。疎開にはずいぶん抵抗があったようです。

自分の島が戦場になって、戦争のことの意味が分からないいたいけな子供が犠牲になるなんて。
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沖縄って (あざみさんへ…)
2012-12-08 17:19:46
とってもきれいな島です。
人々は本土の人たちのようにがつがつ働かないです。
長生きするオジイやオバアが多いですね。それだけのんびり暮らせるわけです。

そんな島が戦場になりました。
死んでいった人たちは何で死ななければならないのかわからなかったでしょうね。
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