地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳
モンゴルの旅・・・首都ウランバートルから東へ54㎞・・・
トワール川の畔の高台・・・チンギス・ハーン テーマパーク・・・
チンギス・ハーン騎乗像・・・台座の高さ12m、銅像の鷹さ30m、合わせて42m。
馬の鬣の上に展望台があります。
ソ連邦傘下のモンゴル人民共和国の時代はチンギス・ハーンはロシアをも征服下に組み入れたモンゴル帝國の象徴としてタブーでした。
チンギス・ハーンがモンゴル民族のアイデンティティーとして復活したのは1991年モンゴルが「モンゴル国」として民主化したあとです。
世界最大のモンゴル靴・・・ギネスブック登録だそうです・・・あまり意味はありませんが・・・
馬の鬣の上に展望台があります。
ソ連邦傘下のモンゴル人民共和国の時代はチンギス・ハーンはロシアをも征服下に組み入れたモンゴル帝國の象徴としてタブーでした。
チンギス・ハーンがモンゴル民族のアイデンティティーとして復活したのは1991年モンゴルが「モンゴル国」として民主化したあとです。
世界最大のモンゴル靴・・・ギネスブック登録だそうです・・・あまり意味はありませんが・・・
※撮影日は2017年7月9日。
※チンギス・ハーン(1162~1227年)・・・1206年中央アジア高原の群雄割拠の諸部族を統一してモンゴル帝国の初代ハーンに。モンゴル部族出身のため以来、モンゴル帝國という呼称に。中国の金王朝(中国東北部、狩猟、牧畜、農耕の騎馬民族女真族の征服王朝)、西夏王国(現中国甘粛省、寧夏回族自治区、ツングート系の牧畜、狩猟、農耕の騎馬民族)、中央アジアのサマルカンドからバーミヤン、イラン高原、東欧のロシアと遠征を重ね・・・ユーラシア大陸の大半を版図に収めたモンゴル帝国の祖。
その大遠征は流血の虐殺と略奪の歴史であったかは・・・?
武力の強い国が弱い国を襲い覇権をひろげていく歴史は古来から行われていました。匈奴のアッチラ大王、マケドニアのアレキサンダーの大遠征、古代ローマ帝国のシーザーの大遠征、ゲルマン大移動、大航海時代の新大陸への進出、西欧諸国のアジアへの植民地政策。侵略ですがよく言えばグローバリズム。チンギス・ハーンだけを覇権主義の権化と言えません。
軍門に降るものは受け入れ、君臨すれど統治せず・・・固有の文化への不介入、人種、民族の差別をしない、宗教の自由、行政、経済は任せ、徴税のみ行うという政策をとったようです。
刃向うものは徹底的に非戦闘員ともにすべて滅ぼしてしまう屠城戦略は・・・現代でいえば無差別爆撃。原子力の一極集中です。これを一部で見せつけることにより流血を避けて侵略を容易にしました。ただ最後は内部崩壊などでモンゴル帝國は自壊していきます。キプチャック汗国のロシア支配は18世紀はじめロシア帝国が建国するまで続きました。ロシア帝國はその手法を継いで農奴制度を強化、シベリアでは先住民族を押しつぶし東進していきます。モンゴル帝国本体は中国東北部の半農半狩猟の騎馬民族の女真族の建てた中国の清王朝の植民国になり辛亥革命まで続きます。
※コメント欄オープン。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます