信州上田の・・・六文銭の写真帳
3月17日、春の佐久市野沢方面へ・・・物見遊山で・・・
佐久市野沢・・・の成田山薬師寺に向かう参道の入口、鯉料理加工販売の「魚甲商店」の「佐久の鯉」・・・です。
橋幸夫が1967年リリースした股旅演歌「佐久の鯉太郎」(作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正)で佐久の鯉は一躍有名になりました。
佐久の鯉・・・戦国時代の終わりから江戸時代、岩村田藩の農村振興策として鯉の養殖が行われていたことが文献に記されているそうです。種は利根川であったり淀川であったり、明治時代には在来種とドイツ種の交配種が。佐久地方には古くから農業灌漑用のため池が多く養殖池として、また湛水期の水田も利用されました。鯉の餌には蚕糸王国信州の蚕の蛹が使われました。標高の高い冷涼池であるため水温が低く成長の遅い難点がありますが、いまは温水地の埼玉、茨城の半成長の鯉を仕入れ、成長させるという養殖が行われているそうです。
「佐久の鯉太郎」・・・です。
※撮影日・・・3月17日。
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