信州上田の・・・六文銭の写真帳
3月17日、春の佐久市野沢方面へ・・・物見遊山で・・・
佐久市野沢・・・佐久平の中心部、千曲川を挟んで右岸に中込町、左岸に野沢町。1889年野沢村のほか7ヶ村が合併して野沢町に。1961年浅間町、東村、野沢町、中込町が合併して佐久市に。古くは甲州往還(国道141号線)、富岡街道(国道254号線)の宿場。交通、物流の要衝として栄えました。
成田山薬師寺のすぐ隣に・・・中世の豪族の館跡・・・東西74~85m、南北110m、約1㌶。水堀、土塁に囲まれた伴野城跡・・・です。
鎌倉時代に清和源氏の流れをくむ小笠原氏の庶流が伴野の荘の地頭職を継ぎ土着、、室町時代、戦国時代を生き延び、武田氏の配下に、武田氏滅亡のあとは徳川家に旗本として仕えた。伴野城跡は地頭のころの居館、やがて堀、土塁など城としての構えを構築したものと思われる。野沢城とも呼ばれた。戦国時代の終わりに廃城。江戸時代は陣屋、代官所など。明治の時代に官有地に、神社、城山公園に。2002~2004年に環境整備、長野県史跡に。
城跡内にある大伴神社。1910年八幡社、十二諏訪大明神を合祀したもの。
公園内にある道祖神・・・衟(どう)は道のことらしい、次の字が読めない。陸の字のヘンを誤って彫ってしまった?・・・衟陸神・・・道祖神のことであろうか?
道路改修の折などに、ここに集められたものであろうが、その経緯、建立された年の記録などは不明。
※撮影日・・・3月17日。
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