比企の丘

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長崎原爆落下の日・・・永井隆博士終焉の家「如己庵」

2006-08-09 | 語り継ぐ責任 ひろしま ナガサキ
今日は何の日」・・・61年前の今日8月9日、長崎市に原子爆弾が落とされた日です。
数ヶ月前、長崎市を訪れました。浦上天主堂近く、北村西望氏作の平和祈念像の立つ平和公園に駐車し、原爆落下中心点、浦上天主堂、永井隆終焉の住居を訪ねて周回。ブラブラ歩くと街の空気が見えてきます。
           
浦上天主堂を見下ろす坂の上の永井博士終焉の住まい如己堂』はほとんど訪れる人も無くひっそりとしていました。
石段を上がり、ちいさな庭の縁側からガラス戸越しに一坪余の部屋の畳を見たとき、言葉を失いました。
・・・合掌・・・


今、私の手元にボロボロの触れば崩れるような1冊の本があります。
発行は昭和24年(1949年)1月、発行所は日比谷出版社、発行人は式場俊三、製作者は畑太郎。

永井隆著『長崎の鐘』です。



大浦天主堂浦上天主堂を見たときこんなことを考えました。
なぜ敬虔なクリスチャンの多い長崎の街にクリスチャンの多いアメリカ軍が原爆を投下したのでしょうか。そのときの機上スタッフはクリスチャンだったのでしょうか。残酷なものです。

長崎の街を見たとき、もう一つコロビバテレンのことが思い浮かびます。沢野忠庵ことフェレイラ、岡本三右衛門ことキアラのことは遠藤周作『沈黙』で有名ですが、私は山本音也『コロビマス』(文芸春秋社)に惹かれました。
もう一つ長崎といえばシーボルト、これについてはまたの機会に。

最後に広島、長崎、沖縄、東京大空襲などで亡くなった方々の大よその数を。何しろああいう時ですから正確な数なんてあり得ません。数はカシオの電子辞書、ウイキペデアなどから。
     東京大空襲 10万人 爆弾2000トン
     沖縄戦   22万人 民間12万人、日本軍9万人、米軍1.3万人
     広島原爆  26万人 当時の人口35万人
     長崎原爆  14万人 当時の人口24万人 長崎の方が地形が狭い

     アウシュビッツ 1400万人
     南京事件    0~30万人?(いくらなんでも0はないだろう)



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