武州比企の里嵐山町、都畿川が直角に曲がりさらにU字型にスピンしているから鎌形という地籍です。八幡橋近辺にオシドリのツガイがいるという情報を聞いて見に行きました。堤防の上を30分くらい歩きましたがいません。あれはガセネタだったかのかな。
ここは「平家物語」におなじみの旭将軍木曾義仲の生誕地です。平安時代、権力の最高位にいた平家を最初にヤッツケた源氏の将軍ですが、その後すぐに後白河法皇との政争に破れ同じ源氏の頼朝・義経軍によって滅んだシマラナイ将軍です。
この人は木曾義仲といわれるとおり信州木曾で育っていますが父親がここ(嵐山町)の大蔵という地籍に居を構える源氏の武士だったのです。わたしなどはこの地に来るまでまったく知らなかったことですが。
都畿川のほとり、八幡橋の脇に鎌形八幡神社があります。由来書によると平安初期延暦年間(800年前後)の創立らしいですが建物はいつのものかは不明。何か中途半端なところに鳥居が2基あります。
。
木曾義仲産湯の清水という井戸があるそうですが見つかりませんでした。あとで調べたらお清めの手水場がソウなのでした。
ここの脇から木曾義仲の奥さんが晩年をすごしたという班渓寺まで川べりをブラブラ歩きます。オシドリは影も形も見えません。
ここは「平家物語」におなじみの旭将軍木曾義仲の生誕地です。平安時代、権力の最高位にいた平家を最初にヤッツケた源氏の将軍ですが、その後すぐに後白河法皇との政争に破れ同じ源氏の頼朝・義経軍によって滅んだシマラナイ将軍です。
この人は木曾義仲といわれるとおり信州木曾で育っていますが父親がここ(嵐山町)の大蔵という地籍に居を構える源氏の武士だったのです。わたしなどはこの地に来るまでまったく知らなかったことですが。
都畿川のほとり、八幡橋の脇に鎌形八幡神社があります。由来書によると平安初期延暦年間(800年前後)の創立らしいですが建物はいつのものかは不明。何か中途半端なところに鳥居が2基あります。
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中ほどに山門とも仁王門とも能舞台ともわからないものがあります。
ここは明治の世まで神仏混交だったようです。
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ここは明治の世まで神仏混交だったようです。
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本殿です。唐破風の下になにやら彫り物があります。神社風ではありませんね。
神社には指定文化財の「懸仏」が2体あるそうです。
懸仏とは円盤状のものに仏を掘り込んだ壁飾りのようなもので仏様ですが神社に多く残ってるのだそうです。
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神社には指定文化財の「懸仏」が2体あるそうです。
懸仏とは円盤状のものに仏を掘り込んだ壁飾りのようなもので仏様ですが神社に多く残ってるのだそうです。
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木曾義仲産湯の清水という井戸があるそうですが見つかりませんでした。あとで調べたらお清めの手水場がソウなのでした。
ここの脇から木曾義仲の奥さんが晩年をすごしたという班渓寺まで川べりをブラブラ歩きます。オシドリは影も形も見えません。
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