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1945年の春も終わりごろか、あの戦争が敗戦で終わるころのお話です。記憶は定かではありません。
ある少年航空隊兵とある子どもの写真です。
少年は子どもの兄の旧制商業学校の同級生。航空隊の外套を着て母校の学生帽を被っています。
航空隊の出撃前の休暇で仲の良い友達のところに遊びに来たという話でしたが、1週間たっても帰る様子がなく心配したわたしの母が「もう帰隊の時期じゃない」といったら帰って行ったそうです。
そのころ父は応召中、兄たちは学徒動員で工場勤務、農作業。
2カ月くらいで戦争が終わり、応召中の父も除隊復員、軍需工場に動員されていた兄も帰宅。
写真のお兄ちゃんの後日談・・・終戦後、少年航空学校の脱走兵だったらしいと聞きました。家を離れたあと憲兵に逮捕されて重営巣に入れられていたが戦争が終わり解放されたらしい。戦争が終わらなかったら敵前逃亡罪で銃殺刑になったかもしれません。知らなかったとはいえ脱走兵を匿ったわたしの家にお咎めがなかったのは、お兄ちゃんが口を割らなかったからでしょうか。
お兄ちゃんは特高隊員だったのでしょうか。
この写真の中で明るく笑っている脱走兵のお兄ちゃん・・・その後の人生はどうだったのでしょう。
散り行く前の・・・桜花です・・・
あの戦争が終結するころ「ゼロ戦」とか「隼」という戦闘機が片道切符の特攻機として連合軍の機動艦隊に突っこみました。
この中で・・・海中から攻撃する人間魚雷「回天」、空から攻撃するロケット滑空機「桜花」という特攻機がありました。
固体燃料噴射によるロケット滑空機・・・桜花です・・・乗員1名、車輪なし、脱出装置なし。
全長6m、全高1.16m、全幅5m、自重440㎏、爆弾1200㎏、最高時速1040㎞/h、航続距離37㎞。
最高時速で航続距離37㎞は航続時間でわずか2分余。燃料が切れると・・・。
一式陸攻に搭載された「桜花」。
一式陸攻・・・乗員7名、全長19.56m、全高6.0m、全幅24.9m、自重8391㎏、過荷重重量14772㎏、最高時速480㎞/h、航続距離4334㎞。
あの戦争が終結するころ「ゼロ戦」とか「隼」という戦闘機が片道切符の特攻機として連合軍の機動艦隊に突っこみました。
この中で・・・海中から攻撃する人間魚雷「回天」、空から攻撃するロケット滑空機「桜花」という特攻機がありました。
固体燃料噴射によるロケット滑空機・・・桜花です・・・乗員1名、車輪なし、脱出装置なし。
全長6m、全高1.16m、全幅5m、自重440㎏、爆弾1200㎏、最高時速1040㎞/h、航続距離37㎞。
最高時速で航続距離37㎞は航続時間でわずか2分余。燃料が切れると・・・。
一式陸攻に搭載された「桜花」。
一式陸攻・・・乗員7名、全長19.56m、全高6.0m、全幅24.9m、自重8391㎏、過荷重重量14772㎏、最高時速480㎞/h、航続距離4334㎞。
以下はあの戦争の数字です。
★特攻機は陸海軍合わせて2483機(命中244機、至近距離166機)、奏功率16.5%・・・戦死者4377人、出撃機数と戦死者の数が合いませんが擁護機もまた撃墜されています。
★人間魚雷「回天」で亡くなった人80人、出撃前の事故などで亡くなった人16人、自決2人、実験中の事故死など合わせると総計145人になるといいます。
奏効率はアメリカ機密公文書の公開によれば給油艦、駆逐艦、輸送艦など3隻撃沈。
★ロケット滑空機「桜花」・・・出撃56機、戦死者56人。搭載機の一式陸攻52機が撃墜され戦死者372名。擁護の戦闘機隊が同じ数くらい撃墜されているそうです。桜花を搭載して低速でしか飛行できない一式陸攻は攻撃目的点につく前に桜花もろともほとんど迎撃されて撃墜されました。これは作戦というより破れかぶれです。
ちなみに・・・太平洋戦争での日本軍の戦死者は陸軍165万人、海軍47万人、このうち飢餓による死者は60~70%、海歿者(輸送船撃沈のため)は陸軍18万人、海軍18万人といわれます。
(数字はWikipedia、半藤一利著「あの戦争と日本人」ほかより)。
生死を賭けて戦うことなく死を選択することで爆弾、魚雷の一部となって敵に向かっていった特攻隊員たち、南太平洋の諸島で補給食料もなく山中をさまよい餓死していった兵士たち。輸送船が撃沈され銃をとることもなく海に沈んでいった兵士たち。
闘わずして死んでいった兵士たち・・・空しく悲しい。国力なく資源なく戦略なく戦術なく無策の将軍たち。
春秋に富む若ものが「海行かば水づく屍(かばね) 山行かば草むす屍(かばね)」になって消えていきました。
お兄ちゃんが「回天」の乗組要員であったか「桜花」の乗組要員であったかは聞いていません。
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この度もいろいろと学ばせていただきました、
有り難うございました。