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ここに2冊の本があります。
「ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸」
(絵 ベン・シャーン 構成・文 アーサー・ビナード 集英社2006年刊)
※ベン・シャーン・・・ユダヤ系リトアニア人(1898~1969年)、7歳のとき移民としてアメリカに。石版画職人から画家に。底辺の労働者と身近に接し社会派の画家として貧困、差別の問題を扱い続けた。
1957~58年月刊誌「ハーパーズ」に掲載された物理学者ラルフ・ラップの「第五福竜丸に関するルポ」の挿絵を担当、その後その挿絵を発展させて「ラッキードラゴン」シリーズとして発表した。
絵本「ここが家だ」は日本在住の詩人(中原中也賞受賞)アメリカ人アーサー・ビナード(1967年~)がベン・シャーンのラッキードラゴンの絵に文をつけ絵本にしたもの(日本絵本大賞受賞)。ベン・シャーンのラッキードラゴンが発表されてから50年の月日がたっている。
「ベン・シャーンを追いかけて」(永田浩三著 大月書店2014年刊)
1954年3月1日南太平洋マーシャル群島ビキニ環礁のあたりでアメリカ軍が水爆実験をした。ヒロシマ原爆の1000倍の威力という。このときこの海域で操業していたマグロ漁業の日本漁船は約1000隻(922隻の漁船のマグロは放射能汚染で地中深く埋められます・・・築地まぐろ塚))。、その中にいた第五福竜丸、乗員23名、SOS無線を発することもせずに母港焼津に。
「ラッキードラゴン」・・・福と龍・・・福竜丸。
第五福竜丸だけがクローズアップされますが現場海域には1000隻弱のマグロ漁船団が操業していました。日本政府、アメリカ政府でその調査事例を非公開にした部分があるようです。元高知県高校教師の山下正寿先生は現役時代から生徒や有識者たちと、聞き取り調査、隠れた資料の掘りおこし、アメリカ政府公文書館の公文書の分析、厚労省の情報公開請求などを行い、いまもその活動を続けているようです(山下正寿「核の海の証言 ビキニ事件は終らない」新日本出版社2012年刊)。
第五福竜丸のことを書いた過去のブログ(2011年8月出稿)です↓クリック
「新木場・・・夢の島で・・・負の世界遺産・・・第五福龍丸を見た」
ビキニ環礁の水爆実験のことを書いた過去のブログです↓クリック
58年前のビキニ環礁水爆実験・・・ロンゲラップ島の人々は」
少女のころ故郷ロンゲラップ島を離れマジェロ島に暮らすオバアチャン。「島に帰るか」の質問に「私はもう被曝しているから帰ってもいいが、子供や孫は帰らせたくないと思います」といいます(2012年8月日本テレビ放映番組「除染の島へ 故郷を追われた27年」より)。
ベン・シャーンについて詳しく記した本が永田浩三著「ベン・シャーンを追いかけて」。
この中の一部を紹介します。左の絵はベン・シャーンが描いたもの。右の写真は永田さんのお母さんが生まれた広島市胡町の尼子商店の隣りの小田政商店の原爆被災後の鉄骨だけの家屋。爆心地から数100mだそうです。
ベン・シャーンはこの絵で何を語ろうとしたのでしょうか・・・そして↓の写真はメルトダウン後の福島第一原発の建屋(NHKテレビ「メルトダウン」より)。
◎「第五福竜丸」について記したブログです。ぜひ見てもらいたいです→クリック
※この記事はいつもわたしにブログにコメントをくださる山梨の「こきおばさん」の2015年3月7日のブログ「ここが家だ、ベン・シャーンの第五福竜丸」を見ていつか記事にしなくてはと思っていたものです。
※2015年5月24日、甲府市コラニー文化ホールでミュージカル「鯨波の声~ラッキードラゴンと呼ばれた船~第五福竜丸」が公演されます。
早速、憲法ミュージカルのブログにリンクして、「鯨波(とき)の声」の練習に励んでいる皆さんにも見て頂こうと思います。
ツイーともさせていただきます。
マーシャル群島のオバアチャンの喉は甲状腺手術の後で痛々しい。
福島の人とマーシャル群島の人と重なって見えてきます。
楢葉町から疎開してきているお蕎麦屋さんはついに鳩山で開業します。福島に帰りたいはずです。
講談社から「ノ―ニュークス」という本が出版されています。吉永小百合、渡辺謙ら52人の文章や写真を編集したものです。