比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

初冬の中山道・・・妻籠宿・・・高札場跡・・・口留番所跡・・・など

2019-01-27 | 旧街道・峠道・旧宿場
信州上田の・・・六文銭の写真帳

初冬の中山道・・・「是より南 木曽路」の碑から贄川宿・・・平沢間の宿・・・奈良井宿・・・福島宿、さらに南へと進んできました。
中山道42番「妻籠宿」です。

妻籠宿高札場」です。
☆幕府の、藩の・・・いまでいう官報を貼りだしました。字の読めないものは誰かに読んでもらったのでしょうね。

むかし(明治時代)の郵便局です。資料館になっています。出梁造、竪繁格子、江戸時代そのままです。

口留番所の跡(跡だけです)です。

口留番所・・・戦国時代から江戸時代の初めまで、交通の要所に設けた交通や物流の監視所。通行料の徴収も行った。
江戸幕府になって関所に変わっていき、各藩の番所は禁じられたが、物流の制約、脱藩、犯罪者の追跡、百姓逃散などを監視するため続けられたところも。
※撮影日は11月27日、


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2 コメント

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山間を見て歩くたびに (縄文人さんへ・・・)
2019-01-28 10:42:51
此処で暮らす人たちの
≪生活は何をどのようにして生計を立てているのか・・・・!?≫
この辺が大きな疑問となりました。

縄文人さんと同じ疑問がわきます。誰でもがそう思うと思います。
越生の山で聴きました。昭和30年代までは十分食って行けたそうです。間伐、下刈りなど仕事は十分あったそうです。
今は全国のヤマの民は年寄りだけになっていくそうです。テレビの「山の中の一軒屋」という番組が物語っています。
今は多くの農家は兼業農家、三チャン農家(母ちゃん、爺ちゃん、ばあちゃん)でご主人はお勤めに。機械で田植えはGW,、稲刈りはお彼岸の3連休にしています。家の周辺の農家さんはほとんどそうです。馬籠、妻籠あたりの山の民は岐阜県中津川市あたりにお勤め・・・だろうと思います。今は車社会ですから通勤が容易になりました。
吉田の山奥の集落もそうしてると思います。
ただただ健闘を祈るのみです。

ネットでググると奈良井、妻籠、馬籠の観光客集客数は年間約60万人。経済的には一部の店だけで村全体というわけではありません。現状を維持すること・・・たいへんだろうと思います。
古い文化を守る、住民の思いに感謝です。
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生活の糧は・・・・・!? (縄文人)
2019-01-28 08:31:17

古き良き、昔の旅籠、集落を見せて貰い大変勉強になりました。
どうしても1つだけ疑問点が残るんです。
 妻籠、馬籠、贄川、奈良井等々ポイントの写真拝見しました。
  昔は中山道を行き来する人たち、山に出入りする林業、木工(ウルシ・木工品等)でそれなりの生活の糧が得られたのでしょう。  現在はその当時と違い天と地ほどの差異があります。観光客とて車で1直線、山の林業とて衰退の一途…。
  街の保存で「売らない、貸さない、壊さない」一致団結。。

此処で暮らす人たちの
≪生活は何をどのようにして生計を立てているのか・・・・!?≫
この辺が大きな疑問となりました。

比企野さんは、こちら長野のお方、何か見たり聞いたり学んだことで知っていたら教えてください。

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