「真田丸の上田」はフィーバーしてるようです。上田城址公園には観光バスがひしめいています。
そんな上田・・・かつては「絹の街」・・・「蚕都上田」でした。
今もその面影を偲ばす建造物があります。上田を訪れた際にはぜひ見てもらいたいと思います。
1878年長野県岡谷で創業した製糸業の笠原組が1900年上田市に進出して笠原組常田館製絲場(現笠原工業)を設立。明治末期から大正時代にかけて建造した建物群がいまも15棟残されています。うち7棟が国指定の重要文化財、近代産業遺産です。
※営業中の会社です。正門を入った真っ直ぐに事務所、そこで見学を申し込めばOKです。決められた順回路のみですが内部を見ることができます。上田駅から徒歩5分、広い駐車場もあります。
《蛇足》上田が蚕の都であったわけ・・・1889年丸子町に依田社が、つづいて上田に信陽館が、1900年に岡谷から笠原組が上田に常田館(現笠原工業)、1912年鐘紡(米軍接収を経て専売公社に、現在商業地に)、1916年上田蚕糸専門学校(現信州大学繊維学部)、文字通り蚕の都であったようです。現在はここ笠原工業、蚕種協同組合、旧制上田蚕糸専門学校講堂などの古い建物群が重要有形文化財として国に指定され、往時の蚕都の面影を残しています
《2016年8月27日追記》
8月20日上田市の信州大学繊維学部を訪れそのご軽井沢で静養中の明仁天皇、美智子ご夫妻は8月23日ふたたび上田市の笠原工業の敷地にある国の重要有形文化財「常田館製絲場」を訪れました。同社の笠原一洋会長が案内役を務め、繭の乾燥・保管などに使った木造倉庫などを見学、 笠原会長によると、休憩の際には両陛下とも用意された桑の葉茶を美味しそうに飲み、「古い物を残すのは大変でしょうが、今後も残してください」と話したという。(信毎Webニュース8月23日配信より)
公務であるか、好奇心であるか・・・知りませんが・・・好奇心のあるうちは青年です・・・
そんな上田・・・かつては「絹の街」・・・「蚕都上田」でした。
今もその面影を偲ばす建造物があります。上田を訪れた際にはぜひ見てもらいたいと思います。
1878年長野県岡谷で創業した製糸業の笠原組が1900年上田市に進出して笠原組常田館製絲場(現笠原工業)を設立。明治末期から大正時代にかけて建造した建物群がいまも15棟残されています。うち7棟が国指定の重要文化財、近代産業遺産です。
正門・・・左脇に守衛事務所、その向こうの白い建物は撰繭場、1908年建造、国指定重要有形文化財。
鉄筋コンクリート五階繭貯蔵倉庫、1912年建造、国指定重要文化財。
その奥に木造三階繭貯蔵倉庫、1903年建造、国指定重要文化財。
木造五階繭貯蔵倉庫、1905年建造、国指定重要文化財。四階に見えるが石垣の向こうに地下フロアがあるため五階。
常田館のシンボル・・・ボイラー室と煙突、高さ20m、1936年建造。
常田館(資料館)・・・旧事務所兼住宅、1908年建造、国指定重要文化財。建物の脇に同じく重文の文庫倉があります。
木造四階繭貯蔵倉庫、1910年建造、国指定重要文化財。
鉄筋コンクリート五階繭貯蔵倉庫、1912年建造、国指定重要文化財。
その奥に木造三階繭貯蔵倉庫、1903年建造、国指定重要文化財。
木造五階繭貯蔵倉庫、1905年建造、国指定重要文化財。四階に見えるが石垣の向こうに地下フロアがあるため五階。
常田館のシンボル・・・ボイラー室と煙突、高さ20m、1936年建造。
常田館(資料館)・・・旧事務所兼住宅、1908年建造、国指定重要文化財。建物の脇に同じく重文の文庫倉があります。
木造四階繭貯蔵倉庫、1910年建造、国指定重要文化財。
※営業中の会社です。正門を入った真っ直ぐに事務所、そこで見学を申し込めばOKです。決められた順回路のみですが内部を見ることができます。上田駅から徒歩5分、広い駐車場もあります。
《蛇足》上田が蚕の都であったわけ・・・1889年丸子町に依田社が、つづいて上田に信陽館が、1900年に岡谷から笠原組が上田に常田館(現笠原工業)、1912年鐘紡(米軍接収を経て専売公社に、現在商業地に)、1916年上田蚕糸専門学校(現信州大学繊維学部)、文字通り蚕の都であったようです。現在はここ笠原工業、蚕種協同組合、旧制上田蚕糸専門学校講堂などの古い建物群が重要有形文化財として国に指定され、往時の蚕都の面影を残しています
《2016年8月27日追記》
8月20日上田市の信州大学繊維学部を訪れそのご軽井沢で静養中の明仁天皇、美智子ご夫妻は8月23日ふたたび上田市の笠原工業の敷地にある国の重要有形文化財「常田館製絲場」を訪れました。同社の笠原一洋会長が案内役を務め、繭の乾燥・保管などに使った木造倉庫などを見学、 笠原会長によると、休憩の際には両陛下とも用意された桑の葉茶を美味しそうに飲み、「古い物を残すのは大変でしょうが、今後も残してください」と話したという。(信毎Webニュース8月23日配信より)
公務であるか、好奇心であるか・・・知りませんが・・・好奇心のあるうちは青年です・・・
行く先々の街並みや歴史を教えて頂き、いつも感心して拝読しております。
教えて頂くことばかりです。
お国のため、絹糸増産、輸送増強のため、
横浜港に早く、多く……といったために作られたのだということを、
現地に行って説明を受けたことがあります。
これだけの施設、これらに伴うもろもろの関連施設が信州にはあちこちにあったことでしょう。
「蚕都」の上田・・・往時を遺す常田館製絲場の文化財を見ただけで
そうでしたか、ウウウウウン・・・・改めて納得・了解・okしました。
あの難関のトンネル、碓氷峠、アブト式列車を裏打ちする事ができました。
サンキュウでした。
上田駅ができたが1888年、信越線の開通です。上信鉄道で富岡へ、両毛線で高崎から桐生、足利へ、、熊谷から秩父鉄道が、と絹のための鉄路が続々開かれます。
大宮には片倉組、須坂の山丸組、岡谷の大宮館と続々と製糸屋さんが進出しました。今は昔の物語。
埼玉副都心はかつての片倉組、上田の鐘紡、松本の片倉は商業地になっています。
笠原工業はその蚕の生糸生産工場でした。
今は電子部品、化学合成製品などを生産してるようです。鰍沢に山梨工場があるようです。
国指定有形文化財になれば建物を処分できなくなるわけですが、こうして残存させたこと、企業として立派なことだと思います。
ここは駅から数分の場所、前から気になっていて覗いてみました。観光地ではないところを見るのが好きです。