比企の丘

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2019東インド・コルカタの旅・・・英領インド帝国時代建造の・・・ヴィクトリア記念堂を尋ねる

2020-04-28 | 道をゆく インド・ネパール
・・・彩風人の写真帳・・・

2019年11月・・・東インドの旅は・・・西ベンガル州から始まり・・・シッキム州・・・ふたたび西ベンガル州のダージリンへ・・・そしてコルコタへ。

英領インド帝国の元首府カルカッタ・・・現コルカタ市・・・ガンジス川の分流フーグリー川の河畔、旧市街の半分以上を占める大きなモイダン公園、かつてイギリスのウィリアム要塞(1702年)があった場所。この広い芝生公園の一角にヴィクトリア記念堂が。コルカタのランドマークです。

ヴィクトリア記念堂(Victoria Memorial Hall)・・・大英帝国のインド統治の威信を示す博物館、イギリスの国王、初代インド皇帝だったヴィクトリア女王を記念して1906年建設開始、1921年に開館。その間の1911年に首都はデリーに遷都。建物の大きさは103m×69m、中央ドームの高さは56m。円形屋根はムガール帝国のタージ・マハルの霊廟をモデルにしたといわれ、建物は左右対称(シンメトリー)になっています。









大英帝国女王、英領インド帝国の皇帝・・・ヴィクトリアの名を冠した博物館…そしてインド独立後もヴィクトリア記念堂・・・200年もの侵略を経て英国を排除したインド・・・今もなおヴィクトリアの名を残している・・・フトコロが深いというべきか・・・歴史をリアルに見ているというべきか・・・

※撮影日は2019年11月30日

インド・・・普通の日本人にはよくワカラナイ国です、中学校で歴史や地理で、高校で世界史を・・・4大大陸のひとつ・・・古代インダス文明の発祥の地・・・仏教発祥の地・・・カーストの国・・・つい最近までムガール帝国、大英帝国に侵略されていた国、多民族、多宗教・・・奥が深いなんて言い方をしますが・・・つまり小さな島国日本人には・・・永遠に理解できない・・・そういう国です。

コルコタ…英領インド帝国の時代の呼称カルカッタ…大航海時代の1510年ポルトガルがインドの西海岸ゴアに貿易拠点を構え1530年ポルトガル領ゴアとして植民地に、大英帝国は1690年インド東海岸の小さな漁村コルカタに商館を設置、貿易拠点に、1702年ウイリアム砦を築き軍事拠点に。1757年ムガール帝国の太守との戦に勝ち貿易から武力による統治の植民政策に転換。ザミンダール(地主)に徴税を任せます。この方法はやがて1793年ザミンダーリー制度に発展。徴税権は売買できるようになり金融業、貿易商、問屋業などの富裕層も徴税権を得て新たな特権階級が。これらの子弟が高等教育を受け、官界、司法界、財界、学界、医学界などの中心に、やがて独立運動の志士も生まれていきます。
1857年全インドのムガール朝、王侯、地主、農民、都市住民をまき込んだ英国支配に対するセボイの乱がおきます、この乱はインド全体の無統一で敗れムガール帝国は消滅、1858年インドはイギリス東インド会社から英領インド帝国(事実上の英国植民地・・・その領域は現在のインド、パキスタン、パングラデシュ、ミャンマー、スリランカに及ぶ)になります。初代インド帝国皇帝は1877年即位した大英帝国国王ヴィクトリア女王です。1911年英領インド帝国の首府はカルカッタからムガール帝国の元首府デリーに遷都します。


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